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サンフランシスコでの体験を胸に海外挑戦、カナダのAWSでサポートエンジニアとして働くKotaさん

サンフランシスコでの体験を胸に海外挑戦、カナダのAWSでサポートエンジニアとして働くKotaさん

今回は、AWS Toronto にて Analytics 領域を担当する技術サポート職としてキャリアを築かれているKotaさんにインタビューさせて頂きました。Kota さんは実は2025年1月に開催したAWS×Frogのオンライン説明会にも登壇頂きました。彼の話を聞いて、2025年には更に数名のFrogメンバーがAWS Torontoへ就職する予定です。

Frogのような小さなコミュニティにとって、大きな企業の方からこうした機会を頂いたのは本当に貴重でありがたいことです。そしてそれは、まさに現地で実績を積み、信頼を得ている彼らがいたからこそ実現したことでもあります。

そんなKotaさんのキャリアは、理系大学院、Yahoo! Japan (現 LINEヤフー) での研究、楽天グループでのエンジニア職など、いわゆる「経験豊富なハイスペック人材」と言えるかもしれません。でも、このインタビューを読んでいただければわかる通り、それでも海外就職は決して簡単ではなく、現地でのネットワーキングや地道な行動がなければ実現できなかった挑戦でもあります。

これから海外でのキャリアを考えるすべての方に、きっと何か届くはず。ぜひじっくり読んでみてください。


Senna: まず、現在のお仕事について伺ってもいいですか?

Kota: はい。現在はカナダのトロントにある AWS でサポートエンジニアとして働いています。Analytics 領域のチームに所属していて日本のお客様向けに技術サポートを行っています。

Senna: Kotaさんがエンジニアとしてのキャリアをスタートされたのは、いつ頃なんですか?

Kota: 2020年ですね。新卒で日本の企業に入社して、アプリケーションエンジニアとして働き始めました。そこからおよそ 3 年間ほど働いて、2023 年の 7 月にカナダに渡航しました。

Senna: エンジニアを目指すきっかけになった出来事って何かありましたか?

Kota: 大学時代にサンフランシスコに語学留学をしたんですが、そのときに現地のエンジニアの方々と接する機会があって。その人たちが本当にキラキラしていたんですよね。いわゆる“花形職業”というか、自分の手でプロダクトを作って、それが世界中の人に使われている。そういう姿を見て純粋に憧れました。自分は当時、理系の大学生だったんですけど、「ああ、エンジニアってすごくカッコいいな」と思ったのが最初のきっかけでした。

Senna: その時点で、すでにエンジニアになろうと決めていたんですか?

Kota: いや、当時はまだ「そうなれたらいいな」くらいの気持ちでしたね。ただ、その憧れがずっと心のどこかに残っていて。帰国してから徐々に本気で目指すようになっていった感じです。

留学がキャリア選択の背中を押した

Senna: 大学卒業後は、そのまま大学院に進学されたんですよね?

Kota: はい。学部4年の時に留学していたので、就活よりも進学を選びました。研究室配属の際に自然言語処理に興味を持ってその分野をもっと深く学びたいという気持ちもありましたし、指導教授からも「大学院に進むなら留学で海外にいる期間もサポートする」と言ってもらえたのも大きかったです。

Senna: 大学院ではどういった研究をされていたんですか?

Kota: 自然言語処理の研究室に所属していて、主にテキストデータをベクトル化して分析するようなテーマを扱っていました。ちょうどその頃、BERTとかTransformer系のモデルが出てき始めたタイミングで、言語を数値として扱うという考え方にとても興味を惹かれました。

Senna: 最近のAIやLLM(大規模言語モデル)の流れにも通じる分野ですね。

Kota: そうですね。当時はまだ今の大規模モデルが普及する前でしたけど、概念としては今の潮流につながるものだったなと思います。自分の研究が直接今の業務に活きているかというとそうではないんですけど、研究で培った論理的思考力や分析力の部分でベースになっている感覚はあります。

最初のコードは、サンフランシスコの小さなプロジェクトから始まった

Kota: 留学中にたまたま知り合った方が「WeVote」というプロジェクトをやっていて、そこでちょっとだけ開発に関わらせてもらったんです。GitHubのリポジトリを共有してもらって、2〜3件ほどプルリクエストを出しました。

Senna: 英語でのやり取りも?

Kota: そうですね、英語でやり取りしました。といってもそこまで複雑なことはやってなくて、ちょっとしたバグ修正とか小さな改善程度でした。でも実際に現地の人たちと一緒にプロジェクトを進める経験ってそれまでなかったので、すごく刺激的でした。

Senna: まさに“初めての開発”ですね。

Kota: はい。大学の授業でプログラミングは学んでいたけど、実際に使われているコードを読んで、他人が書いたコードに自分のコードをマージしてもらう、というのは初めてでした。これが、「あ、自分にもこういうことができるんだ」と思えた最初の経験でしたね。

リサーチインターンで感じた、現場の厳しさと面白さ

Senna: その後、日本に戻ってからは、Yahoo! Japan でリサーチインターンもされていたとか。

Kota: はい。大学院の指導教員の紹介で、Yahoo! Japan の研究所で1年ほどお世話になりました。週に1〜2回くらい通っていて、自然言語処理系の研究プロジェクトに参加していました。

Senna: 実際の業務はどんな内容だったんですか?

Kota: 社内のプロジェクトの中で論文ベースの技術を検証するという位置づけでした。既存の手法を試してみたりそれに改良を加えたりしながら、最終的には論文として1本発表できました。

Senna: 研究をやりきって成果を出したというのは大きな自信になりますね。

Kota: そうですね。ただやってみてわかったのは、「自分は研究より開発の方が興味があるかもしれない」ということでした。理論を突き詰めるよりも、プロダクトとして使われるものを作る方がやりたいことに近いと感じるようになってそこから「開発寄りでキャリアを築きたい」と思うようになりました。

楽天での新卒キャリアと、海外を見据えた英語環境

Kota: 2020年に楽天に入社して最初は3ヶ月ほど研修がありました。Javaを使ってWebアプリケーションを開発するという内容でそのあと楽天ビックという家電 EC サイトを開発するチームに配属されました。

Senna: 配属後はどんな開発を?

Kota: コンシューマー向けの EC サイトの新機能追加や既存機能の改修が中心でした。担当した機能が実際にユーザーに届くというのはすごく達成感がありました。

Senna: 楽天といえば英語が公用語という印象もありますが、実際どうでしたか?

Kota: たしかにグローバルな環境でした。チームのメンバーも外国籍の方が多くて、社内でのやり取りやミーティングも英語が多かったですね。日本語と英語の両方が使われていたので、必要に応じて切り替える感じでした。

Senna: それって「英語を使って働く」という目標とも重なりますよね。

Kota: はい。将来的に海外で働きたいという気持ちがあったので、英語を日常的に使う環境に身を置けたのは良かったです。楽天はその点でもすごくやりがいのある環境だったと思います。

Senna: では、なぜその楽天を2年ほどで退職される決断をされたのでしょうか?

Kota: 一番大きかったのは、「エンジニアとして海外で働きたい」という目標があったことです。楽天にも海外拠点はありますが、当時はエンジニアのポジションがほとんどありませんでした。プロダクトマネージャーとしてであればチャンスはあったんですが、それは自分が望んでいたキャリアとは違っていました。だったら自分で動くしかないと思い、転職と移住を決意しました。

夫婦で挑戦したカナダ移住

Kota: 移住のタイミングは、妻がカナダの公立カレッジに進学する時期と合わせました。当時は配偶者が就学していれば、オープンワークパーミット(OWP)という就労可能なビザが取れる制度があったので、それを活用して渡航しました。

※現在はルールが大きく変更され、同じ方法での渡航は難しくなりました

Senna: なるほど。渡航当初から働くことができるビザを取得していたというのは、大きなアドバンテージですね。

Kota: はい、そう思います。実際、現地に着いてすぐに就職活動を開始することができました。ただすぐに現地企業に入れたわけではなくて、始めは日本の Web 系企業である Enigmo で業務委託として働き続けながら徐々に活動を始めていきました。

Senna: Enigmo さんでは、渡航前から話をされていたんですか?

Kota: はい。「海外から働きたい」と早めに相談していたので、理解を得たうえでの形でした。もともとEnigmoはグローバル展開をしているプロダクトも持っていたので、比較的柔軟に対応してくれたのかもしれません。形式としては業務委託契約であったので、海外からのリモートでも働き続けることができました。

Senna: 業務委託で働きながら、現地での転職活動も並行していたんですね。

Kota: そうですね。朝や夜間は日本の仕事をしながら、お昼の時間を使って求人を探したり、面接対策をしたりしていました。カナダでは時差の関係で、日本の企業ともやり取りがしやすい時間帯が限られていたので、ミーティングなどのスケジュールも多く調整いただきました。

Senna: そういえばEnigmoさんって、以前インタビューさせて頂いたShoさんも所属されていた企業さんじゃなかったでしたっけ?

Kota: 実は(笑)。僕は社員ではなく業務委託だったのと期間は被っていないため当時直接の関わりはなかったのですが、彼が作ったシステムを僕が修正加えたりもしたので間接的に関わらせていただきました。

大量応募で落ち続けた日々。そこからどう動きを変えたか

Senna: 渡航してからの就職活動って、実際どのくらいの期間続けていたんですか?

Kota: 2023年の7月にカナダに渡航して、AWSに内定をもらったのが翌年の3月だったので、およそ9ヶ月ですね。

Senna: 9ヶ月……それは大変でしたね。

Kota: はい、想像以上に長くて結構しんどかったです。最初の3ヶ月くらいはいわゆるマスアプライをしていて、とにかく数を打つ感じで毎日レジュメを送っていました。けどほとんど返事が来なくて。応募しても見てもらえてるのかどうかも分からない状態でした。

Senna: 市場的にもかなり厳しい時期でしたよね。

Kota: そうですね。2023年の後半から2024年の初めにかけては本当に厳しかったと思います。周囲でもなかなか決まらない人が多くて「これはタイミングの問題だな」とも感じていました。そもそも時期によって求人が減る傾向があるらしくて、10月〜12月あたりは特に反応は鈍かったです。

Senna: マスアプライの難しさって、そういうところにもあるんですね。

Kota: はい。今思えば、あまり良いやり方じゃなかったなと思っています。とにかく応募しようとしていたんですけど、それが逆に裏目に出る結果になってしまったというか。応募しても無反応な日が続いて、気持ち的にも落ち込んでましたね。

Senna: そんな状況でも行動し続けていたことがすごいです。

Kota: 自分にできることを少しずつ変えながら続けていくしかなかったですね。成果がすぐに出なくても、ボランティアとか面接対策とか、とにかくやれることをやり続けるしかないかなとは思っていました。

Senna: そこからどう行動を変えていったんですか?

Kota: 途中から「このままのやり方ではダメだ」と思って動き方を変えるようになりました。ミートアップに参加したり、現地のプロダクト開発のボランティアプロジェクトに関わったりしてオフラインのネットワーキングに力を入れるようにしました。

Senna: どんなプロジェクトだったんですか?

Kota: UBC出身のCTOが主導していたプロジェクトに3ヶ月くらい関わっていました。データエンジニアとしてデータソースからデータウェアハウスまでのETLの設計や開発をやってました。現地のテック系で働く人と知り合うことができて、結果的にネットワークが広がるきっかけになりましたし、実際その後CTOが経営する別の会社のポジションでオファーもいただきました

Senna: ただイベントに参加するだけじゃなくて、実際に何かを一緒にやるってことですね。

Kota: そうですね。ネットワーキングって一度会って終わりだとあまり意味がないと思うんです。初対面でLinkedInを交換しただけの関係って、紹介につながるような信頼関係にはなりづらい。やっぱり「一緒に何かやったことがある」っていう実績がないと、人ってなかなか紹介できないと思うんです。

Senna: その発想、まさにFrogの皆さんがいつも話してることと重なりますね。

Kota: 実際、一緒に何かをやる中で自分のスキルや人柄が伝われば、「この人なら紹介できる」って思ってもらえるんだなと気づきました。なので「関係性をつくる」ということに始めからもっとフォーカスしてもよかったなと思っています。

Senna: そういう関係性が重要だっていうのはどういうタイミングで気がつく物なんですか?

Kota: メンターとしてアドバイスもらっていたヤンマーさんや周りのカナダで働いていた知人からの話を聞いてそう思いましたね。自分がやっていることが本当に正しいのか、ずっと不安だったんですが、「今の方向で間違ってないから、自信を持っていいよ」と言ってもらえたことは気持ち的にすごく楽になりました。

Senna: ヤンマーさん!Frogでも多くの人を支えてくださっている方ですね。

Kota: 本当にありがたかったです。やはり自分のやっていることや向かうべき方向性について客観的にアドバイスをもらうことは重要だなと思いました。そういうのも含めて、現地の人とのつながりを持つことの重要性に気づいていったというイメージですね。

Senna: 行動を変えただけでなく、マインドセットも変わっていったわけですね。

渡航前、日本から挑戦してみた就活の感触

Senna: 渡航前からある程度企業へは応募をされていたと伺いましたが、その時期ってどんな反応だったんですか?

Kota: はい。2022年の秋ごろ、一度まとめて応募したことがありました。まだ日本にいた時期ですけど、LinkedInや企業の採用ページから、20社以上は送ったと思います。

Senna: そのときの返信率って、今と比べてどうでした?

Kota: 体感ですけど、15〜20%くらいは返ってきてました。少なくとも3〜4社には面接につながったし、「話だけでも聞きたい」というメールもそこそこ届いていました。当時は「日本からでもチャンスはあるかも」と思えたくらいには、動きがありましたね。

Senna: 今と比べたら、だいぶ違いますよね。

Kota: 全然違います。2023年に入ってからは、返信率は数パーセント程度だったと思います。同じようなレジュメを使っていても、全く反応が返ってこない。何十社に送っても、返信すらされないことも普通になってきて「あ、これは時期の問題だな」と思いました。

Senna: その差を身をもって体験していたんですね。

Kota: だから渡航したときは、ある程度「厳しい戦いになるだろうな」という覚悟はしてました。でも、それでも実際にやってみたら、想像以上にしんどかったです。

Senna: 景気とタイミングの差って、やっぱり大きいですよね。Frogでも、2022年のバブルの時期は、北米の市場全体がかなり調子良かったので、Frogの中でも正直「誰が来ても就職できる」みたいな状況でした。ただ、当然ですが毎年同じように調子が良いわけではないので、実際常に景気の良いタイミングの市場を意識して渡航したせいで痛い目見た人ってFrogでも何人かいます。

Kota: 僕も多少はその影響を受けていたと思います。今になって振り返れば、「同じレジュメでも時期によってまったく反応が違う」というのは大きな発見でした。

Senna: 日本にいる人たちが今応募しても、正直なところほとんど返ってこないですもんね。今はもうどれだけ優秀な人でも、日本からの応募ではほぼ無反応だと思います。

Kota: そうですね。だから、自分は現地でネットワークを築く方向にシフトしていきました。そうすることがより有意義かと感じて。

Senna: 今回の話で「返信率の落差」が明確に出ていて、読者にもすごく伝わると思います。

Kota: ありがとうございます。就活って、スキルやレジュメだけじゃなくて、いつどこで何をしているか、タイミングの要素が大きいんだと、自分の経験を通じて実感しました。

Senna: 本当にそうですね。だからこそ「今2025年に挑戦する人」は、今の市況に合った動き方が求められるということですね。

Kota: はい。そして「誰かの成功体験」が必ずしも自分に当てはまるとは限らない。過去事例の光の部分だけを見て楽観しすぎないでほしいというのは、伝えておいたほうがいいかなと思います。

現地にいたからこそ、届いたオファーがあった

Senna: では核心に迫っていきたいわけですが、AWS からのオファーってどういう形であったんですか?

Kota: 実はAWSのマネージャーの方からLinkedIn経由で直接メッセージをいただいたんです。

Senna: それはすごいですね!どういう内容だったんですか?

Kota: AWS が日本語対応のできるサポートエンジニアをちょうど探していたタイミングだったようで「このポジションに興味がないか」といった感じのご連絡でした。日本語案件ということもあって、日本人を探していたんだと思います。

Senna: 現地にいらっしゃったのが、大きな要因だったということですかね?

Kota: それはあると思います。プロフィールには「カナダ在住」「就労可能なビザあり」と書いていたのでそれも目に留まったのかもしれません。実際、応募フォームなどを通したわけではなくて、直接声をかけてもらえたというのは「現地にいたからこそ」とは思います。

サポートエンジニアという職種のリアル

Senna: AWSではサポートエンジニアというポジションに就かれているとのことですが、具体的にどんな業務を担当されているんですか?

Kota: 今は分析系のサービスを担当していてAmazon OpenSearch ServiceやAmazon Redshiftなどのサービスに関する技術的な問い合わせに対応しています。お客様は日本企業が多いので日本語での対応がメインになります。

Senna: 実際に働いてみて、イメージと違った部分などありますか?

Kota: 正直、最初は「サポート=お客様対応」というイメージが強くて、テクニカルな仕事という印象は薄かったんです。でも実際はお客様がエンジニアであることが多く技術的に深い知識が求められる場面が非常に多いです。トラブルシューティングの力がすごく必要とされます。

Senna: 完全に“技術職”ですね。

Kota: はい、間違いなく。本当に深い技術力が求められるポジションですし、日々学ぶことばかりです。特定のサービスだけではなく周辺の AWS サービスについても理解していないと根本的な解決には至らないことも多いです。サポートという形ではありますが、“エンジニアのためのエンジニア”という感じですね。

動いていたからこそ、めぐり合えたキャリアだった

Senna: AWS での仕事も少しずつ軌道に乗ってきた頃かと思いますが、今後のキャリアについてはどんなことを考えていますか?

Kota: 今のポジションでしっかり成果を出してまずは昇格を目指したいと思っています。AWS の社内でも経験やスキルに応じて幅広いキャリアパスが見えてくると思うので、将来的にはSRE(Site Reliability Engineer)やデータエンジニアリングなどの技術領域にも挑戦していきたいですね。

Senna: 今担当されている分析系の分野もデータ系やクラウド領域と密接につながっているから、ステップとしても自然ですよね。

Kota: はい。そのあたりは今後模索していきたいです。

海外で働くということ、準備と行動について

Senna: Kotaさん自身、理系の大学院を出て、Yahoo! Japanのリサーチインターンを経て楽天で実務経験を積まれて。でも、それでも海外就職は簡単じゃなかったというお話でしたが、これから海外を目指す人たちに向けて、何か伝えたいことがあればぜひ。

Kota: そうですね。できる限り準備をして欲しいというのは伝えたいです。ただ準備って終わりがないんですよね.. 日本にいたら経験年数は積めますが、どこまで経験を積めば OKかって線引きも難しい。だから、結局挑戦したいと思ったときに挑戦するしかないかなとは思います。自分の中で「ここまでやった」と思えるところまで来たら、あとは実際に応募して、現地に行って人と話してみる。

Senna: 本当にそうですね。行動してみないと得られない情報もありますからね。

Kota: はい。そしてできるだけ早く行動に移すと良いと思います。矛盾しますが..(笑)。ライフステージによって移住のハードルは確実に変わるので。もちろんどんなタイミングでも挑戦できるとは思いますが、身軽なうちにチャレンジできるのはやっぱり大きなメリットだと思います。

Senna: 素晴らしいアドバイスありがとうございます!準備と行動力、難しいバランスですが多くの人に伝えられたらと思います。


今回Kotaさんのインタビューを通して改めて感じたのは、「ビザやスキルだけでは越えられない壁もある」ということでした。

経歴だけを見れば、Kotaさんは申し分のない実績を積んできたエンジニアです。それでもカナダでの就職活動には9ヶ月という長い時間がかかり、その間には景気の冷え込みや求人の減少といった、個人の努力ではどうにもならないタイミングの波もありました。

それでもKotaさんがチャンスを掴むことができたのは、現地にいることでしか得られない信頼や出会いに繋がる行動を、自分自身で積み重ねてきたからだと感じます。ボランティア活動、ミートアップへの参加、Frogのイベントへの参加など、どれも「今できることをやる」という姿勢があったからこそ、運だけに頼らずに道が開けたのではないでしょうか。

海外就職に正解はありません。でも、何かを変えるには、やっぱり自分から動いてみることが一番の近道なのかもしれません。この記事を読んだあなたにも、そんな一歩を踏み出す勇気が届いていたら嬉しいです!