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最新インタビュー

カナダで挑戦した3年間、カフェ店員、就職にレイオフ、様々な経験を積み日本へ帰国を決めたYutoさん
インタビュー

カナダで挑戦した3年間、カフェ店員、就職にレイオフ、様々な経験を積み日本へ帰国を決めたYutoさん

本日は日本で営業職として働いた後、カナダへ渡りフロントエンドエンジニアとして就労、その後レイオフにあい、日本への帰国を決意されたYutoさんにインタビューさせていただきました。Frog利用者に限らず、一定数の海外就職を目指して渡航される方々が、海外で就職から永住権を取得しなければその留学は失敗だったと感じている方は多いことかと思われます。ですが、実際には今回ご紹介するYutoさんのように、海外で過ごしたあらゆる経験から、日本に居た頃には想像も出来なかったようなレベルアップを遂げた方も少なくはありません。私達は海外就職と呼ばれる運の要素にも左右され、一般的に非常に難易度の高い挑戦をしてきたこともあり、それらの挑戦をしてきた私達は日本へ帰国した後も多くのシーンで必要とされています。今回はそんな日本帰国を決めたYutoさんの3年間をご紹介させて頂ければと思います。世界を意識するようになった理由とキャリアチェンジSenna: まずはYutoさんの経歴から話してもらえますか。日本での経験、カナダでの経験、そして今後日本でどういう未来像を描いているのかまで教えてください。Yuto: 日本では製造業で営業職をしていました。なのでエンジニア経験ゼロの状態でバンクーバーに来ています。Senna: 製造業をやっている中でバンクーバーに行こうと思ったのが、エンジニアになるきっかけだったんですか?Yuto: いや、厳密に言うとそうではなくて、海外で働きたいという思いはずっと大学生の頃からあったんです。そのために海外で働けるチャンスが多い日本の会社に入ったんですが、やっぱり日本の大企業は体質が古くて、年功序列が当たり前だったんです。Senna: 日本で務めていた会社はグローバルに展開していたんですか?Yuto: そうです。世界中にブランチがあり、グローバルな製品を作っていました。機械の部品なんですが、どこの世界でも規格さえ合えば使えるものです。Senna: なるほど。それで、エンジニアになる決断はどうしてだったんですか?営業からエンジニアに転向するのは少し珍しい気がしますが。Yuto: 最初はデジタルマーケティングに興味がありました。営業職をしている時にマーケティングについて調べることが多く、面白そうだなと思っていました。しかし、Frogに相談させてもらった時に「カナダでデジタルマーケティングの職に就くのはとても難しい」と言われて方針を変更しました。実例に基づいて話していただいたので、とても信頼できると思いました。Senna: じゃあ、最初はデジタルマーケティングを目指していたんですね。Yuto: そうですね。でも、セナさんと面談させてもらった時にエンジニアという選択肢もあると提案されました。それがもう4年半前のことです。Senna: なるほど、もう4年も経ったんですね。エンジニアへの転身とその手応えSenna: 実際にエンジニアにシフトチェンジしてみて、どうでした? 良かったですか?Yuto: めっちゃ良かったですね。自分の性格にも合ってるなって実感しました。Senna: 性格に合ってるって、どういうところでそう感じたんですか? 俺はデジタルマーケティングの経験はないから、その違いが分からないんですが。Yuto: 僕はもともと問題解決が好きで、人の役に立つことが大好きなんですよね。それを実現するための手段は営業でもデジタルマーケティングでもいろいろあるんですが、コーディングを通じて問題解決するのが一番好きなんだと気づきました。大学も理工系だったので、そういう意味で理系のDNAが入ってる気がします。Senna: なるほどね。理系だったんだ。ちなみに何学部だったんですか?Yuto: 理工学部でロボットの研究をしてました。ただ、プログラミングはあまり得意ではなく、むしろ苦手でしたね。僕はどちらかというとハードウェアに関心がありました。Senna: それでもプログラミングの方に進んだんですね。渡航のタイミングと準備期間Senna: じゃあ、エンジニアを目指すことを決めた時点でカナダ行きを考えていたということですね。僕らと初めて話したのがそのタイミングですか?Yuto: そうです。渡航を決めたのは相談の1年半くらい前ですね。結構長い期間がありました。COVID-19の影響もあったので。Senna: そうか、COVIDがあったんですね。それで最初に相談したのが2020年のゴールデンウィーク頃でしたっけ?Yuto: そうですね、5月くらいだったと思います。Senna: 実際に渡航したのはいつですか?Yuto: 2021年の10月です。COVIDの影響で1年半くらい延期したんですよ。Senna: なるほどね、COVIDの影響で準備期間が長引いたんですね。それでプログラミングや英語の勉強はどうでしたか? 渡航前にどのくらい準備できましたか?Yuto: 仕事をしながらプログラミングと英語の勉強をしていました。1年半の間、本当に自分にプログラミングが合っているかどうか、お見合いしている感じでしたね。Senna: それで「行けそうだ」と感じたんですか?Yuto: そうですね。これなら行けると思いましたし、途中で辞めたら後悔するだろうなとも思いました。Senna: 日本で一度経験を積んでからくるという選択もあったかと思いますがYuto: そうですね。セナさんはよく「日本で少し経験を積んでから来た方がいい」って話されてると思うんですが、僕の場合はすぐに来て良かったですね。恐らく日本で経験を積んだ後だと、僕は来てなかったと思います。Senna: ただ、日本であっても業界経験があった方が企業からの評価は高まりますよね。Yuto: 間違いないです。ただ、やっぱり日本は世界で一番住みやすい場所だと思うので、そこから飛び出して海外に行くというのは、ある程度は勢いが大事だと思うんです。Senna: それは確かに…。これだけ住みやすく、日本語が通じるという利点のある日本を出て海外で頑張るって、正直人生においてある意味「バグ」のようなものだと思っています。そのバグ期間を意識的に作ってまで海外に行こうと思うのは、相当なモチベーションが必要かもしません。Yuto: 実際にカナダに来てみて、日本がいかに住みやすい場所だったかを改めて実感しました。カナダでの生活とカレッジについてSenna: カナダの学校生活についてはどうでしたか? 理想と現実にギャップはありましたか?Yuto: それに関しては、Frogの記事で事前に色々とリサーチしていたので、特に驚くことはなかったですね。カレッジは復習の場と捉えていたので、自分で学んだことを確認する場として利用していました。Senna: それは良いマインドセットですね。渡航前の自己学習がしっかりできていたからこそ、スムーズに進められたんでしょうね。日本での1年間の学習期間が生きた感じですね。Yuto: そうですね。ただ、もう少しプログラミングを深く勉強しておけば良かったかなと思います。特にフロントエンドの勉強はしていたんですが、ReactやTypeScriptを含めた実務的な技術にも手を出しておけばよかったと感じています。Senna: なるほど。日本ではどのくらいの範囲でプログラミングを学んでいたんですか?Yuto: 基本的にはJavaScriptを触っていました。もっと他のフレームワークやバックエンドにも手を出しておけば良かったかなと思います。Senna: そうですね。VanillaでJavaScriptから始めるのは基礎固めとしては良いと思いますが、最近の参考書はフレームワークも多いですからね。実務的な側面にも手を出しておくべきだったかもしれませんね。Senna: 日本にいた時、誰か教えてくれるメンターとかはいたんですか?Yuto: 特にメンターはつけず、自分でなんとかやっていました。でも、今振り返ると、それが中途半端な状況に陥った原因の一つだと思っています。Reactなどのフレームワークに手を出すのは自分にはまだ早いと感じていたんです。Senna: なるほど、フレームワークを避けたのはその時の自己判断だったんですね。Yuto: はい、そうです。でも、もしメンターがいたら、もっと早く路線変更できたかもしれませんね。クラスメイトとのBBQ英語力とESLの挑戦Senna: じゃあ、日本でプログラミングの準備はしっかりしていたということですが、英語力に関してはどうでしたか? 授業についていくのに問題はなかったですか?Yuto: 僕はESLに一ヶ月、Pre-Classに一ヶ月通いました。当時はFrogメンバーのElle先生が担当で、そのクラスはほとんど日本人だったんですが、みんなの英語力がすごく高くて、正直ショックを受けましたね。プレゼンテーションが毎週あったんですけど、スクリプトを丸暗記するくらい必死でした。Senna: なるほど、ちなみに在学中にスターバックスでバイトを始めたと聞きましたが、そこでは英語力もかなり上達したんですか?Yuto: スタバが僕の英語力を変えたと言っても過言ではないです。スタバでの仕事を通して、ネイティブスピーカーが使う語彙や接客英語を学びました。当初はESLやクラスで聞く英語とはまるで別言語のように感じました。Senna: いつスタバで働き始めたんですか?Yuto: 2022年3月からですね。カナダに渡航して半年ほど経った頃です。Senna: スタバは希望者が多くて入るのが難しいと聞きますが、どうやって仕事を見つけたんですか?Yuto: 成功法でスタバの専用応募サイトからいろんな店舗に応募しました。面接が決まるまで1ヶ月くらいかかりましたね。最終的に2店舗からオファーを貰いました。Senna: その時点で、面接に受かるだけの英語力があったということですか?Yuto: 多分、英語力よりもパーソナリティーを見られていたと思います。英語は働いているうちに慣れると考えられていたんじゃないかと感じています。Senna: 経験してみてどうでしたか? 実際にスタバで働いたことで英語がどれくらい上達しましたか?Yuto: スタバでの経験は本当に大きかったです。同僚やお客さんとの会話を通して、日常的な英語や、開発者として働く際に使うような英語も自然と身につきました。接客英語と言われますが、実際には多くのシチュエーションで使えるスキルです。Senna: なるほど。スタバでの仕事が英語力向上に大いに役立ったんですね。スターバックスでの成長と恐怖心の克服Yuto: スタバで働いたことが僕にとって大きな転機でした。英語を話すことに対する恐怖心や躊躇が完全になくなりましたし、リスニング力も飛躍的に向上しました。加えて、北米で働くということがどのようなものか、具体的にイメージできるようになりました。その反面で、最初の方は「全く聞き取れない」や「上手く考えを伝えれない」等の苦労はありましたが、働いて良かったと思います。Senna: それは素晴らしいですね。英語力が伸びたことを実感したのは、いつ頃からですか?Yuto: 働き始めて3ヶ月ぐらい経った頃ですね。週3、4日働いていたので、かなりの時間をスタバで過ごしました。そのおかげでリスニングやスピーキングスキルが一気に伸びたと思います。Senna: やっぱり接客業の影響は大きいですね。Frogのメンバーにも、最初はスタバで働くことを推奨すべきかもしれませんね(笑)。Yuto: もう一つ、スタバで働いて良かった点は、就活や勉強でのストレスを忘れるリフレッシュの場になっていたことです。周りと自分を比較して焦ることもありましたが、スタバでの仕事はそうした不安を一時的に忘れさせてくれました。就活のスタートと挫折Senna: 就活の話も聞きたいんですが、いつ頃から就活を始めましたか?Yuto: 2022年の10月頃からですね。在学期間中に準備を始めました。12月に学校が終わる前の2、3ヶ月前に少しずつ動き出していました。Senna: でも、すぐには反応がなかったんですよね。Yuto: はい。ちょうどその時期、レイオフが始まっていたので、反応はほとんどありませんでした。Frogのアドバイスもあり、実務経験を積む必要性を感じ始めました。Senna: なるほど。そのアドバイスを受けてどう動きましたか?Yuto: 僕と、Hiroshiさん、Koichiさん、そしてもう一人で朝会を開いていました。朝の7時から10分間、オンラインでその日の目標を話し合っていました。Koichiさんが日本の案件を取り、実務経験を積む方法を教えてくれたので、それに倣ってWantedlyを使って日本の案件獲得にシフトしました。リセッションの中での就活Senna: 2022年後半は、リセッションが始まる時期でしたよね。まさにタイミングが悪かったとしか言えませんが、その時期に就活をしていたんですね。Yuto: はい、本当にリセッションの真っ只中で、就活が全くうまくいかない時期でした。僕が就活を始める前はとても景気が良く、就職できた人が多い時期でしたが、僕の時は全然違いました。Senna: それはつらかったですね。でも、コミュニティの支えがあったのは大きかったのではないですか?Yuto: そうですね。Frogというコミュニティの大きさを改めて感じました。情報共有がしっかりできていたおかげで、周りの状況を把握し、一歩前に進むことができました。同じように日本の案件を見つけて実務経験を積む仲間もいて、そこから学ぶことも多かったです。Senna: そういう環境で情報を得ながら進めたことは大きいですね。何でも自分の責任だと感じてしまう人は、特に就活で苦しむことが多いですし、何が自分の責任で、何がそうじゃないのか知る努力としても、情報収集は重要ですね。Senna: 日本からの案件獲得にシフトして、スムーズに仕事は見つかりましたか?Yuto: はい、驚くほどスムーズでした。2週間で見つかりました。未経験の状態で、よく採用してくれたなと感謝しています。Senna: 本当に未経験だったんですよね。それでリモートで採用された理由は何だったんですかね?Yuto: その会社はすでにリモート文化が根付いていて、リモートで海外から働いている人も何人かいました。また、会社自体が海外展開を目指していたので、カルチャーフィットしたんだと思います。忙しい日々と実務経験の重要性Senna: 日本の案件はどのくらいの時間働いていたんですか?Yuto: 週30時間ぐらいですね。ほぼフルタイムです。それに加えてスタバでの仕事もあったので、週に40時間以上働いていました。さらに就活や個人学習もしていたので、当時の生活は本当に大変でした。Senna: 1年間そんな忙しい生活を続けていたんですね。Yuto: そうですね。あの時は本当に大変で、もっとゆとりを持つべきだったと感じます。でも、実務経験を優先したことは間違いではなかったと思います。学校で学んだことと実務は全然違いますから、現場での経験を積めたことは大きかったです。Senna: その日本の会社の環境はどんな開発環境だったんですか?Yuto: はい、Web系の会社で、受託開発もしつつ自社プロダクトもありました。TypeScriptなどモダンな技術を使っていました。フロントエンドの実務経験としては、とても良い経験ができました。Senna: スタバでの仕事を続けながら、日本の案件で実務経験を積み、さらに英語力も伸びてきたんですね。理想的な留学生活に見えますね。就活の反省と改善点Senna: それだけ忙しい生活をしながら、就活も進めていたんですね。就活に対する取り組みなどはどうだったんでしょう。Yuto: そうですね、まず反省点としては技術記事を書いたり、もっとアウトプットする時間を確保すべきでした。また、ミートアップにも参加していましたが、就職を探している人ばかりだったので、途中から疲れてしまい、フェードアウトしました。履歴書のブラッシュアップも全然できていなかったですし、ATS(Applicant Tracking System)についても当時は知りませんでした。Senna: ATSは最近の就活では重要な要素ですからね。応募の数をこなすだけではうまくいかない時代です。Yuto: そうなんですよ。時間がなかったので、LinkedInのEasy Apply機能を使って大量に応募してしまいましたが、それが最善の方法ではなかったと振り返ると思います。就職活動における戦略の重要性Senna: なるほど。毎日ただ応募するだけでなく、戦略を練るべきだったと。Yuto: そうですね。応募する前に、もう少し考える時間を持って戦略を立てた方が良かったと思います。毎日応募することに集中し過ぎて、効率的ではありませんでした。Senna: 確かに、それは良いアドバイスですね。記事を読む人にとっても参考になると思います。ありがとうございます。でも、Tomoさんの会社で一時期働いていたんですよね?Yuto: そうなんです。本当に良い経験でした。Senna: Tomoさんの会社で数ヶ月働いたという話ですが、どうしてその会社で働くことになったんですか?Yuto: 実は、僕が応募した翌日にTomoさんがFrogのSlackで採用に関するポストしていて、それを見てすぐに応募しました。その後、TomoさんにもすぐDMでご挨拶させて貰ったというのが経緯ですね。Senna: そうだったんですね。Tomoさんとつながっていたことで、採用にプラスの影響があったんですか?Yuto: それがどう影響したかは正直分かりませんでしたが、選考途中で「Tomoのリファラルかい?」と確認されました。なので、スクリーニング段階で影響があったと思っています。Senna: なるほど。面接の際にTomoさんからのリファラルが確認されたということですね。Tomoさんからは面接のアドバイスやサポートはありましたか?Yuto: Tomoさんは非常に真面目な方なので、面接の内容には一切触れませんでした。ただ、面接官の性格やどういう人かという質問には答えてくれました。例えば、「この人は厳しいから構えていけよ」といったアドバイスはもらいましたね。Senna: それでも、多少の情報があるのは心強いですね。Yuto: 実際にTomoさんは面接官としても登場しました。技術的な質問の際、マネージャーが非常に難しい質問を投げかけてきたんですが、Tomoさんがさりげなくフォローしてくれて、本当に助かりました。短期間でのレイオフとその後の関係Senna: その後、残念ながらレイオフになってしまったんですよね。チーム自体が潰れたわけではないんですか?Yuto: チーム自体はまだ存続していますが、僕を新たに雇う際に、会社側も「フルタイムで雇うか、フリーランスで契約するか」を決めかねていたようです。結果的に、思ったよりコストがかかってしまい、レイオフという形になりました。Senna: なるほど。でも、後から元チームメンバーとご飯に行ったり、内部事情を教えてもらったりしていたんですね。Yuto: そうなんです。チームメンバーは本当に良い人たちで、後からいろいろと教えてくれました。カルガリーから来ていたメンバーとも話しましたが、その時に当時の状況を詳しく聞くことができました。Senna: そのレイオフとプロベーションの境目が少し曖昧に感じるんですが、実態はどうだったんですか?Yuto: 正確にはプロベーション期間内でのレイオフでした。理由を言う必要がないので、正式なレイオフとは少し異なりますが、事実上のレイオフだったと思います。Senna: プロベーション期間ということで、理由を明示しなくても済むんですね。レイオフ後は、チームのメンバーとの関係ってやはり切れてしまうものなんですか?Yuto: それがレイオフされた後すぐに、開発チームのマネージャーとチームが所属する別のマネージャーから連絡が来て、「リファラルするよ」と言ってもらえたんです。もちろんレイオフされたこと自体には驚きました。1年かけて就職活動をして、ようやく仕事を見つけたと思ったらすぐにレイオフされてしまったので。Senna: 雇用保険(EI)の申請とか出来たんですか?Yuto: 幸いにも申請出来たんです。かなり助かりました。Senna: そうだったんですね。ちなみに話せる範囲で大丈夫なのですが、雇用保険の内容について詳しく教えてもらえますか?Yuto: 雇用保険(EI)は、過去52週間の間に働いた実績を基にして給付されます。僕の場合、スターバックスを新しい開発職を取るために辞めたので、それもEIの対象になりました。会社を自分から辞めても、特定の理由があれば保険が降りるんです。Senna: レイオフされたポジションの失業保証だけじゃないんですね、それは知らなかったです。勉強になりました。雇用保険の申請プロセスSenna: EIを申請するのは時間がかかるって聞きましたが、実際どうでしたか?Yuto: 申請後、サービスカナダの担当者が確認するので、すぐに降りるわけではなく、数ヶ月待つケースもあります。僕も何度もサービスカナダに電話して確認を急いでもらいました。Senna: サービスカナダに何回も電話して大変だったんですね。英語での電話対応も慣れましたか?Yuto: はい、英語で電話する経験が一気に増えました。何回も電話で経過を確認したり催促しなければならなかったので、その経験が英語の電話対応に自信を持たせてくれました。Senna: EIが降りて少し安定した後、何をしていましたか?Yuto: 再び就活を始めました。前の会社でリファラルをもらったところにも応募しましたが、結局それは繋がりませんでした。代わりに、LinkedInで「レイオフされました、職を探しています」と投稿したところ、あるCEOから「新しいポジションを作ろうと思っているんだけど興味ある?」というDMが来ました。Senna: それはすごい展開ですね。その後どうなったんですか?Yuto: すぐに興味があると返事をして、レジュメを送りました。そこから面接が進み、最終面接まで行ったんです。結局その会社は、Koichiさんが働いている会社だったんですけど、惜しくも最終面接で落ちました。Senna: 最終面接まで進んで惜しい結果だったみたいですが、会社がどたん場で採用方針を変えたんですよね?Yuto: はい、フロントエンドを採用したいと言っていたのに、突然バックエンドを採用したいという風に変わりました。これが理由で不採用になったと、CEOから連絡をもらいました。Senna: それは残念でしたね。完全に運とタイミングが悪かったですね。その時点で日本へのキャリア転換を考え始めたんですか?Yuto: いや、当時はまだカナダの会社で面接を続けていました。ただ、稼ぎが必要だったのと、キャリアにブランクを作りたくないという理由で、日本の会社でも面接を受け始めていました。そして、Koichiさんの会社から不採用の連絡が来たのが今年の6月ぐらいです。その頃から、日本でのキャリアも真剣に考え始めました。Senna: そこから帰国を決めるまでのスピードが早かったですね。Yuto: そうですね。カナダを去る友人たちが増えてきたタイミングでもあり、自分のいるべき場所を考え始めました。新しいスタート:日本でのフルタイムの挑戦Senna: 帰国後のアクションはもう決まっているんですか?Yuto: はい、現在働いている日本のスタートアップでフルタイムとして働かせてもらいます。SaaSの会社で、創業2年ですが、海外展開も視野に入れている勢いのある会社です。アメリカ人の同僚と一緒に、海外版のプロダクトのMVPを作っていて、カナダで身につけた英語も活きています。Senna: 英語の経験が生きているのは素晴らしいですね。Yuto: そうなんです。エンジニアとして日本でフルタイムとして働いたことがないので新鮮です。職業もスキルも、そして住む場所も全てが変わる。まるで2回目の人生が始まるような感覚です。Senna: それはとてもポジティブな考え方ですね。Yuto: 正直少し前までは日本に帰ることに対して非常にネガティブでした。カナダでフルタイムのソフトウェアデベロッパーとして働くことに固執していましたから。しかし、そういった執着を手放して、新しい道をポジティブに捉えられるようになったのは大きかったと思います。Senna: 一度カナダでの挑戦を経たことで、将来的にまたカナダや他の国に挑戦することも十分に可能ですよね。将来的にもう一度北米や海外を目指すことは考えていますか?Yuto: はい、北米に限らず、どこかのタイミングでまた海外に挑戦したいと思っています。ソフトウェアデベロッパーとして働いているのは、人々が抱えている問題を解決したいからなんです。僕が解決したいと思う問題がどこの国にあるかで、あとはタイミングだと思っています。Senna: 素晴らしいですね。日本からカナダに来て、スターバックスで働き、オンラインで日本の企業での実務経験を積み、Tomoさんの会社で働き、リファラルを受けて、他の会社にも挑戦して...と振り返ると、とても充実したキャリアだと思います。Yuto: そうですね。全てが良い方向に進んでいると感じます。Stanley Park をE Scooterで一周した時の写真海外へ向かうエンジニアへのアドバイスSenna: では、これから海外を目指す人たちにアドバイスはありますか?Yuto: お話したいことはたくさんありますが、エンジニアに特化したアドバイスは特にないですね。僕よりも優秀な人たちがたくさん来ているので。重要なのは、自分の気持ちが少しでも海外に向いているときに来たほうがいいということです。それと多くの人が「就職できなかったらどうしよう」と躊躇していると思いますが、それが全てではないです。長い人生において、2年や3年海外にいることはほんの誤差に過ぎないと思います。挑戦していること、挑戦したという事実が既に人生においてかけがえの無いことです。Senna: 確かにそうですね。状況は常に変化しますからね。Yuto: 特に北米は物価の変動が激しくて、僕がカナダに来たときと比べても今は1.5倍くらいになっています。僕が渡航した2021年当時の予算でカナダに来るのは、今だったら無理だったかもしれません。そしてこの状況が未来永劫続くことだって考えられる、だから行きたいと思った時に躊躇せず、すぐ動くべきです。英語力と楽しむことの重要性Yuto: それに、英語はできる限り勉強してきた方が良いです。特にある程度のスピーキングとリスニング力がないと来てから苦労します。日本にいながらもできることはあるので、できる限りの時間を英語に投資すると良いスタートダッシュが切れると思います。間違えてもいいから、積極的に自分の意思を伝えようとすることも大事です。バンクーバーは本当に多人種国家なので、頑張って意思を伝えようとする人には耳を傾けてくれます。Senna: その通りですね。言語に限らず、伝えようとする姿勢が大切です。Yuto: あと、気負いすぎずに楽しむことも重要です。僕もそうでしたが、思い詰めると余計に悪い方向に進むだけです。状況が良くないと感じたら、違うことをしてリフレッシュすることも大事です。日本での経験と可能性Yuto: そしてカナダで得た経験は、日本でも十分に活かせるということを強調したいです。日本で就職活動をすると、カナダでは考えられない数の返信が届きます。それだけ日本のエンジニア市場が活発で、尚且つ国外市場で挑戦経験も重宝されるんです。Senna: 日本は本当に売り手市場ですよね。Yuto: そうなんです。そして、日本のエンジニアは非常に優秀です。その人たちが英語というツールを手に入れるだけで、どれだけ可能性が広がるかを考えると、挑戦する価値は十分にあると思います。Senna: 最近、海外での挑戦や留学の経験が、自分自身を見つめ直す良い機会になる(セルフコンセプトクラリティ)という話を聞きました。特に、マイノリティになる経験をすると、自己認識が高まるタイミングがあると。今日のお話を聞いていると、それがまさに当てはまるなと感じました。Yuto: 本当にそう思います。カナダに来たことで、自分を見つけることになるなんて、全く予想していませんでした。デジタルマーケティングでのキャリアを考えていたら、もしかするとまた違った自分が見つかっていたかもしれませんが、今はカナダでの経験が大きな自己成長につながったと感じています。Senna: 自分が本当に好きなことや、やりたいことに気づくタイミングが早ければ早いほど、その後の人生がより充実すると思います。Yuto: そうですね。僕も、まさかカナダに来て自分探しをすることになるとは思っていませんでした。ですが、結果的には多くの気づきがあり、良かったと思っています。Senna: 本当にそうですね。ありがとうございました。またお話できるのを楽しみにしています。Yuto: こちらこそありがとうございました。いかがでしたでしょうか。このインタビューでは就業、永住権申請まで到達されている方々のインタビューが多いのですが、実際には綿密な計画を立てて挑戦される方の多いFrogであっても、景気やビザの難易度によって、日本への帰国を検討される方はいらっしゃいます。ですがFrog利用者のインタビューを振り返っても、日本帰国後に全くカナダでの挑戦が無駄だったという方には出会ったことがありません。今回のYutoさんもカナダでの多くの挑戦、そして経験を糧に日本で更に多くのことに挑戦される姿を見るのが非常に楽しみです!

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リセッション期真っ只中、業界未経験からフロントエンドエンジニアとして海外就職を達成したYukiさん
インタビュー

リセッション期真っ只中、業界未経験からフロントエンドエンジニアとして海外就職を達成したYukiさん

本日は業界未経験からカナダへ渡航し、リセッションの影響がまだまだ続いている2024年7月に、カナダにあるデイケア用サービス開発企業のLittle MunchkinへFront-end Developerとして就職が決まったYukiさんへインタビューさせていただきました。業界未経験者の現地就職が難しいとされる昨今ですが、では実際にそれを達成した人というのは、何をして、どのような経緯で現地企業からのオファーを受けるに至ったのか、今回詳しくお話を聞くことが出来ましたので、ここでご紹介させて頂ければと思います。バンクーバーへの道のりとキャリアの始まりSenna: では、まずバンクーバーに来たきっかけや、これまでどのようにキャリアを積んできたかというお話から始めたいと思います。Yukiさん、確か日本ではエンジニア未経験だったと伺っていますが、エンジニアの前は何をしていたんですか?Yuki: 私は機械メーカーで営業企画をしていました。全国にいる営業の方と一緒に商談を進めるために展示会を開催したり、提案資料を作成して営業さんと一緒に客先に提案に行ったりしていました。販促活動に近いかもしれません。Senna: なるほど。展示会などでYukiさんを見かけていたかもしれませんね。Yuki: そうかもしれませんね(笑)海外進出を考えたきっかけSenna: 日本での経験を経て、いつぐらいに海外挑戦を考え出したんですか?Yuki: 年齢の部分は大きかったかもしれないですね。30歳になる前に新しいことに挑戦するのが良いかなと思っていました。Senna: よく聞かれるタイミングですねYuki: そうですね。あとは、その少し前に会社で部署異動があったのですが、新しい部署が私には合わなく、コロナで一度断念した海外留学に再度挑戦するちょうど良いタイミングなのかもと思いました。Senna: なぜカナダを選んだのですか?Yuki: いろいろと海外の選択肢は多いですけど、最終的にカナダを選んだ理由としては、英会話の先生がバンクーバー出身だったことが大きかったです。その先生がバンクーバーの魅力、特に多文化主義や外国人の受け入れ体制について話してくれたので、カナダがいいかなと思いました。Senna: なるほど。Frogに相談頂いた時には既にいろいろ調べられていたように思いますが、ビザの面については何か検討されましたか?Yuki: そうですね。調べた結果、カナダにはコーププログラムもありましたし、オーストラリアやイギリスと比べてもビザの取得が現実的でした。Senna: オーストラリアとかイギリスのビザも調べたんですか?Yuki: はい、調べました。でも、オーストラリアは職種によって選択肢が変わるので、カナダの方がワーホリ、Coop、ポスグラなど様々な選択肢があり、現実的だなと感じました。Senna: なるほど。カナダに決めたのは、ビザ周りの選択肢や、英会話の先生の影響が大きかったんですね。Yuki: そうですね。マーケティングかエンジニアかの選択Senna: カナダに行く前に既にエンジニアとしてのキャリアは思い描いていたんですか?Yuki: コロナ前に一度カナダに行くことを考えてたのですが、その際はマーケティングとエンジニアのどちらでキャリアを進めるか迷っていました。Senna: その2つで迷った理由を聞いても良いですか?Yuki: 元々営業企画をやっていたので、マーケティングは自分の経験を活かせる職種だと思っていました。コロナ前はマーケティングで行こうと考えていたんです。しかし、あくまで現地就職やキャリアの向上であった私にとって、どうしてもコミュニケーションの面で現地の人々と競争するのは難しいと思ったんです。もっと専門性を高める必要があると感じました。そこで、エンジニアリングを選ぶことにしました。Senna: なるほど冷静に自分自身とやりたいことの分析が出来ているのは素晴らしいですね。Yuki: はい、私自身かなり計画的に物事を進めるタイプだと思います。カナダでの挑戦とキャリア選択の理由Senna: エンジニア職を選んだ背景について理解できました。ところで、他の職種は考えなかったんですか?例えば、マーケティングの他にデザイナーなども選択肢に入らなかったのか気になります。Yuki: その当時、エンジニア以外の職種についてはあまり深く調べていませんでした。しいて挙げれば保育などの職業はビザの条件が緩いと聞いていましたが、やはり将来的に得られる収入や待遇の面で、明らかにエンジニア側の方が将来性が高いと判断したのと、仮に日本に帰国することになったとしても得られる物が多いと思ったんです。Senna: 確かに、将来的に得られる収入や待遇は重要ですよね。またどうしても僕ら外国人は時勢やビザルールの変更などによって、日本への帰国を余儀なくされることを考えなければならないので、日本へ帰国した後のキャリアにもどう繋げるべきか考える所も非常に計画的ですね。Yuki: そうですね。もちろん永住権やカナダで長期滞在に繋がる道があるとすれば嬉しいですが、どうなるかわからないので、日本に帰ることも考えるとやはりエンジニアがベストだと感じました。Senna: 日本でもカナダでも稼げる、そして様々な選択肢を検討した結果、エンジニアという選択肢に落ち着いたんですね。とても計画的に考えていて、驚きです。コロナ禍での決断と準備Senna: では、その決断をしてからカナダに渡航するまでのプロセスを聞かせてもらえますか?どのタイミングで本格的に海外に行くことを決めたのでしょうか?Yuki: 2022年の5月にカナダに来ましたが、最初に相談したのは2021年の秋頃でした。Senna: なるほど、2021年の秋ですね。その頃にはすでにカナダに行く準備が進んでいたんですか?Yuki: はい、その頃にはカナダでエンジニアへキャリアチェンジしたいと決めていたので、カレッジやコースの内容など、必要な情報を自分で調べ、準備をしていました。Senna: プライベートカレッジに通うという選択肢を最初から決めていたんですね。それにしても、留学費用などはどうやって計画していたんですか?Yuki: カレッジ進学のためにプライベートとパブリックのどちらを選ぶかを調べました。パブリックだと生活費込みで1000万円近くかかることがわかっていたので、私の貯金ではプライベートカレッジしか選べませんでした。限られた資金の中でギリギリの選択をした感じです。英語の壁とその克服Senna: 英語の面でも準備が必要だったと思いますが、当時の英語力はどの程度でしたか?Yuki: 相談した時にはTOEICで640点程度しかなく、その後も勉強を続け、渡航直前には735点まで上がりました。ただ、正直言って、そのくらいの英語力だとカナダに来た当初はかなり苦労しました。Senna: そうですか。具体的にはどういった点で大変だと感じましたか?Yuki: はい、カナダに来たばかりの頃、Pre-classという1ヶ月の本科前の準備クラスに参加したのですが、間違いなく日本人の中だと私が一番英語が下手だと感じました。周りの人たちはみんな英語が上手で、自己紹介を聞いた時に自分との差を痛感しました。Senna: 確かに、最初の自己紹介だけでも他の人のレベルがわかってしまいますよね。そこからどうやって英語を伸ばしていったんですか?Yuki: 実は、英語の勉強は全くしなかったんです。Senna: それは珍しいですね。勉強しなくても授業にはついていけたんですか?Yuki: 授業にはついていけました。私が選んだのはイブニングクラスで、日本人が少なかったのが良かったです。クラスメイトが多文化な環境で、自然と英語でのコミュニケーションを取る必要があったので、それが助けになりました。Senna: 確かに、そういう環境だと英語が自然と身につきそうですね。それにしても、カフェでバイトしていたとも聞きましたが、それも英語の向上に役立ちましたか?Yuki: カフェでのバイトはThierryというローカルカフェで働いていましたが、カフェの仕事は決まったことを話すだけなので、私にとっては英語の上達には直接つながらなかったですね。ただ、英語に対する抵抗感はなくなりました。Senna: 抵抗感がなくなるのは大きいですよね。それでもカフェはローカルな環境ですし、貴重な経験だと思います。Thierryのスタッフパーティーボランティアと英語力の向上Senna: それでは、英語力の向上に繋がるような取り組みは他にはなかったんですか?Yuki: カレッジの座学が終わり、Coopに入ったタイミングでボランティアをしていた時期があったんですが、英語力という面ではその時期が一番伸びたんだと思います。そこでは毎日スタンドアップミーティングがあり、昨日やったことや今日やることをシェアする機会があり、それが一番英語の伸びにつながりました。Senna: 素晴らしいですね、ボランティアはどこで見つけたんですか?Yuki: カレッジのSlackで見つけました。当時のCoop Cordinaterのネットワークで、ボランティア機会を得た感じです。今は少ないみたいですが、当時はまだチャンスが多かったですね。学校生活と積極的な質問Senna: 学校生活はどんな感じでしたか?英語が苦手な中で、授業に苦労はなかったですか?Yuki: 授業には苦労しませんでした。ただ、英語が苦手ではあっても、積極的に質問するように心がけていました。私は英語がクラスで一番できなかったので、一番前の席に座って、先生に直接質問できる環境を作りました。そうすることで出来る限り他の人の反応を気にせず、自分のペースで授業を進めるよう努めました。Senna: それは素晴らしいですね。学校外での学びとメンターとの関係Senna: 学校生活の中で特に印象に残っていることはありますか?Yuki: 学校が始まった時点で、すでにメンターのYuyaさんがついてくれていました。毎週宿題をもらい、それに取り組むのがメインで、学校は自分で勉強したことの復習に使うみたいな形で進めていました。ブログを書くこともYuya さんの課題に含まれていて、宿題とブログが勉強の大きな柱になっていました。Senna: それは理想的な学習方法ですね。メンターのサポートもあったおかげで、かなり充実した学校生活を送れたんじゃないですか?Yuki: そうですね。メンターがいなければ、ここまで積極的に取り組めなかったかもしれません。フットサルと人脈作りSenna: そういえばメンターのYuyaさんとはどこで知り合ったんですか?Yuki: Frogで告知されていたフットサルです。当時は定期的に行っていて、そこに行くようになって知り合いになりました。Senna: あのフットサルに参加されていたんですね。サッカーが好きだったんですか?Yuki: そうですね。学生時代にサッカーをやっていたので、もちろん楽しむ気持ちもありましたが、半分くらいは「何か良いことないかな?」という期待で行っていたのも正直な所です。Senna: 結果的に、その期待通りにメンターと出会うキッカケになったわけですね。フットサルを通じて人脈が広がり、メンターとの出会いにも繋がったと。Yuki: そうです。期待通りといえるほど計画していたわけではありませんでしたが、結果的にはメンターも仕事探しもこのフットサルに参加したことで全てが繋がっていきました。メンター探しとその効果Senna: 5月にカナダに来て、フットサルを始めたのが6月頃、そして9月にはメンターにお願いするという流れでしたね。メンターに依頼してからの経験を振り返ってみて、何かアドバイスがありますか?特に、これからメンターを探す人たちに向けて。Yuki: メンターをやってくれるという人はたくさんいるんですが、実際にメンターをお願いする人は少ないですよね。Senna: そうですね。Frogのメンターリストにも現時点で20名以上の現地のシニアからジュニアまで多くのメンターをしてくれる方々が載っていますが、なかなかメンティー側のアクションが少ないようにも思います。Yuki: 私の場合は、友達のような関係になってからお願いできたので良かったのだと思います。最初から「お願いします」と初対面で言うのは難しいですしね。Senna: 確かに、いきなりお願いするのはハードルが高いですね。特に、相手に断られるのが怖いという気持ちがあるのかもしれません。Yuki: そうですね。特に、優秀なメンターさんほど連絡するのが怖い、私なんかがと感じることがありました。Senna: では、メンター探しのアドバイスとしては、まず友達のような関係を築くことが大事だということでしょうか。Yuki: はい。私の場合はフットサルがきっかけで友達のような関係になり、その後メンターとしてお願いすることができました。それがなかったら、メンター関係は続かなかったかもしれません。Senna: メンターの効果についても聞いて良いですか?Yuki: はい、とても大きかったです。他の人はUdemyなどで自分で勉強していましたが、私の場合、メンターから「何かを作りながら学びなさい」という方針がありました。あとはReactからではなく、Next.jsから学び始めました。Senna: いきなりNext.jsからですか。Yuki: そうなんです。最初は起こっているエラーの原因がJavaScriptなのかReactなのかNext.jsなのか分からなかったり、苦労したのですが、作りながら学ぶことで、より実践的な技術が身につきました。現在の仕事でもNext.jsを使う機会があり、非常に役立っています。Senna: そういう実践的なアプローチが成功の鍵だったんですね。作りながら学ぶというスタイルがYukiさんにとっても合っていたようですね。メンター終了後の活動とプロジェクト作成Senna: メンターが終わった後、具体的には何をしていたんですか?まだ学校は続いていたかと思うんですが、その期間の活動について教えてください。Yuki: メンターが終わった後は、チームプロジェクトでアプリを作成しました。これは学校のカリキュラムとは関係なく、自主的にポートフォリオに載せるために作ったものです。ただ、その時も授業は続いていました。プロジェクトを3月から5月くらいにかけて作り終えて、授業は6月に終了しました。Senna: そのプロジェクトはチームで行ったものなんですね。ポートフォリオに載せるために、自主的に行ったということですね。Yuki: そうです。日本人の経験者のメンバーと一緒に自主的に作りました。就活の準備と初めての日本の仕事Senna: その後、6月頃から就活の準備を始めたとおっしゃっていましたが、どのような形で進めていったんですか?Yuki: 就活の準備は、6月から始めましたが、経験がないので日本の会社やボランティアに焦点を絞りました。実際にアプライし始めたのは7月で、8月には、日本の会社とボランティアのポジションが決まりました。Senna: それは素晴らしいですね!日本の案件はどうやってその仕事を見つけたんですか?Yuki: 私の作戦としては、とにかくあらゆる手段で面談を設定することでした。面談さえ始まれば、自分のやる気やスキルをアピールする自信はあったので。Senna: なるほど、そこからフリーランス的に働ける形に持っていったんですね。それは素晴らしい行動力ですね。業界経験がないことは、足かせにはならなかったんですか?Yuki: そうですね。もちろん業界経験があった方が選択肢は広がったと思います。ただ、日本の場合は業界経験がないとしても、十分仕事が見つかるので、やはり北米圏と比べるとだいぶ状況が違うと感じました。Senna: そうすると、その時期は日本の仕事、ボランティア、そしてカフェのバイトを同時にやっていたということですかね。トリプルワークで働くのは大変だったんじゃないですか?Yuki: そうですね、8月から11月までの間は、日本の仕事、ボランティア、そしてカフェのバイトでトリプルワークをしていました。正直、とても大変でしたが、その時は自分の職歴を作るフェーズだと考えていたので、なんとか頑張り抜いた感じですね。Senna: それはすごいですね。ボランティアはずっと無給だったんですか?Yuki: 11月にボランティアがパートタイムの有給ポジションに変わりました。そのタイミングでカフェの仕事を辞めて、本格的に就職活動を再開した流れですね。Senna: それはいつ頃の話ですか?Yuki: 2023年の11月ですね。トリプルワークと厳しい日々Senna: となると2023年の11月にボランティアがパートタイムになる頃まで、約4ヶ月間は地獄のようなトリプルワークだったんですね。日本の仕事、ボランティア、そしてThierryでのバイトと、3つを同時にこなしていたと。Yuki: そうです。全て入れると週に50時間以上働いていました(笑)Senna: それはかなりハードですね。そんな過酷なスケジュールの中、どうやって体力的に持ちこたえたんですか?Yuki: 正直、持ちこたえていませんでしたね、かなり大変でした。日本にいた時はデスクワーク中心だったので、急にThierryでのバイトや他の仕事を掛け持ちするのは体力的にしんどかったです。20代前半のような体力はありませんでした(笑)リセッションの影響と就職活動Senna: その頃はリセッションも始まっていて、求人市場は厳しかったと思いますが、就職活動はどうでしたか?精神的には落ち込むことはありませんでしたか?Yuki: そうですね、リセッションの影響で、職を見つける難易度は確実に上がりました。特に未経験者にとっては厳しい時期だったので、焦ることはありましたが、この時はメンターのYuyaさんはもちろん、Ryoさんからも「まずは職歴を積むことが重要だ」とアドバイスを頂いたので、とにかくその時期は職歴を積むことに集中しました。ただ、一方でRyoさんからは「なんでアプライし続けていないの?」と何度も注意され、ちょっとプレッシャーを感じていましたね(笑)厳しくも親身になってメンターや指導してくれたYuyaさん、RyoさんSenna: 確かに、リセッション時期の就職活動は厳しいですよね。メンタル的にはどうでしたか?やっぱり未経験者にとってはリセッションという言葉自体が重くのしかかると思うんですけど。Yuki: 実際、11月から本格的に応募を始めて、1月に一つオファーをもらったんです。それがメンタル的には救いになりましたね。初めてのオファーとレイオフの経験Senna: トロントの会社さんでしたよね。Yuki: そうなんです。オファーをもらったんですが、結局お断りすることになりました。Senna: 未経験で得たオファーを蹴ったと!それはまたなぜですか?Yuki: メンターのYuyaさんにも相談し、もちろん受けるべきだとアドバイスを頂きました。加えて、実は11月にボランティア先がパートタイムになり有給にしてくれていたんですが、1月にはそのボランティア先からレイオフされてしまったんです。資金不足で給料を払えなくなったんです。そしてそのレイオフを受けた2日後にオファーをもらったこともあり、当初はオファーを受ける気満々だったんです。Senna: なるほど、パートタイムの給与が払えないほどに切羽詰まったということですかね。Yuki: そうですね、ボランティアとして残り、できる範囲で続けてくれても良いと言われてたのですが、その後すぐにオファーをもらったので、そちらに集中することにしました。オフィス訪問とリッチモンドヒルの現実Senna: そのオファーを受けるために、トロントのリッチモンドヒルにオフィス訪問までされたんでしたっけ?Yuki: はい、実際にオフィスに行きました。トロントまで飛行機で行ったんですが、着いた直後に「急用ができたので、今日はオフィスに来れません」と連絡が来たんです。Senna: え、それはひどいですね!わざわざバンクーバーから飛行機で行ったのに、そんな対応をされるなんて…。Yuki: 本当に驚きました。でもせっかく行ったので、アポなしでオフィスに突撃しました。結局、上の人が出てきてオフィスの案内をしてくれました。Senna: それで、結局そのオファーは断ったんですね?Yuki: はい、オフィスの場所も孤立していて、バスを乗り継いで行かなくてはならず、カフェやレストランもないような場所でした。また、チームメンバーは自分含めて3人とかなり小さいチームで、ここでのキャリアアップは見込めないと思い、お断りさせていただくことにしました。未経験からの転職と大きな決断Senna: リッチモンドヒルのオフィスに行った結果、最終的にそのオファーを断ったわけですね。未経験者にとって、職歴をつけるためにどんなチャンスでも取りたいという人が多い中で、それを断るのは勇気のいる決断だったと思います。Yuki: そうですね。ただ、その時は本当に単純に「ここには行きたくない」と思ったんです。トロントまで行って、実際にオフィスを見た結果、私には合わないと感じたので、すぐに決断しました。Senna: それは確かにシンプルな決断だったんですね。でも、その後はどうでしたか?オファーを断った後、再び就職活動を再開したわけですよね?Yuki: はい、2月末にオファーを断って、そこから再び就活を始めました。でも、その時が一番メンタル的に辛かったです。全然仕事が見つからなくて、精神的にしんどくなりました。Senna: どのくらい応募したんですか?Yuki: 11月から始めて、最終的に300社以上に応募しました。LinkedInの「Easy Apply」なども含めるとそれ以上かもしれません。面接まで進んだのは5社で、そのうちオファーをもらったのは2社です。Senna: 300社応募して5社の面接、それでも2社のオファーを得たのはすごいですね。でも、その期間中のメンタルの維持は相当大変だったんじゃないですか?Yuki: そうですね、特に4月は1つも面接が通らなくて、本当に辛かったです。5月にやっと2社の面接に進めたんですが、その2社も結局落ちてしまい、その時が一番メンタル的に限界を感じました。Senna: それで、どうやってその時期を乗り越えたんですか?Yuki: 8月までに決まらなかったら、年内まで遊んで日本に帰ろうと決めていました。期限を決めることで、多少は気持ちが楽になりましたね。Frogを通じて得たチャンスSenna: それでも最終的に今の仕事を見つけたんですよね。その流れについて教えてもらえますか?Yuki: FrogさんのSlackの求人チャンネルで、Shaun(Frogビザコンサル)のソフトウェア開発者の求人投稿を見たんです。ちょうど私が以前ボランティアで作っていたアプリと似たような内容のポジションだったので「これは!」と思いました。さらに、Shaunとは以前サッカーで会ったこともあったので、彼に話を聞いてみようと思い連絡させていただきました。Senna: それでカバーレターを送ったんですね?Yuki: はい、初めてその時にカバーレターをカスタマイズしました。今までは定型文を使っていたんですが、このポジションには本気で応募したいと思ったので、カバーレターをしっかり作り込みました。結果的に、2〜3週間経った頃に面接の案内が来ました。Frogのリファラルと周囲のサポートSenna: Shaunにも事前に連絡して、会社の情報を得ていたんですよね?Yuki: はい、Shaunから会社の雰囲気やポジションについて情報をもらいました。とてもサポーティブな会社だと感じましたし、その後の面接でも良い感触を得ることができました。Senna: 実際に働き始めてみてどうですか?会社のサポート体制や雰囲気は良さそうですか?Yuki: そうですね、とてもサポーティブな会社です。Shaunからも聞いていた通り、ビザのサポートなども積極的に行ってくれています。チームは全員リモートで、特にデベロッパーは北アフリカとヨーロッパにいるメンバーが多いんですが、今のところ問題なく働けています。Senna: それは良いですね。自分の技術とネットワークをうまく活かして、最終的に良い会社に巡り会えたんですね。Shaunからもリファラルを得ていたということですが、それがどれだけ影響力を持っていたのかは分かりませんが、リファラルがあると安心しますよね。Yuki: はい、Shaunも助けてくれましたし、就活の時期は、Ryoさんにレジュメやカバーレターのチェック、面接のアドバイスをもらっていました。Ryoさんが暇な時、月に一度くらいの頻度で一緒に勉強する機会があったんですが、その時にいろいろと相談にのってもらっていました。Senna: 結果論にはなるかもしれませんが、YukiさんはサッカーやFrogで培ったネットワークをうまく活用して、様々なチャンスを手に入れてきたんですね。そのチャンスを得るための努力が実を結んだということだと思いました。面接から採用までのプロセスSenna: それにしても、いくらリファラルがあったからと言っても、ジュニアとして採用されるというのは困難があったのではと思いますが、何が採用の決め手だったんですか?Yuki: ボランティアでほぼ同じアプリケーションを作っていた経験がかなり大きかったと思います。面接は2時間でしたが、行動面接はかなり省かれ、ほとんどがコーディングのテストでした。詰まったところや分からないところは、都度質問したり確認しながら行いました。Senna: 面接ではコーディングテストがメインだったんですね。それでいつ結果が出たんですか?Yuki: 面接の翌日には最終面接の連絡が来ました。その最終面接の5分前に会社のSlackに招待されて、ハドルで最終面接が始まったので、感触としてはほぼ入社は決まっていたのかなと思います。就職後の生活と今後の展望Senna: 就職してからの生活はどうですか?ジュニアとして入社したわけですが、プレッシャーや苦労はありましたか?Yuki: 実は、つい先日プロベーション(試用期間)が終わったばかりなんですが、まだ大きな壁にはぶつかっていません。会社のチームがモバイルアプリのローンチに集中していて、私はその間にWebバージョンのコンポーネントを作成しています。Web側が忙しくなるのはこれからですね。Senna: なるほど。モバイルが終わった後、Web版の開発が本格化するという感じですね。Yuki: そうですね。今はモバイルアプリのバグやスタイリング修正をリストアップするドキュメンテーション作成を中心に行っていますが、これからが本番になると思います。キャリアアップの目標と今後の展望Senna: 今後のキャリアについてはどんな計画を立てていますか?もちろん、今の職場でWeb版をリリースするのが大きな目標だと思いますが、それ以外にも何か目指しているものはありますか?Yuki: まずは、LMIA(企業サポートの就労ビザ)の取得を目指しています。加えて、今後はReact Nativeを使ったモバイル開発にも挑戦してみたいです。会社からも簡単なタスクからモバイル開発にも参加してほしいと言われているので、そこに関わることでスキルの幅を広げられたらと思っています。Senna: それは良い機会ですね。スタートアップのフレキシブルな環境がキャリアの幅を広げてくれると良いですね。Yuki: そうですね、現在はスタートアップなので、色んなことをやらなくてはいけないのですが、今後はある程度規模の大きい会社に移ることで、大きく売上を上げるプロダクトの開発やメンテナンスに携わりたいとも思っています。今の経験を活かしつつ、次のステップとして様々な環境にも挑戦したいです。これから海外就職に挑戦する人へアドバイスSenna: 最後に、これからYukiさんのように海外でキャリアを築こうとしている人たちに向けて、何かアドバイスはありますか?Yuki: まず、運が非常に大きな要素だということを理解しておくことですね。自分でできることに集中して頑張るのが重要ですが、最終的には運も大きく関わってきます。Senna: それは間違いないですね。海外就職の何が辛いって、どこまでが運で、どこまでが自分の実力なのかわからないってことですよね。うまく行かないことを全部自分のせいにしてしまう人が多い中、刺さる人も多いアドバイスだと思います。Yuki: あとは努力する期限を決めておくことも重要ですね。私自身も「8月までに決まらなかったら帰国しよう」と期限を決めていました。期限を決めることで、集中して努力できた部分もあると思うので、これから挑戦する方々には、自分なりの期限を設けるということを提案させて貰いたいですね。Senna: なるほど。確かにいつまで頑張れば良いかわからない、先が見えない恐怖というか不安というのは計り知れないですしね。Yuki: そうですね。そして最後に、私はYuyaさんやRyoさんのようなメンターや相談出来る人、そしてカレッジの友達に支えられていたのが大きかったです。座学が終わった後も、一緒に勉強できる友達がいて、それが励みになっていきました。毎日集まって勉強したり。Senna: もし、そういう人たちが周りにいなかったら、どうなっていたと思いますか?Yuki: 正直、帰っていたと思います。やっぱり一人だと続けられなかったでしょうね。Senna: 同じ苦労を共有できる仲間がいないと、特に業界経験がない人には辛いですしね。そういう意味でも、仲間の存在が大事だったということですね。Yuki: はい、本当に大事でした。Senna: そうやって周囲の人たちに感謝出来ることもYukiさんの強さの秘訣なのかもしれませんね。今日は沢山のことを共有していただいてありがとうございました。皆様いかがでしたでしょうか。業界経験がなければ海外での現地就職が100%無理かと言われれば、もちろんそのようなことはなく、このインタビュー記事を見返しても数多くの方がその目標を実現されています。もちろんSNSなどを見れば『無理だ』『不可能だ』と言った投稿をよく目にすることになると思いますが、そのために過去目標を現実にした人々がどのような努力をしてきたのか、知らなくて良いことにはなりません。加えて業界未経験としてカナダに挑戦し、現地就職や永住権を達成しなかった方々の多くであっても、日本へ帰国後大きなキャリアアップを達成しています。是非今回のYukiさんのインタビュー内容を参考に、今後自分たちがどのように行動すべきか、指針の一つにして頂ければと思います!

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日本の大学の単位をアメリカの大学に移行し卒業。現在はSalesforceで活躍中のHideyukiさん
インタビュー

日本の大学の単位をアメリカの大学に移行し卒業。現在はSalesforceで活躍中のHideyukiさん

こんにちは、FrogメンバーのTomokiです。今回インタビューに応じてくださったのは、日本の大学からシアトルのワシントン大学(University of Washington、以下 UW)に編入した経歴を持つHideyukiさんです。HideyukiさんはSalesforceにてソフトウェアエンジニアとしてご活躍されており、インタビュー時点ではバンクーバーのSalesforceブランチにて活動されており、今後シアトルへ戻る予定という方です!全く予想もしない形で、アメリカへ留学をされたHideyukiさんのストーリーはまさに紆余曲折です。現在アメリカでの永住権の獲得を目標とされているHideyukiさん。今後、アメリカ留学を検討されている方々へHideyukiさんの経緯は様々な面から参考になるかと思います。交換留学での失敗をきっかけに、アメリカの大学に正規留学Tomoki: 本日はお時間頂きましてありがとうございます。それではよろしくお願いいたします。Hideyuki : よろしくお願いします。Tomoki: では、早速ですが今までの経歴や昔のバックグラウンドなどを教えてください。Hideyuki: 私は日本で生まれ育ち、日本の中学・高校に通っていました。大学も最初は日本の大学に入学しました。入学当初、留学は全く考えていなかったのですが、大学2年次のときに留学制度に応募し、3年次に交換留学することになりました。Tomoki: 文系から理系での編入となりますが、まず交換留学でのご経験をお聞かせください。Hideyuki: 商学部に所属していたので、留学先のUWでもビジネス関連の授業を取る予定でした。しかし、アメリカの学生たちが授業中に積極的にディスカッションする姿を見て、少し尻込みしてしまいました(笑)。Tomoki: 私もこちらのディスカッションでかなり熱くなる生徒がいる話を伺ったことはあります。時には声を荒げる人もいるとか。Hideyuki: そうなんです。リスニングはできても、相手の話を理解してすぐに返答する自信がありませんでした。それでも単位を取らなければならなかったので、コンピューターサイエンスの授業に集中することにしました。実は、留学前からプログラミングを独学し、機械学習や人工知能を活用する企業でインターンもしていたので、基礎からしっかり学びたいと思っていたんです。ところが、帰国後に日本の大学に単位を移行しようとしたところ、ほとんどの単位が認められないことが判明し、留年が確定してしまいました(笑)。Tomoki: そんなことありますか?(笑)私もある程度の数の留学生と話してきたつもりですが、一番インパクトのあるストーリーですね。当時は、コンピューターサイエンスのクラスは単位が交換できないことはご存知なかったのですか?Hideyuki: 一応、商学部とは関係のないクラスも履修できるとは聞いていましたが、日本に同じ科目がない場合は単位を移行できない可能性があると事前に伝えられていました。ただ、まさか全ての単位が移行できないとは思っていませんでした。Tomoki: 1年分の単位が無駄になったと思うと、ショックも大きかったですよね。Hideyuki: 最初はショックでしたが、逆に日本の大学の単位をUWに移せないかと考えました。UWに問い合わせたところ、編入試験に合格すれば可能だと言われ、急遽UWへの編入を目指すことにしました。Tomoki: それでは、Hideyukiさん的には、元々はアメリカの大学への正規留学など全く考えていらっしゃらなかったのですか?Hideyuki: 全く考えていませんでした。交換留学が終わる直前に、日本人のティーチングアシスタント(TA)の方と出会い、その方も日本の大学からUWに編入していたんです。詳しく話を聞いて、自分も同じ方法で編入できるかもしれないと思いました。Tomoki: 日本の大学の単位は、全て移行できたのでしょうか?Hideyuki: はい、ほとんどの単位を移行できました。Tomoki: それはかなり珍しいケースですよね?通常だと移行できない単位が多いという話を聞きますよね。Hideyuki: そうですね。UWはその点で寛大で、必要な書類を提出すると、かなり融通を利かせてくれた印象があります。自分で英訳したシラバスや英文の成績証明書を提出したのですが、シラバスの英訳は少し手間がかかりました。UWは提出された書類を精査し、どの単位がUWのどの授業に相当するかを判断し、入学直前に合格者に通知していました。他にもUBC(ブリティッシュコロンビア大学)のコンピューターサイエンス学部からも合格をもらいましたが、UBCでは単位の移行がほとんど認められませんでした。Tomoki: すごいですね!今後アメリカへの編入を考えている方向けのループホールみたいな参考になりますよね!笑 UWに正規編入する前に、Bellevue Collegeに通われていますがこちらはどのようなカレッジだったのでしょうか?Hideyuki: UWに編入するためには、英語圏でのアカデミックライティングや、日本の大学で履修していなかった自然科学系の単位が必要でした。そのため、Bellevue Collegeにて2クオーター在籍し、それらの単位を取得しました。日本の大学VSアメリカの大学Tomoki: 日本の大学とアメリカの大学を両方経験されたHideyukiさんにご質問なのですが、両者を比較した際に何が大きく違いますか?Hideyuki: 時間の使い方が大きく異なっていました。私が通っていた日本の大学の商学部では、課題の量が少なく、自分の時間をかなり確保できていました。その時間を使って、サークル活動をしたり、他大学の人と機械学習の学習団体を立ち上げたり、エンジニアとしてインターンをしていました。一方、アメリカの大学では課題の量が非常に多く、課題をこなすだけで一日が終わってしまう感覚でした。分散合意システムやセルフホスト可能なコンパイラを複数人で実装するような課題が多く、毎日キャンパスの地下にあるラボでコンピューターサイエンスの宿題に取り組み、夜中にUber Eatsでマクドナルドを頼んだり、同級生とインタビュー対策をしたりする生活を送っていました。途中からはコロナ禍の影響で、ほとんど家でオンライン授業を受ける生活に変わりましたが...。Tomoki:  留学中は、フルタイムで5クラス全部取っていたんですか?Hideyuki: そうですね。基本的には4クラスか5クラスがメインでした。Tomoki:  それはかなりチャレンジングなスケジュールになりますよね。Hideyuki: コンピュータサイエンスのクラスは、負担の大きさから3つ以上履修するのは推奨されていなかったので、2〜3クラスに抑え、残りのクラスは卒業に必要な一般教養科目で埋めるようにしていました。Tomoki:  なるほど。それでもかなりの負担だったのではないですか?Hideyuki: はい。9月に入学した1ヶ月後にインターンの選考が始まったこともあり、特に時間のやりくりが大変でした。ただ、学費のことを考えると、一年でも早く卒業する方が良いですし、さらに、UWに編入する際にギャップイヤーを1年取ったこともあって、なおさら早く卒業したいという気持ちが強かったので、ある程度の負担は覚悟して受け入れました。Tomoki: 比較的大変なことが多かったとは思いますが、楽しかった思い出はどのようなことがありますか?Hideyuki: 日本の大学では、大学外での繋がりを広げることが特に楽しかったです。例えば、先ほど話した機械学習の学習団体の立ち上げに携わったり、インターンを通じて同じ興味を持つ人たちとつながることができました。エンジニアリングコミュニティとしての活動が非常に充実していて、それが日本の大学での一番の楽しみでした。一方、アメリカでは学校外の活動に時間を割くのが難しかったですね。課題の量が多かったことや、コロナの影響で、学内のコミュニティを中心に活動していました。例えば、みんなで課題に取り組んだり、就活の時期には一緒にインタビュー対策をしたりと、常に誰かと協力しながら進めていくのが良かったです。同じ学部内でのつながりが非常に強く、それが支えになっていたと感じています。大学のキャリアフェアで得たインターンのチャンスTomoki: やはりどなたも大変な思いをして卒業されて素晴らしいですね。それでは、Salesforceでインターンを得たまでの経緯をお伺いしてもよろしいでしょうか?Hideyuki: わかりました。私が入学したのは2019年で、当時はエンジニアが非常に売り手市場でした。Salesforceでのインターンの機会は、大学で開催されたキャリアフェアを通じて得ました。その時、学校に来ていた企業は、Google、Amazon、Microsoft、Facebook、Airbnb、Nvidiaなど、名だたる企業ばかりでした。中には2020年卒業見込みのフルタイム採用のみを募集している企業や、修士号を取得予定でないとビザサポートが出ない会社もありましたが、大半の企業はレジュメを受け取ってくれました。Tomoki:  すごいですね。。。Hideyuki: 本当にどれほど盛り上がっていたかというと、キャリアフェアでレジュメを渡した翌日にインタビューが設定されるくらいでした(笑)。そのスピード感で最初に受けたインタビューはAirbnbでした。当時、2019年の9月に編入したばかりで、キャリアフェアが10月に開催されていたんです。ですので、ほとんど何もわからない状態でキャリアフェアに参加し、インタビューまで進んでしまいました(笑)。そのまま、人生初のコーディングインタビューをAirbnbのエンジニアと行いました。Tomoki: 内容はどうでしたか?Hideyuki: 緊張と焦りで本当に何もわからなくなり、正直に担当者に「一緒に解いてもらえませんか?」とお願いしてしまいました(笑)。Tomoki: そんなことアリですか?(笑)Hideyuki: もちろん、そんなことはできないので、解答を教えてもらうわけではなく、逐一自分の考えを伝えながら、相手の反応を見てコードを書き進めていくという感じになりました。Tomoki: 結果はどうでしたか?Hideyuki: なぜか本当にわからないのですが、二次面接に進むことができました(笑)。ですが、今となっては、問題を解くスピードよりも、自分の思考を言語化し、コミュニケーションを取りながらコードに落とし込むプロセスを見ていたのかなと思います。Tomoki: そんなことがあり得るんですね。(笑)Hideyuki: ただ、二次面接をスケジュールしている際にポジションが埋まってしまい、残念ながら二次面接はキャンセルとなってしまいました。Tomoki: それは少し残念でしたね。その他にはどこかと面接されましたか?Hideyuki: 他には、Facebook(現 Meta)と面接をしました。Tomoki: 名だたる大企業の面接まで進んですごいですね!こちらはどのような結果となったんですか?Hideyuki: Facebookのインタビューを受ける前に、実際にインターンするチームはインターンが始まるまでわからないと言われていたので、リクルーターの方に交渉して、セキュリティ関連のチームで働きたい旨を伝えました。ゴネた、という表現が正しいかもしれません(笑)。一次面接通過の連絡を受けた次の日に二次面接があり、その後、セキュリティチームとの面接も調整してくれたのですが、本当にセキュリティ分野に関する質問ばかりで、まったく太刀打ちできませんでした。後でリクルーターから送られてきた募集要項を再確認してみると、"Master or PhD Recommended" と書かれていました。むやみに交渉するものではないですね(笑)。そんな経緯もあって、結局Facebookとは縁がありませんでした。Tomoki: Salesforceも同様なスケジュールで進んだのですか?Hideyuki: Salesforceはキャリアフェアの直後にオンラインアセスメントがありましたが、その後インタビューまで少し時間があったので、準備する余裕がありました。一次・二次面接はコーディングインタビューで、三次面接はHiring ManagerとのBehavioral Interviewでした。入念に準備していたこともあり、インターンのオファーをいただき、さらに最終面接を担当したマネージャーが管轄するセキュリティ関連のチームでインターンできることを確約してもらえました。Salesforceタワー前での一枚Salesforceでのインターンから入社までTomoki: キャリアフェアでの体験談を詳しく説明してくださいましてありがとうございます。インターン時期はどのような業務にたずさわっていましたか?Hideyuki: インターンの際は、先程の Hiring Manager が管轄する、Identity and Access Management (以下 IAM) Organization で仕事をしていました。現在も同じ部署で働いています。Tomoki: 社員のアクセス権限を管理する部署ですよね?どのような業務をされたのでしょうか?Hideyuki: そうです。詳しい内容には言及できないのですが、認証認可システムのプロトタイプ作成を、私を含めたインターン生3人で担当するのが主な業務でした。ゼロからの実装ではなく、既存のシステムや社内ライブラリを活用する形でしたが、技術スタックの選定やデザインは私たちに一任されていました。最初の1ヶ月はデザインドキュメントを作成し、フィードバックを受けて改善に集中していたため、実装に取りかかったのは残りの2ヶ月間でした。実装後は、社内のエンジニアにプロトタイプを使用してもらい、その使用感に対するフィードバックを集め、業務効率の向上度合いを測定しました。普段のコミュニケーションから技術的なディスカッションまで、すべて英語でこなすのは初めての経験だったため、インターンの3ヶ月間は毎日緊張していました。しかし、このプロトタイプは実際に他のエンジニアに引き継がれ、私が入社した際にはプロダクション環境で動いていたので、とても嬉しかったです。Tomoki: とてもレベルの高い内容ですね。そちらの成果が評価されてリターンオファーを貰えたという流れでしょうか?Hideyuki: そうですね。インターン生三名ともリターンオファーを無事貰えました。Tomoki: 入社一年目の業務はどのような内容でしたか?Hideyuki: インターン時とは異なり、実際に社内で使用されている既存のセキュリティ関連プロダクトの開発、運用、保守を担当しました。また、時期によってはセキュリティ関連のリサーチを行い、その結果を基にプロトタイプの開発にも取り組みました。もちろんオンコールもあり、PagerDutyが鳴らないことを祈りながら仕事をしていた時期もあります。ただし、オンコールは日中のみだったため、夜中に起こされることはありませんでした(笑)。Tomoki:  ありがとうございます。Salesforceで3年勤務されて、現在はシニアのタイトルがついておりますが、業務内容に変化はありましたか?Hideyuki: 基本的な業務内容に大きな変化はありませんが、現在はプロジェクトをリードする立場となりました。具体的な内容はお話できませんが、パスワードレス認証の分野で特許を取得するなどの業務を担当しました。オアフ島の Kualoa Ranch (ジュラシックパークの撮影地)で乗馬する様子グリーンカード取得の難易度、バンクーバーへの一時的なリロケーションTomoki: Sennaさんも軽く触れておりましたが、アメリカのビザの関係でバンクーバーに一時的に引越しされたと伺っています。こちらはどのような経緯なのでしょうか?Hideyuki: そうですね、アメリカのビザは少し特殊で、H1-Bビザという就労ビザを取得するには、企業からのスポンサーを受けることに加え、抽選に当選する必要があります。大学卒業後には、STEM系の学位を持つ場合、3年間有効なOPT(Optional Practical Training)という就労ビザが発行され、その間アメリカでの就労が許可されます。しかし、3年を超えて就労を希望する場合には、H1-Bビザの抽選に当選しなければなりません。最終学歴によって抽選確率が異なり、学士号の場合、抽選確率は低いです。つまり、OPTが切れる3年以内に当選しなければならず、最近では当選確率が10%を下回っているという話もあります。ただし、修士号や博士号を持っている場合、修士以上の学位保持者を対象とした別の抽選もあるため、当選確率はやや高くなりますが、運の要素が強いと言えますね。Tomoki: カナダとは比較にならない難易度ですね。Hideyuki: これまでに4回ほどH1-Bビザの抽選に応募しましたが、いずれも当たりませんでした。OPTで働ける期間も終了したため、会社が一時的に別の国で働くプログラムを提案してくれました。アメリカに本社を置く企業で、アメリカ国外のオフィスに1年間勤務すると、L1ビザ(駐在ビザ)が発行される仕組みです。このプログラムを受け入れ、現在はその流れでカナダの ICT (Intra-Company Transfer)ビザを使い、アメリカにいるチームに対してリモート勤務していますが、引き続き会社がH1-Bビザの抽選に応募してくれるため、いずれか早く取得できるビザでアメリカに戻る予定です。Tomoki: なるほど。そういうプログラムがあるのですね!Hideyuki: 最近では、OPT期間中にH1-Bビザの抽選に当選しないケースが増えており、大手企業では一度アメリカ国外のオフィスに社員を派遣する流れが主流になってきています。ただし、全員がこのようなプログラムを提供されるわけではなく、マネージャーや上層部のリーダーシップからの許可が出た場合のみ、アメリカに戻るプランが提示されます。他の国に恒久的に異動するケースや、最悪の場合、会社を辞めざるを得ないこともあります。Tomoki: かなり大変なプロセスですが、Hideyukiさんがアメリカでの就労にこだわる理由というは何かあるのでしょうか?Hideyukiさんのキャリアなら、一年後にカナダでの永住権も応募できますよね?Hideyuki: 移民弁護士からは、1年後にカナダの永住権プロセスを開始できると言われています。ただ、やはりアメリカの方が Early Career から Mid Career にかけてのエンジニアのポジションの多さでは圧倒的だと感じています。もちろん、カナダからリモートワークのポジションを得る選択肢もありますが、LinkedIn経由で連絡がきた大手テック企業のリクルーターからは、現職で Senior のタイトルが付いているとはいえ、リモート採用をするにはもう一段階昇進する必要があると言われました。また、この3年間で築いたネットワークはほとんどがアメリカの西海岸にあるため、できるだけその環境に身を置きたいとも考えています。Tomoki: そうなんですね。バンクーバーに引越されて一ヶ月ほどと伺ってますが、アメリカと比較してカナダでの生活は何か違いますか?Hideyuki: まだ1ヶ月ですが、バンクーバーの方が食事や治安の面で住みやすい印象があります。パンデミック以前はそれほど違いを感じていなかったのですが、シアトルはコロナ以降、特にダウンタウン周辺の治安が悪化しました。そのため、夜遅くまで営業しているお店も少なく、バンクーバーに来てからの方が、ふらっとショッピングや外食を楽しむ機会が増えました。ただ、一点だけ心残りがありまして。Tomoki: はい、なんですか?Hideyuki: 給与面で大きな調整が入ってしまったんです。シアトルにいた頃は、州に所得税を納める必要がありませんでした。しかし、リロケーションに伴った物価調整で基本給がそこそこカットされました。人によっては、50%から70%の調整が入ることもあるようです。私の場合、調整分は追加のRSU(譲渡制限付き株式)で補填されましたが、それでもキャッシュと株式の配分が大きく変わるのは複雑な気持ちです。Tomoki:  人によって、給与が半分になったりする可能性がありますよね。。。Hideyuki: そうですね。さらに、バンクーバーでは所得税や車の保険料も高いため、物価調整が入る割には、手取りに対する生活コストはそれほど変わらないように感じます。もちろん食費や家賃を考慮すると一概に比較はできませんが。Tomoki: 私もそこまで大きな差があるとは知りませんでした。お仕事の面では何か支障とかはありましたか?Hideyuki: これに関しては全くありませんでしたね。もともとフルリモートだったのもありますし、私の上司と直接あったのも入社から2年以上経ってからなんで。(笑)Tomoki: そこまでオフィスワークを重視しないのもすごいですね。(笑)Hideyuki: 逆にオフィスで働いた経験がありませんね。諸島でダイビングをする様子今後のキャリアについてTomoki: Hideyukiさんの今後のキャリアパスをお伺いしてもよろしいでしょうか?Hideyuki: そうですね。まずは、一つ目のマイルストーンであるシニアエンジニアになることは達成しましたので、今後は自分が携わる領域を、認証認可に限らずさらに広げていきたいと考えています。もし、今のチームでこれ以上の成長が難しいと感じた場合は、新しい会社への転職も視野に入れるかもしれません。Tomoki: なるほど。Hideyuki: とはいえ、シニアエンジニアになったばかりですので、まずは現在のチームで自分の力を最大限に発揮しつつ、新たに加わるメンバーの育成にも取り組む予定です。今年の9月から新しいメンバーがチームに加わるので、そのサポートにも力を入れ、次の2〜3年間はチームの成長に集中したいと考えています。Tomoki:  ありがとうございます。スコープを広げていくというお話の中で、具体的に専門的に極めたい分野などはありますか?先ほど、セキュリティに興味があるとおっしゃっていましたが、他にも何か注力したい分野はありますか?Hideyuki: 今のところ、セキュリティ分野から離れるつもりはありません。デバッグやシステムの堅牢化といった業務が楽しく、現チームからもその点が評価されているため、自分の強みとして認識しています。また、本業とは別に、去年スキューバダイビングのプロ資格を取得し、NPOと協力して海洋調査などにボランティアとして参加しています。今年は8泊9日のメキシコでの船上生活をしながら、マンタの生態調査を行いました。この活動はSalesforceからもスポンサーされているので、引き続き取り組んでいきたいと思っています。今後のアメリカ留学を考えている方々へTomoki: 色々と詳しくご回答してくれてありがとうございます。最後に、今後アメリカへの留学を検討されている方々に何か一言ありますか?Hideyuki: 個人的にはタイミングが非常に重要だと思っています。特にアメリカの場合、ビザは卒業後からしか発行されないという制約が非常に大きいです。例えば、アメリカで働きたいという理由で大学を卒業しても、その時点で市場に多くのポジションがない場合もあります。そのため、状況を見極めることが非常に重要だと感じています。Tomoki: そうですよね、今アメリカ・カナダの就職が大変なことになってますよね。Hideyuki:はい。採用を凍結している会社が非常に多いです。実際に働いている方にまずコンタクトを取って、その会社が現在どのような状況にあるのかを把握した上で計画を立てることが、一番重要なポイントだと思います。アメリカでは卒業後に一度タイミングを逃すと、ビザを発行してもらうことは不可能なので、その点をよく考慮する必要がありますね。やはり、タイミングや自分がいつアクションを起こすかが最も重要なポイントになると感じています。Tomoki: カナダではワーキングホリデーなので延長するケースも聞きますが、そのような選択肢を持つことができないアメリカでの就職はかなりシビアですよね。Hideyukiさんが仰っているタイミングの重要性も納得ができます。Hideyukiさん本日はどうもありがとうございました!大学の交換留学を機に大きなキャリアチェンジを試みたHideyukiさんのご経歴でした。単位をほぼ無駄にすることなくトランスファーし、時間・費用を大きく節約された方法はまさに目から鱗ですよね。UW以外にもこのような大学は存在しているかと思いますので、北米留学を検討している方は興味のある大学に直接問い合わせても良いのではないでしょうか。Hideyukiさんの仰るとおり、大学卒業後もアメリカへの永住は運に大きく左右されます。自身が希望している業界の雇用市場がどのように変化しているか、常にアンテナ張り続ける姿勢はとても重要だと思います!ご覧になられた皆さんもHideyukiさんのご経験を参考に海外留学をチャレンジしてみてください!Frogでは今後ともデザイナー、エンジニアの海外就職事例を取り上げていきますので、よろしくお願いします!

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