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Frogが選ばれるわけ
私達がご提案していることは、単に英語や観光のための海外渡航ではありません
圧倒的な海外就業実績
GAFAMやユニコーン企業、海外ローカル企業での就職実績を基に、日本では得られないキャリアの可能性をご提案します。
海外挑戦を支える大規模コミュニティ
現地で活躍する仲間との情報交換や人脈形成を通じて、コミュニティ不足という国外挑戦の最大の課題を解消します。
海外就職に特化した650名以上の実績
「英語ができるようになる」という漠然としたサポート実績ではなく、海外就職に特化した実績ならではの充実サポート
日本国内外を意識したキャリア提案
日本、カナダ、アメリカなどの国ベースのキャリア相談はもちろん、SaaS、エージェンシー、個人開発、スタートアップなど、あらゆる面からのキャリア提案が可能
イベント情報
イベントはすべてPacific Time(太平洋時間)でご案内しています
初開催のFrog Family Day!お子様連れのご家族が主役の、ゆったり屋内交流会
お子様連れのご家族が主役の交流イベント。食事を囲みながら、海外での子育てや家族での暮らしについて、家族ぐるみでゆっくり話せる会です。
今年もやってきたFrog BBQ 2026!海外で挑戦する仲間がビーチに集まる、夏の特別な1日
年に一度のFrog BBQ。海外で挑戦する仲間とビーチでゆるくつながる、夏の恒例イベントです。Frogメンバー以外の方も参加できます。
Frog懇親会|新イベント会場お披露目
7月にカナダへ来たばかりの方も、すでに暮らす先輩メンバーも。Frogメンバー同士でゆるくつながる懇親会です。新会場のお披露目も兼ねます。
Services
Frogが提供するサービス
海外就職の実現を軸に、体系的な学び・働き方の選択肢・その先のキャリアまでを、一つの線でつなぎます。
海外就職を実現するまで
海外就職支援
求人紹介から面接対策、就労ビザまで。海外就職の実現をFrogが一気通貫で伴走します。
詳しく見るFrog School
海外就職の進め方を12週間で体系的に学ぶプログラム。準備を渡航前に終わらせます(招待制)。
詳しく見るFrogPATH
海外就職に必要なタスクを可視化し、専門家のサポートで着実に前へ進めるプラットフォーム。
詳しく見る海外留学(カレッジ進学)
就労や永住も見据えたカレッジ進学で、海外キャリアの土台を築きます。
詳しく見る働き方の選択肢と、その先
最新インタビュー
助産師からSREへ — 未経験でBCITを経て、カナダの大手ファイナンス企業「Vancity」に就職したMisuzuさん
今回お話を伺ったのは、バンクーバーのVancityでジュニアSREとして働き始めたMisuzuさんです。日本では看護学を専攻し、助産師として3年間働いたあと、ワーキングホリデーでカナダへ渡りました。現地でパートナーと出会い永住権を取得し、未経験からBCITのCST(Computer Systems Technology)へ進学。2025年12月の卒業後、約半年の就活を経て、もともとシニア向けに開いていたSREのポジションへジュニアとして入社しています。 助産師からエンジニアへという大きな転身、BCITのコープで半数しか仕事が見つからない現実、月100件・合計700件を超える応募、そして「嘘はつかないけど、真実を100%伝える必要はない」というレジュメと面接の哲学。ジュニアSREという、あまり前例のない入り方まで。Podcast「海外キャリアログ」でのインタビューをお届けします。 助産師3年、ワーホリ、そしてコンピュータサイエンス Ryo: まず簡単な経歴を教えていただいてもいいですか。大学ぐらいから。 Misuzu: 大学は日本の普通の大学に行ってたんですけど、その時は看護師というか助産師になりたかったので看護学専攻で4年間勉強して、助産師学校に行って、そのまま助産師として就職して3年間働きました。その後、辞めたいかもと思って辞める理由を探してて、「ワーキングホリデーで辞めます」って言ったらちょっと聞こえがいいんじゃないか、と気づいてしまい。ワーホリ目的でバンクーバーに渡航して、そのまま夫と出会って永住権が取れたので、何か新しいことしようかなって考えた時にコンピュータサイエンスがいいんじゃないかと。BCITのCSTに2年間通って、卒業後半年ぐらいでVancityにSREとして就職した、という感じです。 Senna: 助産師からコンピュータサイエンスって、前職と全然関係ないコースを選ぶ勇気がいると思うんですけど、どういうきっかけだったんですか。CSに行ったら勝ち組、みたいなのがあったのか。 Misuzu: 一番大きいきっかけは、夫がソフトウェアエンジニアをやっているところです。助産師自体は嫌いじゃなかったんですけど、夜勤が難しくて辞めた、というのがあって。こっちではライセンスはそのまま使えないので、実習をやり直したり、英語もかなり高いレベルを求められたりして、新しいことを学ぶ手間はあまり変わらない感じだったんですよね。ワーホリの時は移民会社で働いていたんですけど、給料も頭打ちで。夫は台湾人で、私も日本人なので、いつかアジアに帰るかもしれない。せっかく新しいことを学ぶなら、移住しても使えるスキルにしたい、と。それならコンピュータサイエンスは世界中どこでも使える知識だし、もともと数学が苦手じゃなかったというか理系だったので、一回受けてみるか、と準備して受かった感じです。 Ryo: 隣で見てて面白そうだな、みたいなのはあったんですか。 Misuzu: 全然興味持ってなかったです。「黒い画面見てるね」みたいな、毎日。VS Codeだったんですけど、今だったらわかります。 Senna: パートナーから止められなかったんですか。 Misuzu: パートナーは仕事も学ぶことも好きで、楽しめる感じなんですよね。「向いてるんじゃない」って言ってくれたので、Hello Worldから、stringとは、みたいなところを一緒に勉強して、「いけそうかも」って応募しました。 カナダを選んだ理由と、BCIT CST Ryo: ワーホリで来るって決めた時、カナダ以外の選択肢はあったんですか。 Misuzu: 英語圏でワーホリに行ける国が、自分の中ではカナダかオーストラリアぐらいしかなかったんですよね。来る前に実力を知るためにTOEICを受けたんですけど、オーストラリア英語は聞き取れないかも、となって。カナダ英語は綺麗だと言われているし、西海岸なら日本も近いし、アジア人も多いし、じゃあバンクーバーにしよう、みたいな感じでした。イギリスは当時、抽選が厳しいという話で、いけないかもと思ったらリスクがあるな、と。 Ryo: 来た当時は、長くいようとは考えてなかったんですか。 Misuzu: はい。夜勤がない職に就きたくて、帰って転職できるようにリクルートに登録したり、職務経歴書の書き方も一から学びつつ準備して、本当に1年で帰る予定でした。残った一番の理由は、パートナーができたことです。 Senna: その時点で永住権は持っていましたか。BCITはPRの有無で学費がかなり違いますよね。 Misuzu: PR申請中にBCITへ応募して、取れるだろう、みたいな感じでした。学費は3倍違います。 Ryo: CSTって、具体的にはどういうコースなんですか。ハンズオンのプロジェクトをやっていく感じなのか、大学みたいに概念を学ぶ感じなのか。 Misuzu: 聞いている感じだと、UBCとかは概念的なものを学ぶそうですけど、BCITは本当に実践をとにかくやらせる、という感じで。タームが4つあるんですけど、1ターム目、まだコードが全然わからない時からプロジェクトというコースがあって、FigmaやFigJamを使って、1ターム全部かけて1個完成させる。かなりプロジェクト、プロジェクト、というコースでした。 Ryo: 「強制収容所」と言われるぐらい忙しいイメージもありますけど、Misuzuさん自身はどうでしたか。経験者も多いイメージですか。 Misuzu: 1ターム目は本当に忙しくて、月から金まで朝から5時半まで、土日もプロジェクトでゴリゴリ、という感じでした。だんだん緩くなっていった体感です。経験者はそうでもなくて、趣味でちょっとやってたぐらい。日本人は少なかったですね。大体アラサーぐらいの大卒で、バイオロジーとかやってきて仕事がちょっと、というのでCSをやりたいと戻ってきた人が多くて、みんな結構バチェラー保持者が多かったです。 英語と、いちばん辛かったビジネスコミュニケーション Ryo: カナダに来る前のTOEICはどのくらいでしたか。 Misuzu: 2019年に受けて、790だった記憶があります。BCITの1年ぐらい前にIELTS Academicを受けて、オーバーオール6.5だったんですけど、6.5だとちょっと厳しいかも、と。7以上ないと厳しいと聞いていたので、BCITの英語コースをオンラインで受けて点数を上げました。ICEPじゃなくて、12週間ぐらいのライティングとリーディングのコースです。 Ryo: TOEIC790からIELTS 6.5はジャンプだと思うんですけど、具体的にはどういう勉強を。 Misuzu: ライティングとスピーキングが苦手だったので、ネイティブの先生と一対一で週1回対策してもらっていたのと、IELTSの練習プラットフォームで勉強したぐらいです。リスニングが一番高く出ていました。 Ryo: 実際に入ってからは、英語で苦しみはありましたか。 Misuzu: ありました。1ヶ月結構辛くて、何が辛かったかというと、コーディングの授業じゃなくてビジネスコミュニケーションがいちばん辛かったんですよ。英語の国語みたいな感じで、ネイティブと一番差が出るところではあったんですよね。置いてけぼりみたいな感じがあって、そこがちょっとしんどかったです。エッセイを書かされた記憶もあります。3年前なので忘れかけていますけど。 Misuzu: そこがCSに行ったきっかけの一つでもあって。転職しようと思っても、ネイティブスピーカーと同じようには喋れないと厳しいな、と気がついて。知識があればその分で勝てるかな、と思って、知識を学べるCSに行った、というのもあるんです。 コープはオプション、半数しか見つからない Senna: BCITのCSTは、一昔前ドロップアウト率50%と言われていましたけど、Misuzuさんの時はどうでしたか。 Misuzu: いましたね。クラス25人いて、同期では4人ドロップアウトして。その4人は最初の1ターム目でドロップアウトしたので、その後はみんな一緒、という感じでした。入学は2023年の9月です。 Senna: リセッションど真ん中ですよね。不安は。 Misuzu: 結構不安でした。コープのプログラムに入っていたんですけど、コープのインタビューがなかなかうまくいかなくて。私だけじゃなくて、同じコホートの子も結構みんな苦戦していて、コープでこれなら正規就職大丈夫かな、という不安はありました。ちょうどAIも2022年ぐらいに出てきていたので、余計に大きかったです。 Senna: BCITのコープ期間はどのくらいですか。 Misuzu: 8ヶ月です。全員できるわけじゃなくて、プログラム全員200人のうち50人とかだったかな、と。結果的には、コネクションで友達にいい感じにしてもらってインターンの職を作ってもらって、4ヶ月働きました。本当は8ヶ月働けるんですけど、会社の加減で4ヶ月だけ働いて、あと4ヶ月は休学みたいな感じでした。 Ryo: 未経験だとレジュメの経験欄が書けないので、ポートフォリオを自分で作る必要があるイメージもあるんですけど、学校のプロジェクトだけで足りましたか。 Misuzu: インターンシップの時はターム2の間に就活しないといけなかったんですけど、ターム1が終わった時点で2個か3個ぐらいアカデミックプロジェクトがあって、PythonだったりJavaScriptだったり、言語もバラバラでいくつか書けるプロジェクトがあったので、わざわざ自分の時間でパーソナルプロジェクトをやらなければ、ということはなかったです。 Ryo: コープは有償なんですか。学校が先を用意する感じですか。 Misuzu: 有償で、時給でもらえる形でした。BCITにもeJobsという、学生向けにジョブを公開しているプラットフォームはあったんですけど、基本的には自分で探してくれ、という感じで。eJobsからでもLinkedInからでもいいけど、とにかく自分で職を探せ、と。50人コープの資格が持てたんですけど、結局半分ちょっとぐらいしか仕事を見つけられなかった気がします。ガバメント系が結構いて、BC Hydroとか、Government of Canadaもいたし、ICBCもいました。小さい会社も結構いて、コープで回っているようなところもありました。 Ryo: どのぐらい応募して、どのぐらい返事が来ましたか。 Misuzu: 3ヶ月半ぐらいやって、100ぐらいは出していると思います。インターンまたはコープ、と書いてあるものに応募していました。ジュニアや中級には出してないです。5月始まりに応募していたので、UBCの学生も5月からやりたい人が多いじゃないですか。募集はないことはなかったです。あれば何でも出す、みたいな感じで出しまくってました。 Misuzu: コープの面接は1ラウンドか2ラウンドぐらいで、ビヘイビアルちょっと、テクニカルちょっと、みたいなのをやって、テクニカルがあんまりマッチしなくて落ちて。もしかしたらこのままコープできないかも、と思っていたところに友人から声がかかって、「ポジションを探してるけど来る?」みたいな感じで入りました。BCITの友人ではなく、全然違うところの友達でした。友達がボスだったので、形式上だけ面接して、という感じです。 Senna: コープを満了できなかったらペナルティは。 Misuzu: BCITはコープがオプションみたいな感じだったので、半分以上の学生はなしです。上位50人ぐらいしかコープできません、という感じだったので。ペナルティはなかったんですけど、コープしない学生はプロジェクトをやる。コープの学生はプロジェクトの代わりに働く、どっちか、という感じです。 Ryo: その経験は、その後の就活に役立ちましたか。 Misuzu: Pythonが使える、ということで就職したんですけど、結局業務では全然コーディングできなかったんですよね。事務手伝いプラス、ほんのちょっとだけPythonを使いました、みたいな感じだったので、コープの経験が就活に役立ったかというと、ちょっとハテナ、という感じです。レジュメには、そのちょっとのコーディング経験をもう全部やったみたいな感じで書きました。嘘はついてないです。 クラウドを選び、AWS資格を取り、700件出した Ryo: コープが終わって、そこからまた2タームあって就活、ですか。 Misuzu: そうです。2ターム終わって、2025年12月に卒業しました。コープの時にレジュメを作るじゃないですか。コープのコーディネーターの先生が、レイアウトから中身まで全部、1対1で面談してチェックしてくれました。先生自体はCST出身ではないんですけど、CITとCSTを対象に就活の手伝いをしている先生で、全てが適切だったかと言われるとちょっと怪しいんですけど、結構ヘルプフルなアドバイスはもらえました。本番の就活では、プロジェクトに2ターム目を追加したぐらいと、助産師の経歴を消した、ぐらいです。 Senna: 一発目からVancityみたいな、こっちでよく知られている金融の会社にジュニアで入るって、レジュメに何を書けば行けるんだろう、とずっと思ってたんですけど。響いた経験はありますか。 Misuzu: BCIT CSTは2年目にオプションを選ぶんですよね。データベースやります、AI・機械学習やります、とかあったんですけど、私はクラウドコンピューティングを選んだんです。どんな職でもクラウドの知識は求められるじゃないですか。学校だけだと「何を学んだの」となると思うので、AWSの資格を夏休みとかに取って、それは良かったのかなと思います。基本的には夫が見てくれていて、あとは一回ヤンマーさんにもお願いして見てもらいました。レジュメに対する哲学が夫と結構似ていて、すごいお世話になりました。 Ryo: 選べるコースは他に何がありましたか。ウェブの方が潰しが効くイメージもあるんですけど。 Misuzu: CSTはダウンタウンキャンパスとバーナビーキャンパスがあって、私はダウンタウンの方に行きたかったので、あんまりバーナビーのオプションを見てなかったんですよね。一番たぶん倍率が高かったです、クラウドコンピューティング。ウェブはもともとコースにあって、オプションとしてはなかったかな、という感じです。AIはありました。バーナビーではたぶんトップで人気だと思うんですけど、経験がなくてバチェラーもなかったらAIに行くのはちょっと厳しいんじゃないか、と。ディプロマで機械学習、はハードル高いんじゃないか、というのもありました。 Senna: 就活はどんなステップで。ジュニアのSREって、正直ピンとこなくて。 Misuzu: オプションでクラウドを勉強していて、資格もAWSのSolutions Architect Associateを取ったので、クラウド系に行くのは自然かな、と。DevOpsも一応応募したんですけど、これはダメ元で。ジョブディスクリプションに5年とか10年の経験が必要、と書いてあるところが多かったので。クラウド関連のジョブと、あとは普通にソフトウェアデベロッパー、フルスタックデベロッパー、という感じで絞って応募していました。Vancityの応募に限っては、特に年数は書いてなかったんですよね。インタビューが始まってから「これ本当はシニア向けなんだよね」って言われました。 Ryo: レジュメは職種ごとに変えていましたか。 Misuzu: コンテンツは変えずに、名前の下のタイトルをソフトウェアデベロッパーにするかクラウドエンジニアにするか、本当にその1行だけ変えています。未経験だから、書けることがないんです。書けること全部書いた、みたいなレジュメです。 Ryo: どのぐらい応募しましたか。日本の仕事も見ましたか。 Misuzu: 就活を始めたのが1月の中旬ぐらいで、Vancityのオファーを受け取ったのが7月の中旬です。1ヶ月たぶん100件ぐらいは応募していたので、700件、800件ぐらい。最初はカナダだけ応募したんですけど、途中から「いつ終わるんだろう」となって。パートナーがいるとしても、自分も稼ぎたいし経験も早く積みたい、というのがあって、4月か5月ぐらいから日本の就活も見てみるか、と。でも日本も経験者欲しいですよね。新卒で、しかも30を超えていて、それを取るリスクはなかなか厳しい。実際に日本のインタビューを受けたのも7月でした。海外にいて正規雇用ができない、時差もある、難しいです、と言われたこともあります。 Ryo: 7ヶ月、モチベーションはどう持うんですか。 Misuzu: 3月に結構大企業のインタビューがあって、それが終わった後に1回バーンアウトみたいになっちゃって。6月末ぐらいにもちょっとメンタルが落ちて、本当に泣きながらどうしよう、みたいな感じでした。乗り越えたのは、時間が解決した、としか言えないですね。帰る、というのは家族もいるしなかったので。テックのジョブに固執するか、ワーホリの子たちがやるようなサーバーとかでその場しのぎするか、どうしよう、というのはありましたけど、結局「この夏は頑張ろう」に落ち着いて、時間が経てば元に戻っていました。 Misuzu: インターンシップ、コープの経験がある子たちは卒業後2、3ヶ月とかで決まっている人もちらほらいて、経験がない子とか、大半はまだ就活しています。 Senna: 卒業して8ヶ月、9ヶ月経つわけでしょ。そういうもん、というのは知っておいた方がいいと思いますね。 シニア向けSREに、ジュニアで入るまで Ryo: Vancityはどのプラットフォームで見つけましたか。 Misuzu: 見つけたのはたぶんLinkedInです。LinkedInかIndeedかGlassdoorを使ってどんどん応募していたので。応募自体はカンパニーのウェブサイトに飛んで、名前とかを記載するフォーム自体はあったのですが、ステータスについては聞かれなかったはずです。 Ryo: その後、どんなステップでしたか。 Misuzu: 応募して次の週とかに電話がかかってきて、「ハイアリングマネージャーが話したいって言ってるよ」と。1回目が、ハイアリングマネージャーより上のディレクターで、オンラインで15分ぐらい話して。最後にAny questions?って言われて、「次のステップってどんな感じ?」って聞いたら、「次のステップ、明後日にする?」みたいな感じで、軽めに決まって。次はインパーソンで、オフィスに行ってディレクターとハイアリングマネージャーと1時間半。その次にチームフィットみたいなのをやります、と言われて、一応3次までありました。本当はないかもしれない、取ってつけたようなあれだったんですけど。 Ryo: 1次はどういう質問を。 Misuzu: ステータスの質問もありましたし、クラウドの仕事なのでどういう知識があるか。VancityはAzureを使っているので、Azureの知識ありますか、あとHow can you help me?みたいな。なんでもあるぜ、とにかくやる気を見せた、という感じですね。6ヶ月やってきて、私の面接の回答は日本式だったというか、謙虚すぎたのかな、やる気が見えなかったのかな、と気づいて。Azureの経験はないですけど、AWSの資格もありますし、すぐにピックアップできます、みたいな感じでやる気を出したら、ディレクターが気に入ってくれて。「本当はシニアなんだけど、自分はシニアですかジュニアですか」って言われて、「もちろんジュニアですけど頑張ります」と。 Misuzu: 面接に呼ばれるとすら思ってなかったんですよね。あとで1対1で話す機会があったのでチラッと聞いたら、ポテンシャル、と言っていました。どこに感じたのかはわからないですけど、資格も見られていたと思います。 Senna: その受け答えの持っていき方が響いた感覚はありますか。 Misuzu: ヤンマーさんと夫の哲学が似てる、という話をしたと思うんですけど、そこが「嘘をつく必要はないけど、真実を100%そのまま伝える必要はないね」っていう。0を1にはしなくてもいいけど、3を7ぐらいに言ってもいいんじゃない。他のネイティブのカナディアンとか、自分を売るのが上手な人たちとコンピートしないといけないので、どうやって自分をいい商品に見せるか、を先月になってやっと気づいた、という。 Ryo: 2次はどんな面接でしたか。 Misuzu: 珍しいと思うんですけど、テクニカル一切なしで、人柄だけを知ろうとするような質問でした。印象的だったのは「怒ったことある?」みたいな。そんなたくさんはないけど、働いてる時に叱ったことはある、助産師時代にこういう経緯で後輩に指導しました、みたいな。あとはVancityが大切にしている三本柱があって、全部忘れちゃったんですけど、アカウンタビリティとコミュニケーションと、もう一個。あんたにとってどういう意味ですか、みたいな。コミュニケーションは、信頼を作る工程です、みたいなことを言ったと思います。テック的なインタビューはほぼなかったです。この後テクニカルがあるか聞いたら、「新卒だし、そんな経験もないのに聞いてもしょうがないからね」って言われて。 Ryo: 3次は。 Misuzu: 同じSREのチームメイト2人とオンラインで。コミュニケーションが取れるかを見てたと思うんですよね。趣味とかある、休みの日何してるの、みたいな。入ってから知ったんですけど、20年選手とかの人がいたんで、経歴のある人と話した、という感じです。正解がない質問だったので、すごい手応えがあったかと言われると難しいんですけど、雰囲気とかコミュニケーションスキルを見られているのもわかっていたので、あんまりポーズなしで、自分の言いたいこともスラスラ言えるようにしてたので、そういう意味ではうまくいったのかな、と。 Ryo: 面接の英語は大変でしたか。 Misuzu: ありましたね。自分の思いを面接で伝える、ができなくてCSTに入ったので、またこれ乗り越えないといけないのか、と。技術的なところも含めて話さないといけなかったので、練習は結構、夫ともしました。前日とかもモックインタビューみたいな感じで。Vancityではなかったですけど、テクニカルインタビューの想定で、喋りながらコードを説明する、何を考えているか説明する、みたいな練習は結構やりました。そしたら割と自分のことを聞かれる、想定外の質問がめっちゃ多かった、ということです。 Ryo: チームの他の人を見ていても、コミュニケーションに重きを置いている感じはしますか。もともとシニアのポジションは埋まったんですか。 Misuzu: マネージャーが、チームメイトで意見交換しながら一緒にタスクをこなしてほしい、コミュニケーションを取ってほしい、みたいなマネージャーで。なぜニューグラッドに採用されたかにつながると思うんですけど、結構シニアレベルの人ばっかりなんですよね。30年選手、20年選手みたいな人がボンボンいて、半分以上がそうなので、新たな視点でチームとかタスクを見てほしい、みたいなところもあって選ばれたのかな、と。そんな感じで言われました。 Misuzu: 最初、15分のディレクターとの面接でコントラクトに興味あるって言われて。一応シニアのポジションで応募していたので、当初の予定ではシニアをフルタイムで取って、コントラクトで私は様子見、バジェットの関係もあるから、そういう感じだったんだと思うんですけど、なくなりました。私だけになりました。 1ヶ月働いてみて、これから渡航する人へ Senna: ジュニアのSREで入って、プレッシャーは。 Misuzu: ディレクターは、早く成長して早くチームを助けてほしい、みたいな感じなんですけど、マネージャーはゆっくりでいいからしっかり一つずつ着実に学んでいってほしい、みたいな感じで、ちょっと教育方針が違うんですけど。チームメイトも、初めてのPRを出した時も見守ってくれて「おめでとう」みたいな感じだったんで。1行の変更だったりするんですけど。結構好意的に、優しく教えてくださっているので、そんなにプレッシャーはないですね。ディレクターからぐらいは。 Ryo: 1ヶ月働いてみて、気持ちよく働けていますか。日本と比べて働き方の違いは。 Misuzu: まだシステムのこととかAzureのことも知らない部分がたくさんあると思うので、成長できそうかなと思っていて、しっかり働いて早く追いつけるようになりたい、という感じです。分野が違うのでいろいろ違うところはあるかなとは思うんですけど、休みやすいのは休みやすいんじゃないかなと思います。チームに20年、30年Vancityにいる人も多いので、働きやすいんだと思います。給料もそんなに悪くないと思うし、安定してるし、金融関係なので、家を買いたいとかでもモーゲージが若干安くなったりとか、あるかなと思います。レイオフとかもそんなになさそう、というのはありますね。 Ryo: これから渡航を考える人に、アドバイスがあれば。 Misuzu: やっぱり自分を信じつつ、自信を持って取り組む。あとは大変なんですけど、たくさん応募することで勝率を上げる、というのは私は結構キーだと思っているので。その辺に気をつけて頑張ってもらいたいかなと思います。 助産師として働いていたキャリアを一度置き、ワーホリの延長でカナダに残ったMisuzuさん。夜勤が理由で辞めた医療の現場から、夫の黒い画面を「向いてるんじゃない」と言われてHello Worldを書き、BCITのCSTで実践を積みました。コープは半数しか見つからず、正規の就活は700件を超える応募と、泣きながらどうしようと思った夜も含めて半年。その先で待っていたのは、シニア向けに開いていたSREの席を、ジュニアとして「ポテンシャル」で掴む、という入り方でした。 技術面接はほぼなく、人柄とコミュニケーションを見られた選考。Azureは未経験でも、AWSの資格と「すぐにピックアップできます」という出し方がディレクターに刺さった、と本人は振り返ります。嘘はつかない。でも3を7ぐらいに言って、自分を商品として見せる。ジュニアでこれから動く人にとって、時間はとにかくかかる、という前提とセットで、とても具体的なヒントになるインタビューでした。Misuzuさん、ありがとうございました。 このインタビューはPodcast「海外キャリアログ」でも配信しています。毎週月曜更新、Spotify・Apple Podcast・YouTubeなどでお聴きいただけます。ぜひ合わせてお楽しみください。
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「グラフィックデザイナーは無理だと思う…」から始まった — 紙のアートディレクターがカナダ・アメリカで現地就職するまで
今回お話を伺ったのは、グラフィックデザイナー兼アートディレクターのAoiさんです。日本では多摩美術大学グラフィックデザイン学科を出たあと、東京の広告制作会社で9年間、駅貼りのポスターやタレントを起用したビジュアルなど「紙」の広告を手がけてこられました。 エンジニアやファイナンスと違い、グラフィックデザイナーが海外で現地就職する前例はほとんどありません。Aoiさん自身、渡航前にFrogのSennaに相談したところ「グラフィックデザイナーは多分無理だと思うよ」と言われたそうです。それでもカナダのカレッジに通い、バンクーバーのデザイン会社、そしてロサンゼルスの広告会社へと、2年半のカナダと1年強のアメリカで3社にフルタイムで採用されました。カルチャーやセンスが問われる「ハイコンテクスト」なデザイナーの就活を、どう突破していったのか。10代のインターナショナルスクールから続く英語への向き合い方も含めて伺いました。 インターナショナルスクールで英語のベースを作る Ryo: 北米を目指したきっかけって、どのあたりにあったんですか。 Aoi: そもそも私自身、祖父が外国人なんですね。小さい頃からそれは家族の中でよく話が出ていて、自分にも外国の血が混じっているんだっていうのをうっすら感じてはいたんです。で、日本の高校に入ったんですけど、これしなさい、あれしちゃダメ、っていう校則がその時の私には全然合わなくて。もう登校拒否みたいになっちゃって、家で毎日映画を見てるような感じになったんです。その時に、私英語が好きだから英語を勉強したいなと思って。親戚とも喋れないし、それなら英語できちんとコミュニケーションを取れるようになりたいと思ってインターナショナルスクールに行きました。 Ryo: インターナショナルスクールって、日本の高卒資格は取れるんですか。 Aoi: 基本的にインターナショナルスクールって日本の高卒資格は取れないところが多いと思います。だから進学先は海外の大学か、そういう学校を受け入れてくれる大学が候補になるんですね。私は多摩美術大学のグラフィックデザイン学科に進学したんですけど、高卒資格が取れる別のインターに一瞬だけ通って、そこで卒業資格を取ってから多摩美に入るっていうことをしました。履歴書、欄が足りなくなっちゃうくらい、いろんなことをしてるんです。 Ryo: 中学までは普通に日本の教育を受けてたとなると、いきなり全部英語の環境は大変だったんじゃないですか。 Aoi: めちゃくちゃありました。英語、ハローぐらいしか言えないような状態でインターに入ったので。私のところは入試テストもなくてアプライしたら入れる学校だったんですけど、ネイティブの子も帰国子女もいて、同じカリキュラムをやるんです。隣のニュージーランドの女の子が家で30分で終わるようなエッセイを、私は夜中の3時まで書くみたいな。読むスピードも遅いし、単語も日本で育った高校1年生レベルだったので。算数も理科の実験も全部英語でやるんで、もう毎日かじりついてやってました。 Ryo: 学校の他の日本人の子と比べても、最初の3年間の蓄積は効いてたなと思いますか。 Aoi: ちょっと効いてたかもしれないです。言われてることが分からないとか、目の前で喋られてあわあわしちゃうみたいなことはなくて。あとはもうインター卒業してからもずっと勉強してたので。単語をメモったり、洋書を読むようにしたり。すごく眠くても、遊ぶ予定があっても、絶対5分でも英語に触れる時間を取ってました。英語を自分から放さないようにしてたっていうのはあるかもしれないです。もう20年以上、ずっとやってます。 絵が好きだった — 多摩美術大学から広告の世界へ Hiroshi: 美術やアート関連の分野は、若い頃から興味があったんですか。 Aoi: 勉強はできるタイプじゃなかったんですけど、絵は好きでよく描いていて。うさぎの絵を友達に「欲しい」って言われて描いてあげる、みたいなことを保育園の時にやってたのを覚えてます。翻訳とか英語の道に行くか、デザインの道に行くかで悩んだ時期もあったんですけど、最終的に絵を描けるスキルを生かしてみようと思ってデザインの道にしました。 Ryo: 美大って、予備校みたいなところに通って対策していくイメージがあるんですけど、そういう練習抜きで行けるものなんですか。 Aoi: 本当に的確で、美大ってほぼ浪人生が多いんです。美大に入るための実技の予備校が全国にあって、1年2年浪人して入る子が多い。独学で入ったっていう子は聞いたことないですね。大学によって実技試験の傾向も全然違うので、その対策に私も1年通いました。 Ryo: 多摩美を卒業したあとは、グラフィックデザイナーとして日本の会社に入ったんですか。 Aoi: そうですね。東京の広告制作会社に入って、そこは長くて9年くらいいました。グラフィックデザイナーとして入って、徐々にアートディレクターになっていくっていう基本的な流れですね。そこでは英語は全然使ってなかったです。日本の企業の仕事がメインでした。 Hiroshi: デザイナーってマネタイズが難しいという話もありますよね。そこの葛藤みたいなのはありましたか。 Aoi: 高校生の時にデザイナーって仕事にできるんだろうかと思った時期もあったんです。でも実際デザイナーって世界中にたくさんいますし、要は好きなものを突き詰めればそれが仕事になるっていうのは全てにおいて言えることなので。物を作る、ローンチするってすごくデッドラインがあるし、作らなきゃいけないボリュームもかなりあって。寝不足が続く日もありましたが、それでも続けられるのはやっぱり好きならではなのかなと思いますね。 コロナ禍で動き出した「海外で働く」という選択 Aoi: 私が日本を出てカナダに行ったのが2022年なんですけど、ちょうど2019、2020年くらいにコロナが来て。あの時期ってみんな自分のキャリアをどうしようって考える時間があったと思うんです。私も元々海外で働きたいっていうのはあって。ただ周りにグラフィックデザイナーで海外で働いてる子がいなかったんですね。最初にFrogのSennaにメールで相談した時、「グラフィックデザイナーは多分無理だと思うよ」って言われたんです(笑)。前例が少ないし、技術以外にカルチャーも知らなきゃいけないし、表現のバックボーンっていうところが難しいんじゃないかって。 Ryo: それでも行こうと。 Aoi: そうなんです。前例がなかったので渡った方のブログとかをいろいろ見ていて。トンコハウスっていうアニメーションスタジオをやられている、元ピクサーの堤さんの記事を見たんです。アメリカで長い間活躍されている方なんですけど、「いろいろ企画を練って手順を考えても、とりあえず来ちゃいなよ、来たらどうにかなるよ」って言っていて。じゃあとりあえず行こうと思って。働きながら準備して、会社を退職した3ヶ月後にカナダに行きました。 Hiroshi: 3ヶ月はかなりスピーディーですね。学校選びや資金計画があってというイメージでしたけど。 Aoi: プランニングと準備はかなりしていて。留学エージェントに金額感を聞きに行ったり、ポスグラなのかコープなのか、選択肢をいろいろ見ながら、昔から情報収集はしていたんです。準備が整った、レディだなと思って会社を退職して、東京の家を引き払った、っていう感じなので、準備期間はみんなと同じくらい取ってたと思います。 Ryo: 国選び、都市選びはどう考えたんですか。トロントの方が会社は多いのかなとも思いますけど。 Aoi: 私は結構ピックしてカナダに行った人間で、レアだと思うんです。そもそも通っていたインターナショナルスクールがカナダ系の学校だったんですね。先生もカナディアンの先生ばかりで、カナダの歴史も学んでいたので、もともとカナダがすごく好きだったんです。その愛着もあったので、次に英語圏で挑戦するならカナダ一択かなと思ってました。 「時間がない」— デジタルマーケティングという選択 Ryo: バンクーバーのコーナーストーンでは、デザインじゃなくてデジタルマーケティングのクラスに行かれたんですよね。デザイナーのコースがなかったからですか。 Aoi: デザイナーのコースはあえて選びませんでした。9年働いていろんな会社の広告を担当させてもらったので、カナダに行って「イラレはこうやって作るんですよ」「Photoshopでこれを描いてみましょう」が半年続くと考えると、英語ではあるんですけど、ちょっと時間のロスだなと思ったんです。北米で働くことを現実的に考えた時に、ビザって有限なものなので、日本みたいに「3ヶ月後にやろう」ができない。だから勉強はもういいや、現地で働くことをまずゴールにしようと。 Aoi: ちょうど退職する時に、大手のクライアントさんにピッチで伺ったら「うちはもう駅構内の広告とか紙の広告はやらない、全部デジタルに移行します」って言われたんです。デジタルの波って抗えないじゃないですか。出稿する先がデジタルやそういうメディアになってきた時に、私はまだそこが弱いなと思ったんです。デザインプラスアルファということで選びました。 グラフィックとWebは、似て非なるもの Ryo: グラフィックデザイナーとWebデザイナーの違いって、正直あまり分かってなくて。Aoiさんの肩書きはどちらになるんですか。 Aoi: 私はそもそも出発が全然Webの人間じゃないんです。いわゆるグラフィックデザイナーって、駅に貼ってあるポスターとか、タレントやモデルを起用したビジュアルを作るところで、本当に紙から出発してるんですね。デザインして印刷するっていうところから。今はグラフィックデザイナーでも動画を作る人もいるし、UIの人が紙を作ることもあるし、かなり横断してきてはいるんですけど。私も元々は紙で、Figmaを使ってフロントのデザインもしますけど、肩書き的にはグラフィックデザイナー、アートディレクターで、Webもやりますよっていう感じです。 Ryo: グラフィックデザインからWebデザインやプロダクトデザインには、簡単にコンバートできるものなんですか。 Aoi: 簡単ではないと思っていて。グラフィックの人が作るウェブサイトと、Webのプロの方が作るウェブサイトって全然違うんですよね。私たちは自分で作ったトップページの画像のトーンを、いかに下の階層のデザインにつなげていくかっていうアプローチで。動線だったり「ボタンここにあったらおかしいよね」っていうのは、Web界隈の人から見たら100点じゃないところがあると思うんです。FrogのUIの子と喋っても、考え方はちょっと違うなって感じます。 Ryo: プロダクトデザインはもっと理論からくるものが多いイメージなんですけど、Aoiさんはグラフィック寄りの考え方でキャリアを進んでいる感じですか。 Aoi: そうですね。Webが本業ではないっていう自覚もあるし、仕事的にはかなりグラフィックだったりアートディレクション、ビジュアルそのものを作る方ですね。デザイン会社って、例えばカナダの時はカナダ人の夫婦がやっている会社だったんですけど、InDesignでブックレットを作ったり、Illustratorでポスターを作ったり。北米ってサブスク文化があるので、メールをFigmaでデザインして、隣のプログラマーの子がKlaviyoで設定して配信する、みたいなこともやってました。 バンクーバーの就職活動 — 100通送って、返ってくるのは1、2通 Ryo: バンクーバーってグラフィックデザインの会社自体が少ないイメージなんですけど、どうやって応募していったんですか。 Aoi: 超少ないです。そもそもCo-opを取ってくれるデザイン会社もないし、大きい会社もデザイナーはローカルで埋まってるので、あえてインターナショナルの子を雇う理由がないんですね。だから私はLinkedInやIndeedはもちろん、Google Mapsでデザイン会社を調べて、上から下までレジュメとポートフォリオを送るっていうのをやってました。渡航1年目の年末年始に、新年の花火が聞こえるなか2週間くらい部屋にこもって、30〜40ページの英語のポートフォリオを「時間がない」と思って作ったのを覚えてます。 Ryo: どのくらい送って、どのくらい返ってきましたか。 Aoi: はっきり覚えてないですけど、みんなと一緒で100通送って1、2通返ってくるかな、みたいな感じです。ただ私は幸い日本での経験年数があったので、面接まで行くと拾ってもらえることが多くて。あと私自身、日本で面接官をやっていた経験があるので分かるんですけど、その人が良い悪いというより会社のシチュエーションもかなり大きいんです。バンクーバーって移民が立ち上げた会社が多くて、そもそも人を雇う体力がないところも多い。だからレジュメが返ってこなくても、自分の能力の問題じゃない場合も多いんですよね。だんだんそれが分かってきたので、あまり気にせず、判断は彼らに任せて自分にできることをするっていうのをやってました。 Ryo: エンジニアだとATS対策がすごく大事なんですけど、デザイナーの場合はどうでした。 Aoi: そもそも英語のレジュメって見たことがなかったので、最初は叩きでスカスカでした。「自分がやったことを過去形にするのね」とか、ATSって何?っていうところから、自分で聞いたり情報収集しないと分からなくて。コーナーストーンにレジュメを見てくれるサービスがあったので、早い段階で「これ良いの?」って聞きに行きました。北米の人には簡潔な方が好まれるから、最初に伝えたいことをドンと出して、ダラダラ書かないでって言われたり。アドバイスを受けながら作ってましたね。 Hiroshi: エンジニアに比べると、企業に入るまでの流れがハイコンテクストですね。 Aoi: そうかもしれないです。デザイナーってカルチャーフィットみたいなところがあって。可愛いものを作る会社に、ゴリゴリの3Dや動画をやります、みたいな人が入って活躍できるかというとそうではない。お互いすごくカルチャーフィットを見てるんです。レジュメはやってきたことを文章にしてるだけなので、ポートフォリオを見れば「この人このくらいの経験があるんだ」って一目瞭然で。だからレジュメとポートフォリオを同列に、両方ちゃんとブラッシュアップしていかなきゃいけないんですよね。結局バンクーバーでは2社働いたんですけど、どちらも面接は1回。社長に呼ばれて喋って「うん、じゃあやってみな」みたいな感じでした。 アメリカへ、そして一区切りの帰国 Ryo: そこからロサンゼルスに移るのは、どういう流れだったんですか。 Aoi: カナダって人口3、4000万人で、アメリカは3億人ちょっといるじゃないですか。カナダで働くなかで、市場の大きなアメリカにチャレンジしたくなりました。トロントも1人で見に行ったんですけど、今チャレンジする時間があるならアメリカに行ってもいいかなと思って。カナダにいた2年目にセカンドワーホリが運良く当たって、その途中からアメリカにもレジュメを送り始めたんです。そうしたらロサンゼルスにある広告代理店が「じゃあロスおいでよ」って言ってくださって。プロベーションのあとリモートで働いてから、ビザを出してもらってロスに移りました。 Ryo: アメリカのビザはどういう形だったんですか。 Aoi: トレーニング、インターンのビザです。アメリカって日本とのワーホリがないので、大学を卒業してる人か就労ビザが出てる人しか基本いなくて、みんなどこかしらに所属してるっていう人が多い。カナダとはそこが結構違うなと思いました。 Hiroshi: アメリカで1年ちょっと過ごして、今は日本に戻ってこられたんですよね。どういう経緯で帰ろうと。 Aoi: 広告代理店で日系やアメリカのクライアントを担当させてもらってすごく勉強になったんです。ただ働いていくなかで、将来的に自分のデザイン会社を、アメリカと日本の両方で仕事ができる状態にしていきたいと思って。あとは北米で数年過ごして、現地就職するとか、アメリカの働き方やクライアントを知るっていう、渡航前に立てたチェックリストが全部埋まったんです。親は「無謀すぎる、本当に大丈夫か」って本気で心配してたくらいなんですけど(笑)、やりたいことができたので、一旦区切りとして帰ってこようと思いました。 Hiroshi: 数年後には北米で起業したいというお話も伺いましたけど、そのビジョンも聞かせてもらえますか。 Aoi: 北米って起業がすごくポジティブに受け入れられていて、自分でサービスを提供する側になるのが一つのゴールであるカルチャーだと思うんです。インターの時も「自分の会社を作るとしたら資本金いくらにしますか、何人雇いますか」みたいな授業があったくらいで。今はアメリカと日本でシームレスに仕事をするのも当たり前になってきているので。私の英語とデザインって10代から始まって、その熱量が何十年も続いているので、きっとそれは変わらない。だから長い目で見て、将来的に自分のデザインを届ける形を今は目指しているっていう感じですね。ロスで出会ったカメラマンやスタイリストみたいな、仲間を増やして楽しくやっていけたらなと思ってます。 これから海外を目指すデザイナーへ Ryo: これからデザイナーで渡航する人に、アドバイスはありますか。3社も行けたなら「無理」ってことは全然ないのかなと聞こえたんですけど。 Aoi: まず一つは、今日から英語を勉強してくださいっていうところですね。インタビューで上手く伝えられないと弾かれてしまうので、今日英単語を1個覚えるところから。そして、これは夢物語ではないっていうこと。私も来る前は「海外のデザイン会社で就職なんてあり得るのかな」と思って、1年ボランティアでどこか働けたらいいなくらいで来たんですけど、3社フルタイムで雇っていただけたので。日本でできる準備、ポートフォリオとかはしておいた方がいいです。未経験だとかなり厳しい道になるので、経験がないなら今から小さいものでも自主的にやってみる。渡航までにできることはやっておきましょう、っていう感じですね。 Ryo: 都市で言うと、バンクーバーはおすすめですか。それとも会社の多いトロントの方がいいんでしょうか。 Aoi: 結論から言うとバンクーバー、トロント共にすごくおすすめで。ステータスの話になりますが、カナダのワーホリやCo-op制度ってすごく自分のキャリアを自分のためにコントロールできるビザなんです。合っていなかったら辞められるし。ゴリゴリのカナディアンの会社で働きたいなら、カナダでCo-opやワーホリを使うのはすごくいい手段だと思います。アメリカだとまた戦い方が変わってきますね。 Hiroshi: 最後に、英語学習で大変な思いをしている方へのアドバイスもいただけますか。続け方やモチベーションの保ち方も含めて。 Aoi: 私が英語の先生とよく話しているのが、恋人でも友達でもいいので、何でも話せる人を作るのが一番いいっていうことなんです。私の場合はテキサス出身の先生を週1回雇っていて。ただの英会話じゃなくて、私が北米で働くにあたって知らないと危ない歴史や経済、カルチャーを教えてほしいと伝えて、彼女がアメリカのニュースを毎週1本選んで、それに私が意見を述べるっていう会をやっているんです。それがすごく効いていて。気の合う人を見つけてやると「この人に話したい」ってモチベーションになるので、英会話兼メンタリングみたいなのはすごく生きてる気がします。あとはドラマでも本でも、好きなものから始めるのがいいと思います。日本語のものを全部捨て去るくらいの勢いでもいいのかなと思いますね。 「グラフィックデザイナーは無理だと思うよ」と言われながらも、紙のアートディレクターとしての経験を武器に、カナダとアメリカで3社を渡り歩いたAoiさん。前例のない道を、ポートフォリオとレジュメを磨き上げ、カルチャーフィットという曖昧なものと向き合いながら切り拓いていった行動力がとても印象的でした。 10代のインターナショナルスクールから20年以上、英語を「自分から放さない」ように積み重ねてきた継続の力。そして「とりあえず行こう」と踏み出す軽やかさ。デザインという、技術だけでは測れない職種で海外を目指す方にとって、Aoiさんの歩みは大きなヒントになるのではないでしょうか。数年後、北米で自身のデザイン会社を構えるという次の挑戦も、きっと同じ熱量で実現していくのだと思います。
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デロイト・AWSを経てバンクーバーへ。ポートフォリオで「AIエンジニア」の職を掴んだRyosukeさん
今回お話を伺ったのは、バンクーバーでAIエンジニアとして働き始めたRyosukeさんです。日本ではメーカー、デロイト、AWSと3社でエンジニアのキャリアを積み、6年以上の経験を経てカナダに渡りました。ダグラスカレッジの2年間のプログラムを卒業し、ポスグラ(卒業後就労許可)を得て現地就職しています。 デロイトやAWSといった華やかなキャリアの中で、あえて「コンサルタント」ではなく「エンジニア」の道を選び続けてきたRyosukeさん。そして就活では、150社に応募しながらも、レジュメや面接対策を徹底する“王道”とは少し違うルートを通りました。2年前には存在すらしなかった「AIエンジニア」という生まれたての職種に狙いを定め、自作アプリのポートフォリオでオファーを掴んだのです。 なぜキラキラしたコンサルの道ではなくエンジニアを選んだのか。ビッグデータへの憧れ、UBCのマスターを目指した英語学習、そして新しい職種の波の掴み方まで。Podcast「海外キャリアログ」でのインタビューをお届けします。 「メーカー、デロイト、AWS」日本で積んだエンジニアの6年 Ryo: まず簡単に経歴を教えてもらえますか。 Ryosuke: 今はバンクーバーでエンジニアとして最近働き始めたんですけど、その前は日本で6年ちょっとエンジニアをやっていました。日本での経験を経てダグラスカレッジの2年のプログラムに入り、卒業してポスグラ(卒業後就労許可)を得て、今カナダで働き始めた、という流れです。 Ryo: キャリアがすごいことになってますよね。デロイトのあとにAWS、みたいな。日本時代を少し振り返ってもらえますか。 Ryosuke: 日本では3社経験しています。最初は大学の先生の繋がりで、メーカーの中でエンジニアとしてキャリアをスタートしました。インターンも含めて3年以上いたんですけど、かなり特定の領域にフォーカスした仕事ばかりだったので、もっと幅広い視点を得たいなと。ちょうどコンサルティング会社がエンジニアを募集していたので、そこへ移りました。 Senna: そこでは何エンジニアになるんですか。 Ryosuke: フルスタックエンジニアです。データサイエンティストのチーム、デザイナーのチームがあって、それ以外の「何でもやります」というエンジニアのチームがあって、そこに入った感じですね。 Ryo: デロイトのコンサルのエンジニアって、何でもやるといってもどの辺を指すんですか。 Ryosuke: ちょうどDX(デジタル・トランスフォーメーション)がバズワードだった時期で。コンサルタントがクライアントに提供するプロフェッショナルサービスも、デジタルアセットを使えばもっと付加価値が高くなるし、サブスクみたいにストック型の収益にもなる、と当時の経営陣が考えてできたチームなんです。いろんな部署のコンサルタントから「こういうアプリをお客様に提供したいのでPOCから作ってくれないか」と依頼が来て、0から1にする仕事もあれば、1を10、20にしていく仕事もある。デロイトはクライアントが幅広いので、作るアプリも本当に幅広かったですね。 Senna: ソフトウェアエンジニアとコンサルは、仕事が明確に分かれているんですか。 Ryosuke: できたての頃はきっちり分かれていました。でも、仕様をお客さんから聞いて作れるエンジニアと、実際に実装するエンジニアと、役割はいろいろあった方がいいよね、と。組織もアジャイルに進化していこうという流れがあって、後半は半分コンサルタントのようにコミュニケーションを取る人と、実装する人とに柔軟に分かれていきました。 キラキラのコンサルではなく、エンジニアを選んだ理由 Senna: 日本ってコンサル業界がめちゃくちゃキラキラしてるじゃないですか。大学生の行きたいランキングにもデロイトやアクセンチュアが入ってくる。デロイトにいたらそのままコンサルの道もあったと思うんですけど、そうならずにエンジニアの方に行った理由ってあるんですか。 Ryosuke: 実は僕、大学院を出たときはコンサルタントになりたくて就活していたんです。でも、いわゆるビッグ4の会計系ファームや日系の大きいところを受けても、目標にしていた会社には入れなくて。それがエンジニアとしてのスタートでした。ただ1社目でエンジニアとして色々やる中で、DXの流れもあって、「エンジニアの方が個人的にはかっこいいな」と気持ちが切り替わっていって。 Senna: へえ、逆の印象です。 Ryosuke: コンサルタントの方って、入社してすぐみっちり研修して、パワポもすぐ作れるし、クライアントワークも上手で、何でもできる。そういう人たちと働く中で、今から自分がそこになるのはオーバーヘッドが大きいなと。それに、DXという文脈ではエンジニアはなくてはならない存在だという認識があったので、リスペクトはしつつも、自分の道はエンジニアなのかなと何となく思うようになりました。 Ryo: コンサルって、年齢を重ねて続けていくのに壁があるという話を聞きますが、経験のない僕からするとイメージがつかなくて。40でも50でもやれる仕事なんじゃないの、と思っちゃうんですよね。 Ryosuke: 向いている人は本当にとことんのめり込むように仕事をしていますね。年齢は関係なく。僕がいたチームでも、ディレクターやパートナーに進めると言われている人が、あえてシニアマネージャーに留まって、フィールドでお客様と一緒にプロジェクトを進めることに喜びを感じていたり。そういう人は土日になろうが関係ない、という感じでした。 Senna: コンサルって残業も多いし、マネージャーになるまでは残業代で稼ぐみたいな文化もある。飲みも多くて、結構体育会系なんですよね。ライフステージが変わると厳しいなと思う人が多い。 Ryosuke: コンサルタントは、オンでもオフでも「コンサル脳」で仕事を考えるのが好きな人なのかなと。逆に、仕事があっても土日は自分でラズベリーパイをいじったり、チームでKaggleをやったり、サイドプロジェクトに興味がある人は、エンジニアになった方がQOLが上がると思います。僕はどちらかというとそっち側だったので。コンサルタントの人は「すごい人たちだな」という感じですね。 Senna: 仕事ばっかりするのがかっこいいんじゃなくて、ちゃんとお金を稼いで、ちゃんと休日があって、仕事は4時5時で終わるのがかっこいいんだよ、というのを大学生には言いたいですね。 ビッグデータへの憧れから、AWSのBIエンジニアへ Ryo: 次はAWSで、ビジネスインテリジェンスエンジニアという、なかなか聞き慣れない職種ですよね。転職のきっかけは。 Ryosuke: デロイトのプロジェクトはPOCや0→1がメインだったので、大きいデータを触る機会があまりなかったんです。1万レコードを超えることすらほぼない。最初はダミーデータを入れて、初期の数社のお客様に使っていただくくらい。もともと一貫してデータに関わる仕事をしてきたので、やっぱりビッグデータへの憧れがあって。事業会社で自社のデータを使ってインサイトを出す、みたいなことは今のチームではできないな、と思って転職を考え始めました。 Senna: ビジネスインテリジェンスエンジニアって、データアナリストとデータエンジニアの間みたいなイメージですか。 Ryosuke: まさに間くらいですね。AWSジャパンはほぼ営業の方しかいなくて、純粋なSDE(ソフトウェア開発エンジニア)はいないんですけど、営業向けの社内セールスダッシュボードを、AWSのQuickSightというツールで作ったり、それにまつわるETLパイプラインを当時はAirflowで実装したり。データをエンジニアリングというより、セールスに活かす仕事でしたね。 Ryo: AWSのビジネス全体を把握した上で、営業さんにツールとして提供する。作りもするしアナライズもする、ビジネスの根幹のポジションを2年ほど、ということですね。 UBCのマスターを目指して、ダグラスカレッジへ Ryo: これだけデロイトもAWSも経験して、6年近いキャリアがある方が、なぜわざわざカナダのカレッジに行こうと思ったんですか。 Ryosuke: 実は、UBCのマスターコースを狙っていたんです。ただ、IELTSのスピーキングがどうしても0.5点足りなくて。オーバーオール7で、全科目6.5以上あれば出願できたんですけど。もう少し勉強してもよかったんですが、それよりも早くカナダでキャリアを積みたい、日本で英語の勉強だけに留まる理由もないな、と思って。 Senna: 英語はもともと使っていたんですか。 Ryosuke: 日本ではほぼ使わなかったですね。リーディングとリスニングはできるけど、アウトプットが全然ダメという、典型的な日本人の能力分布で。1社目がちょっと面白い会社で、TOEICで900点を取るとボーナスが増えるんですよ。600点から900点になると月給で1.5万円くらい上がって、ボーナスも入れるとトータルで20万円くらい上がる。 Senna: 日本で20万上がるならいいですね。 Ryosuke: それでTOEICは勉強していたので、リーディングとリスニングはそこそこに。スピーキングとライティングは、DMM英会話をずっとやっていました。ネイティブキャンプも試したんですけど、いろんな国の講師と話せて、バリエーションが豊富だったのがDMMだったんです。ちょうどコロナ禍で仕事もリモートだったので、駅前の英会話よりオンラインがいいな、という理由もありました。 Ryo: カレッジはなぜバンクーバーに、そしてダグラスに。 Ryosuke: 日本から近いのと、ランガラとダグラスに出願して、ダグラスが最初にアクセプトしてくれたので、もう決めちゃおう、と。出願する頃に一度カナダに来てみたんですけど、それが初めての渡航で。思っていたより中国系も含めてアジア系の人が多くて、初めての海外生活をするなら過ごしやすそうだな、と感じたんです。もっと白人ばかりだと思っていたので。 Senna: バンクーバーって悪いところが少ないんですよ。刺身もラーメンも食べられるし、長い目で見ると永住しやすい。アメリカ大陸の中で一番アジアに近い、という感じですね。 Ryo: 2年間やってみて、今振り返るとどうですか。 Ryosuke: 結構ミックスですね。最近のAIで誰でもプロレベルのコードが書ける状況を踏まえると、2年間が本当に必要だったかは言い切れない。ただ、その2年間をある種のモラトリアムとして、自分でアプリをリリースしたり、プロジェクトを立ち上げたりできたのは幸いだったなと。もし今2026年に新しくチャレンジするなら、2年より1年とか、もう少し短いところを選ぶと思います。 卒業1ヶ月前から。150社に応募した就活 Ryo: 2年のカレッジだと就活の開始時期も気になります。準備はいつから。 Ryosuke: 今の仕事のために動いた期間は結構短くて、3月の中頃から始めました。卒業の1ヶ月前ですね。今思うと、なめてるなという感じなんですけど。 Ryo: ポジションがオープンになったタイミングと被った、みたいな感じですか。 Ryosuke: というより、個人的な都合が大きくて。ビジネスインテリジェンスエンジニアやデータアナリスト、それにAIエンジニアみたいな仕事を狙っていたんですけど、ソフトウェアエンジニアとしてちゃんと経験したという実感がなかったので、ポートフォリオとして動くアプリを作った上で就活したかったんです。それができたのが3月中頃だったので、「よし、ポートフォリオを引っ提げて行くか」と。 Ryo: 就活全体では何社くらい応募したんですか。 Ryosuke: 応募だけで言うと150社くらいです。返事が返ってきて、インタビューに進んだのは10社ちょっとですね。ほとんどが、ソフトウェアエンジニアリングをメインにするSaaS企業というより、別のインダストリーがあってそこにAIを活用していこう、という部署を作った会社や、新しくできたベンチャーでした。 「AIエンジニア」という新しい波に乗る Senna: 3社目まで来ると、僕はもうポートフォリオを作ることがなくなってきて、経験で何とかなっちゃってるんですけど。今回ポートフォリオを作ってよかったと思いました? それとも、ワンチャンいらなかったな、と。 Ryosuke: AIエンジニアに関しては、結構助かった部分がありました。AIエンジニアって、ソフトウェアエンジニア+AIエージェントのアプリを作る、みたいな役職なんですけど、面接を受ける中で、コーディングよりもシステムデザインに重きを置いている印象があって。自分でアプリを作って、RAGやLangGraphといった実装まで含めて技術要素をちゃんと説明できることが、コーディングよりも重視されていました。面接で実演も含めて「こういうアプリを作りました」と話す機会が結構あって、そこがかなりポジティブな結果につながったので、ポートフォリオをフル活用した印象です。 Ryo: フロックの中でも考え方が二分するところで。個人開発がきっかけで受かる人もいれば、レジュメや面接対策を徹底的にやってキャリアを築く人もいる。AIエンジニアという文脈でポートフォリオが重要視されたというのは、結構新しいお話ですね。 Ryosuke: 本当に勘が当たっただけで、ラッキーといえばラッキーなんですけど。AIエンジニアの求人票を見ると、必ずLLMがあって、LangChainやLangGraphがあって、オブザーバビリティのLangSmithを使った、とか、RAGといったキーワードが出てくる。その手の職種は、多分2年前には存在すらしていなかったんですよ。だからこそ、出たての仕事にはチャンスがあるというか。攻め方次第では、一般的なソフトウェアエンジニアリングのコーディングテストやかっちりしたシステムデザインとは違うプロセスもあるんじゃないか、と勝手に想像して始めたら、部分的にはその通りだった、というお話ですね。 デロイトやAWSという華やかなキャリアを歩みながら、周囲の「キラキラ」や空気に流されず、QOLや手を動かす楽しさという自分の価値観でエンジニアの道を選び続けてきたRyosukeさん。カナダでは2年間のカレッジで一度立ち止まり、その時間をモラトリアムとしてアプリづくりに充てました。 そして就活では、レジュメや面接対策を磨き上げる王道だけでなく、「AIエンジニア」という生まれたての職種に狙いを定め、選考プロセスの定石がまだ固まっていない領域で、自作ポートフォリオと実演を武器にオファーを掴みました。新しい波は、掴み方次第でチャンスになる。Ryosukeさんの歩みは、そんなことを教えてくれる、示唆に富んだお話でした。貴重なお時間、ありがとうございました。 このインタビューはPodcast「海外キャリアログ」でも配信しています。毎週月曜更新、Spotify・Apple Podcast・YouTubeなどでお聴きいただけます。ぜひ合わせてお楽しみください。
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