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Frogが選ばれるわけ
私達がご提案していることは、単に英語や観光のための海外渡航ではありません
圧倒的な海外就業実績
GAFAMやユニコーン企業、北米ローカル企業での就職実績を基に、日本では得られないキャリアの可能性をご提案します。
北米最大規模のTechコミュニティ
現地で活躍するエンジニアとの情報交換や人脈形成を通じて、コミュニティ不足という国外挑戦の最大の課題を解消します。
ITに特化した500名以上の実績
「英語ができるようになる」という漠然としたサポート実績ではなく、IT分野の北米進出に特化した実績ならではの充実サポート
日本国内外を意識したキャリア提案
日本、カナダ、アメリカなどの国ベースのキャリア相談はもちろん、SaaS、エージェンシー、個人開発、スタートアップなど、あらゆる面からのキャリア提案が可能
イベント情報
イベントはすべてPacific Time(太平洋時間)でご案内しています
Frogビザ相談会
海外就職を検討するうえで押さえておきたい基本的なビザ戦略、今後のTechフィールドにおけるポイント、そして注意すべき最新のトピックを丁寧に解説します。また、日頃感じている疑問を気軽に相談できる質疑応答の時間も設けています。
北米レイオフのリアルと対策:経験者から学ぶキャリアの備え
北米テック業界で増えるレイオフ。その実情や対処法を、実体験者が本音で共有し、今後のキャリアを守るための知識と備えを学ぶイベントです。
開発者コミュニティ主導のオープンイベント『Frog Builders Sunday』のお知らせ
週末に集まって自由に開発・学びに取り組むコミュニティイベントです
サービス内容
Frogが提供している各種サービスに関するご説明
サポート内容
渡航後に提供している各種サポートに関するご説明
最新インタビュー
コーヒーも注文できなかった渡航初日から、Amazon Web ServiceのCSEへ海外就職を達成したObaraさん
本記事では、カナダでの学び直しを経てAWSトロントでカスタマーサポートエンジニアとして働き、現在は日本でTAMとして新たなキャリアを歩むObaraさんにお話を伺いました。 日本では鉱山エンジニアとして働き、その後Excel VBAをきっかけにITへ転身し、スタートアップでフルスタックとしてキャリアを積んできたObaraさん。人生の大きな転機を経て海外挑戦を決め、カナダへ渡航します。 到着直後のスターバックスでは言葉が全く出てこず、日本人スタッフに助けてもらいながら「ブラックコーヒーください」とようやく伝えられたというエピソードが象徴的でした。その後も英語の壁に苦しみながら、CICCCでの学習やTim Hortonsでの勤務、そして何十件応募しても決まらない就活を粘り強く続けます。 AWS面接では30個のOLPエピソードを用意し、仲間と面接練習を重ねて内定を獲得。トロントで経験を積んだあと、Obaraさんは日本での新しいポジションへ踏み出す決断をします。 本記事では、こうしたキャリアの背景やカナダでの挑戦、そして帰国に至るまでの心境を、Obaraさんの言葉とともに丁寧に追いました。 Frogとの出会いとカナダへの道のり Senna: Frogのインタビュー記事って見たことありますよね? Obara: はい、見たことあります。 Senna: 覚えてますか?Obaraさんが一番最初に連絡いただいたときの内容とか。 Obara: 最初お問い合わせしたときは、まだ気持ちが決まっていなくて。Sennaさんに面談いただいた気がするんですけど、その直後にプライベートで色々ありまして。 Senna: そうですよね。一回連絡いただいた後に、ちょっと2年くらい時間空きましたもんね。 Obara: そうですね。色々事情が重なりました。 Senna: そういった事情もあってという部分で、再度ご連絡をいただいたのが多分2022年末か、もうほぼ2023年ですね。 鉱山エンジニアからITエンジニアへ Senna: 懐かしいですね。LinkedInなんかも先ほど拝見させていただきながらキャリアの部分を振り返っていたんですが、Obaraさんエンジニア経験者としてカナダに渡航されてましたよね。 Obara: そうですね、エンジニアとしては3年ぐらい経ってからカナダの方に渡った感じですね。 Senna: 僕、最初ObaraさんのLinkedInに「マイニングエンジニア」って書いてあるのを見て、「ビットコインのマイニングしてんのかな?」って思って見ていたら、多分これ本当のマイニングですよね? Obara: そうです。最初の新卒から5年間は、セメント会社の鉱山部門で鉱山の管理の仕事をしてました。生産量を管理したり。今考えると、本当にびっくりするぐらい、今の仕事とはかけ離れてる仕事ですね。 Senna: 間違いない。しかも結構長いですよね、5年くらい。ここは新卒から入られたんですかね。 Obara: そうですね。大学で地質学っていう、地面の地層の重なりみたいなのを扱う学問をやっていて。その関係で、石油系かセメント系みたいなところに入社する人が多いんですけど、石油は結構年収もいいので人気で。自分はセメント業界の方でご縁あって採用していただいて。技術系総合職っていう枠で、その会社が全国に何個か鉱山を持ってたんですけど、そのうちの一つの山口県の鉱山で、現場の方の勤務を3年ほどやってました。 プログラミングとの出会いはVBAマクロがきっかけ Senna: なるほどですね。そういったお仕事をされている中で、次のキャリアがいきなりフルスタックエンジニアって書かれているから、「どんな転機があってエンジニアに転向されたのか、すごく気になるな」と思っていて。何かきっかけがあったんですか? Obara: 新卒の会社で、やっぱり定年まで勤めようと思っていたんですけど、あまり仕事できなくて、成果も出なくて。「自分には向いてないのかな」っていう気持ちが結構あって、だんだん疑問に感じるようになってきて。そんなときにExcelのVBAマクロっていう、エクセルのプログラミング言語みたいなのを組んだことがあって、それが結構面白かったんですよね。作業みたいなのがボタン1つでできる、というのが。 Senna: いいですね。入り方としてはよくあるパターンですよね。マクロ組んでみたら、そこから初めてプログラミングに携わる、みたいな感じですよね。 Obara: そうですね。それでIT業界に結構興味を持ち始めて、転職活動を開始したところですね。 Senna: でも、マクロ組めるだけだったら、さすがにプログラマー・エンジニアとして就職するのは無理じゃんって思うんですが、そこはどうやっていけたんですか? 学校かなんか通ったんですか? Obara: オンラインのプログラミングスクールに通いました。会社に通いながら、夜にオンラインのプログラミングスクールに通って、Ruby on Railsのアプリを作るみたいなカリキュラムだったかなと。 Senna: なるほど。じゃあ最初はRailsエンジニアだったわけですね。 スタートアップでのフルスタック開発経験 Senna: そこからキャリアがスタートしていく中で、Obaraさんのご経歴を見るとフリーランスの案件数が多いですよね。 Obara: 何個かフリーランスの案件を転々としていたので、経歴がたくさんあるように見えるんですけど。最初はスタートアップの会社で、ゼロからだったんで、いろいろ教えてもらいながら、ひたすらコードをたくさん書かせてもらいました。バックエンドはRuby on Rails、フロントはReact、ネイティブアプリはReact Nativeみたいな。全部やらせてもらえて、たくさんコードを書かせてもらえたので、それが2年くらいですね。 Senna: すごいな。その経験をしてからフリーランスになられたと。 Obara: そうですね。 Senna: それが最初の案件、最初に入られたのはどんな会社さんだったんですか? Obara: いや、最初にフルスタックでやっていたのが、Tunagateっていう会社での正社員の仕事ですね。そこで働いてから、その後、とある受託開発会社さんに業務委託で入ったんですけど。元々の案件の方が、国内のレジャー系サービス企業さんのアプリシステムみたいなのを改修するような仕事で、それは基本的にはRubyとフロントとバック、Ruby on RailsとReactっていう感じでした。 Senna: なるほど。じゃあ、キャリアとして本格的に始めたのはTunagateさんの方が先だったんですね。 Obara: そうですね。Tunagateさんの仕事は、カナダに来てからも続けてやらせてもらっているので、そういう風に見えるんだと思います。 Senna: 素晴らしいですね。じゃあ本当に最初、Tunagateさんがキャリアのきっかけになっていて、それが今に至っているってことかなと思うし、期間もすごく長いですよね。しかも4年と1ヶ月という期間、ずっと一緒に仕事されていたっていうのもあるので。カナダに来てからも、このTunagateさんとの案件はずっとやり続けていたってことですね。 Obara: そうですね、はい。 Senna: 一番美しい形ですね。だいたい皆さん、日本で仕事をされていて、一度辞めて、こっちに来てから頑張ってフリーランスの仕事を見つけるみたいな方が多いですが、日本で既に関係のある会社との仕事をそのまま海外生活に持ち込めると、収入面でも精神面でもかなり安定するので、理想的ですよね。なるほど、じゃあ日本でのキャリアという意味では、このTunagateさんでのキャリアが一番長くて、メインになってくるってことですね。 海外への憧れは冒険への情熱 Senna: カナダに渡航するきっかけみたいなところは、皆さんすごく気にすると思うんですけど、実際にどういう経緯があって海外行こうと思ったんですか? Obara: 漠然とした理由と、途中からは結構具体的になってきて、「もうこれは行かないと」とみたいな感じになったんですけど。漠然とした理由としては、社会人になって落ち着いてきてから、昔「電波少年」っていう番組でヒッチハイクの旅ってあるじゃないですか。 Senna: ありましたねー。むっちゃ懐かしいな。 Obara: 小さい時に見たので、そのときはものすごくは記憶に残ってなかったんですけど、改めて社会人になってから見てみて、「いいなー」と思っちゃったんですよね。海外でちょっと放浪の旅いいなーって思っちゃったのと、あと沢木耕太郎さんの「深夜特急」っていう、脱サラして海外に放浪の旅に出るっていう小説があるんですけど、そういうのを読んだりしていて。自分はずっと日本にいるので、ワンピースとかハンターハンターとか、あとドラクエとかもそうですけど、「冒険いいなー」って。 Senna: 現実的な理由かと思いきや、いきなり少年みたいな感じの理由に転化されましたね Obara: 中二病な感じ全開なんですが、そういう漠然とした憧れが常にあったんです。 行動に移すきっかけとなったYouTubeとFrogのブログ Senna: とはいえ、「電波少年」だったり小説読んだりっていうのは、みんな多分やってることだと思うんですけど、なかなか実際に行動に移す人ってほとんどいないわけで。それこそ、行動に移すことになった決定的なきっかけとかはあったんですか? Obara: 「どうやったらそういうことができる方法があるのかなー」とは思っていて、なんとなく調べてはいたんですよ。Sakai JunさんっていうYouTuberの方がいて、海外でエンジニアとして働いている人たちを、かなり具体的に生で紹介していて、「こういうルートがある」みたいな話をされていて。それで結構解像度が上がってきたんです。で、やっぱり調べていくうちに行き着くのが、やっぱりFrogさんだったんですよね。それで、Sennaさんの「今バンクーバーという街がどれだけ熱いか」っていう昔のブログ記事を読んで。 Senna: 書いたなー、懐かしいですね。 Obara: あれが結構衝撃で、「これはもうバンクーバーしかないな」と思って、一気にそこで具体的になったんですよね。Frogさんのプランを見て、すごい具体的じゃないですか。「1年目は学校に通いながら、2年目はそのビザを使って、3年目はワーホリを使って」っていう、かなり具体的なプランが書いてあって。あとSennaさんの書かれていた日本にハイグイが必要っていう記事、この「ハイグイ」という言葉はNHKスペシャルで見たことがあって。Sennaさんのブログを見て、すごい気持ちが熱くなったというか。 Senna: それは執筆者冥利に尽きますね。ありがたいです。 Obara: 結構色々な事に感化されて熱くなるタイプなんですよ。気持ちが熱くなってきて、「そういう人材になりたいな」というか。具体的なプランっていうのはFrogさんのプランを見て、「これはいけるな」ということで計画を立てていましたね。 カレッジへの準備:TOEICと英語学習 Senna: 2022年の末頃に再度ご連絡いただいたときには、もうすでに30歳を超えられていて、ワーホリが使えない状況になっていたと思うんですが。「31歳を超えていてワーホリが無理だよね」という話になると、自然とカレッジ進学のプランになりますよね。そのあたりの説明についても、割とすんなり納得された感じでしたか? Obara: そうですね。プライベートでいろいろあって、気づいたらワーホリが使えない年齢になってしまった、というのは正直かなり残念でした。でもそのぶん、「技術力としてはまあ問題ないかな」と思っていたので、「なんとかなるんじゃないかな」という楽観的な気持ちはありましたね。 Senna: その楽観視が、みんななかなか持てないんですよね。だからこそ踏ん切りがつかない。いいことだと思います、本当に。 Obara: 計画は自分の中でものすごく前倒しで立てていました。人生で「チャレンジしない後悔」だけは絶対したくなかったので。もう私にはCo-opしか選択肢はなかったですけど、「行こう」と決めました。 Senna: もう一つ驚いたのが、2022年末にいただいたご連絡のときのTOEICスコアが830点だったことなんですよ。日本人としては相当高いですよね。英語は昔から勉強されていたんですか? Obara: 自分は完全に受験英語タイプでしたね。大学のときもスピーキングやリスニングは全然できなくて、ほぼ単語力で戦ってきた感じです。社会人になってから、新卒で入った会社の福利厚生で「英語力を鍛えよう」という制度があったので、そこで頑張って700点台まで上げた感じです。 Senna: その時点でもう既に高かったんですね。素晴らしい。 Obara: その後、カナダに渡ろうと決めてから、1年くらいかけてさらにスコアを伸ばしました。CICCCに入るのに確か850点以上必要だったと思うんですけど、必死に勉強してなんとか830まではいったんです。でもその時点ではまだ足りていなくて、その後なんとか超えたという形ですね。 Senna: なるほど。でもね、あと20点くらいならすぐに超えられるだろうな、という手応えもきっとあったと思いますし、英語の部分に関しても「なんとかなる」という感覚はあったと思います。そこからFrogに相談にも来ていただいて、ワーホリが使えない中で「CICCCに2年間通って、その間でキャリアを作る」というプランを一緒に組み立てた、ということですよね。 Obara: はい。ただ実際の英語は結構苦手で、実践経験もほとんどなかったので……カナダに着いてからはかなり苦労しましたね。 カナダ到着後、コーヒーも注文できない現実 Senna: 実際に渡航するっていう部分に関しては、割とFrogのよくあるパターンで渡航されたってことになったのかなと思うんですが、渡航前の部分、入学までは特に問題なかったですか? Obara: 入学までは特に問題なかったと思いますね。ただ、学校に通い始めてから、英語がとにかく喋れなくて。 Senna: やっぱそうだったんですね。 Obara: リスニングもスピーキングも全然ダメで、コーヒーも注文できないみたいな状態だったんですよ。 Senna: TOEIC 850点持っていてですか? Obara: はい…、今でも鮮明に覚えていますが到着してすぐに注文するスタバの店員さんに、とにかく口から何も出てこなくて。見かねた店員さんが「奥に日本人がいるから」って、奥から日本人のスタッフさんが出てきてそこで『ブラックコーヒーください…』って言うっていう。今思い返すと情けない最初のスタートでした。 Tim Hortonsでのバイト経験 Senna: 英語はその状態からどうやって克服したんですか? Obara: それが、以前FrogのKeiさんが『カフェバイトで英語が超伸びた』って話をしてた動画あったじゃないですか? Senna: ありましたねー。 Obara: それを見て、自分の課題はとにかく英語だと割り切り。とりあえずバイトしないとなと思って、ダウンタウンのカフェにひたすらレジュメ配りをしました。2件面接に行けたのですが、1件は落ちて、1件は試用で体験をさせてもらいました。体験は英語の説明が聞き取れなくて、例えば、牛乳の種類がいろいろあるじゃないですか。ホールミルクとか、アーモンドミルクとか、オートミルクとか。他にも脂肪1%とか2%とか聞き取れなくて、結局全部落ちてしまいました。結構凹みました。それでカフェじゃなくて、カナダの有名なドーナツ屋でTim Hortons(ティムホートン)っていうチェーンがあるんですけど。 Senna: ありますね。 Obara: ある時、積極的に採用しているTim Hortonsを見つけて、2回レジュメを持って行ったところやる気を認めてもらい雇ってもらいました。 Senna: そういう経緯があったんですね。 Obara: それでTim Hortonsで4ヶ月ぐらいバイトしてました。 Senna: すごいですね。実際カフェバイトが英語力向上に役立つというのは知識では知っていても、実行に移す人はなかなかいないです。ちなみに、そのTim Hortonsでのバイトって英語環境だったんですか? Obara: そうですね。お客さんは現地の人とか同僚とのやりとりとか、英語環境でしたね。 Senna: なるほどですね。そういったところで英語力も鍛えつつ、学校の方にも通われていた、ということですよね。 就活50件以上の応募とリセッション Senna: 就職活動自体は、いつ頃から始められたんですか? Obara: 僕は2023年4月ぐらいにカナダに渡ったんですけど、Tim Hortonsで働き始めたのが6月ぐらいかな。それから10月とか11月ぐらいになってから、一旦Tim Hortonsを辞めました。その時周りの方も結構エンジニアの仕事に就き始めている人も出てきていたので「流石にそろそろ英語云々っていうより、早くエンジニアの仕事取らないといけないな」と。レジュメとか、いろいろあると思うんですけど、50件ぐらい応募したかな。 ただ、全然どこにも引っかからなくて。学校が紹介してくれた1つと、あともう1個面接できたところがあったんですけど、そこももちろんダメで。やっぱりうまく自分の良さみたいなのを説明するのが結構大変でした。 Senna: 準備期間が結構あるといいんですけどね。 Obara: 結構ちっちゃいスタートアップであればあるほど、連絡来てから2、3日後とか1週間後とかに「面接やろう」みたいな話になるので、準備が間に合わないというか。そこを含めて単純に準備不足であったと思うんですけど、とにかく全部落ちていました。 Senna: レジュメを50件くらい送った、っていう部分の中には、CICCCの紹介だったりとかも含まれていたってことですよね。就職活動の時期としては、4月に渡航して、6月くらいからTim Hortonsで仕事を始めて、4ヶ月くらいだから10月くらい、その年の冬くらいにはTim Hortonsを辞めて、そこから就活に本腰を入れ出したってことですよね。 Obara: そうですね、はい。 Senna: 2023年の後半頃って言ったら、もうリセッションど真ん中じゃないかっていう、かなり不景気な時期だなと僕は思っているんですが。さっき、周りにも決まり出した方々がいたっていう話もされていたと思うんですけど、とはいえ全体としては、やっぱり周りも含めてそんなに景気よくはなかったんじゃないかなと思うんですが。 Obara: 確かに、景気よくなかったと思いますね。 AWSとの出会いと友人からの情報 Senna: そんな中で、僕は正直、気がついたら「いつの間にかObaraさんがAWS行くらしい」みたいな、寝耳に水みたいな感じで聞いて。「え、どういうこと?」ってなっていたんですけど、その辺はどういう風に決まっていったんですか。 Obara: 年明けの2024年ぐらいに、友達の方にLinkedIn経由で連絡があったっていう話を聞いて。インタビュー記事、他の方のを見ていると、直接連絡が来たっていう話が書いてあるんですけど、自分には残念ながら特に連絡はなくて。その友達の話を聞いて、自分はAmazonのジョブの募集フォームから、自分で応募しましたね。 Senna: でもね、それで実際に受かるわけだから、すごいなとしか思わないんですが。実際に対策だったり、面接に臨むにあたっての準備だったりっていうのは、ご自身一人でやられたんですか? Obara: たまたま同じように受ける人が周りに結構いたので。仲がいい友達と、タイミングもちょうど同じぐらいだったので。自分で、もちろん「どういう面接か」みたいなのは調べるんですけど、自分一人で調べると「方向性間違ってないかな」って不安になると思うんですよね。なので、友達とすり合わせたり、「あまりおかしい方向には行ってないかな」というのをお互いに確かめ合ったりしてました。あと、面接練習も、お互いに片方が面接官になって、もう片方が候補者として、交互にやってみたいなのを練習しましたね。 Senna: いいですね素晴らしい。じゃあ学校でできた繋がりなんかも含めて、AWSのチームにご自身で応募されて、実際に受かったっていうことだと思うんですけど。面接の過程だったりとかって、AWSって結構その辺、秘密主義というか「あんまり言っちゃダメ」みたいな空気感がちょっとあるんですが、話せる範囲で教えてもらうことってできます? どんな流れだったかみたいな。 AWS面接、OLPエピソード30個の準備 Obara: 最初は一次面接で、応募するポジションに近いポジションの人と面接しました。そこで合格したら、次にループ面接っていうのに入るんですけど、一次面接とループ面接の間に、ソフトウェアエンジニアだったら多分コーディング面接みたいなのが入ると思いますね、技術面接みたいなの。それが終わるとループ面接になるんですけど、ループ面接の方はマネージャークラスか、その同等クラスの人が、自分の場合は4人でしたね。4人に面接されて。 自分のカスタマーサポートエンジニアのポジションに関しては、OLPっていう、リーダーシッププリンシパルですね。Amazonのプリンシパルが16個だったかな、あるんですけど、それに沿ったエピソードを準備しないといけないんですね。そのリーダーシッププリンシパルに沿ったエピソードを、自分は30個ぐらい用意していました。 Senna: すごいですね。 Obara: エピソード作りが結構つらいんですけど、もうなんとか、ひねり出すしかないですね。それを何回も何回も友達と壁打ちして、エピソードを熟成させておいて、聞かれたら話す、という形で臨みました。ループ面接は、半分がOLPに沿った行動面の質問、もう半分が技術知識を問うような質問でした。技術側はOSとかネットワークとか、その辺りが中心ですね、質問は。 Senna: ありがとうございます。ちなみにこれ、あれですよね、ジョブチェンジのヤンマーさんのチャンネルの方にもご登場いただいていましたよね。 Obara: そうですね。 Senna: すごいありがとうございます。こんなに詳しく書いてくれてるとは正直思ってもいなくて。バンクーバー組の人たちは、「この人誰?」ってなってたんで。 AWSトロントと日本人コミュニティ Senna: AWSトロントって日本人の人数、多いじゃないですか。Frogにも色々皆さんが何されているのかとかコミュニティのSlackに投稿して欲しいなとは思っているんですがやはりどうしても距離があるのでなかなか難しく。ObaraさんはFrogのSlackにも情報を投稿してくれますよね。本当にありがとうございます。実は結構感謝していまして。 Obara: そうですね。AWSトロントは日本人が多いので、やはりそこでだけ情報が完結しちゃうんですよ。なのでFrogのコミュニティの方に向くエネルギーがなくなっちゃうというか。 Senna: まあそうですよね。ビックテックは特に一つのコミュニティとして強いですし。 Obara: でもやっぱり他の国の人とか見ると、会社の垣根を越えて、その国人達同士でかなり活発に情報共有とかしてるのが普通で、僕もそれを見て何か出来ないかなと、それはでもヤンマーさん(よくFrogでコミュニティ活動をしてくれる方)に感化されて投稿しました。 Senna: ありがとうございます。十分すぎるぐらい今回のインタビューも含めてご貢献いただいているので、言うことないんですけど。 もう少し教えて欲しいのが、インタビューの部分において、2024年2月くらいにジョブサイトの方から応募申し込んで、結構働き出すまでが早かったんですね。 Obara: はい。 1〜2ヶ月の集中準備、面接対策期間 Senna: インタビュー対策に関しては、結局1ヶ月から2ヶ月くらいかけて行っていった感じですかね。 Obara: そうですね。その間は本当にそればっかりやっていて、他のことは全くしてなかったです。 Senna: これなんですよね。実際FrogでAWSの採用説明会を開かせていただいた後に応募する人たちを見てきましたが「絶対この人受かるだろう」と思ってた人が受からなかったんですよ。それで「この人は正直厳しいんじゃないか」と思っていた人が受かったという光景を何度も目にしました。正直その差が何かって言ったら、もう本当に「準備にどれだけ時間かけたか」っていう一点しかないなと思っていてですね。 Obara: そうですね。自分が何をしたのかはどこかでちゃんとお話出来たら良いかもしれないですね。 Senna: トロントのAWSっていうことで、バンクーバーから離れるわけじゃないですか。ご本人としては、バンクーバーからトロントに移るって決まったとき、迷いとか心配事とかはなかったですか? Obara: 働く場所に関しては全く何も懸念はなかったというか、むしろ違う街に行けるのは結構楽しそうだなと思ってました。1つ懸念としては、BCPNPとかは使えなくなるのかなと、今となってはなんですけど、その当時はちょっと考えました。ただ正直、採用されたのが嬉しすぎて、あまり迷いはなかったですね。 Senna: そうですよね。ちなみにどのくらい嬉しかったんですか? やっぱり、50件何十件とレジュメ送って全く見向きもされずに、という状況の中での「Amazon AWS」っていう、いきなりのジャンプアップだったと思うんですが。 Obara: いやー、最初は実感はあまりなかったですね。でも「受かった」と聞いて本当に嬉しくて、言葉にならないくらいでした。 面接経験とFrogメンバーとの繋がり Senna: ちなみに他に受けたところで、面接まで行き着いたことってありましたか? Obara: 応募して面接までいったのは2件ほどあったんですけど、やっぱり落ちた、というのがありました。 Senna: じゃあもう本当に、バンクーバーに渡航して2024年に入ってからは、ほとんどがAWSに入るための対策の時間だったような感じなんですね。トロントの方に移ったのが、4月頃ですか? Obara: そうですね、4月の22日から働き始めましたね。 Senna: Frogのメンバーも、他にもその時期から結構いらっしゃったんですか? Obara: そうですね、Frogからのメンバーだと5人ぐらいいたかな。時期は結構みんなバラバラだったんですけど、数週おきにまた誰か入ってきたり、みたいな感じでした。 AWSでの業務、カスタマーサポートエンジニア Senna: 実際に働き出してからのことも聞いてみたいなと思うんですけど、トロントの方に移住されたのが4月頃ということで、カスタマーサポートエンジニアっていうポジションにあまり馴染みがない方も多いんじゃないかなと思うんですが、話せる範囲で、Obaraさんが最初入ったときにどういう仕事をアサインされて、その後どんな変化があったのか、今に至るまで教えてもらえますか。 Obara: 業務内容としては、自分は今までコードを書くことをやっていたので、インフラをここまでガッツリやるっていうのは初めてで、とにかく最初は学ぶことが多かったですね。半年ぐらいはずっと勉強していました。 Senna: ちなみにカスタマーサポートエンジニアのポジションって、いくつか部署が分かれるじゃないですか。インフラのポジションだったんですか? Obara: 自分はLinuxプロファイルっていう、Linux OS──EC2のLinuxを中心に、その周辺のサービスを担当していました。 Senna: 「EC2ならEC2だけのカスタマーサポート」なのかなと思っていたんですけど、EC2の中でもそういうプロファイル分けがあるんですね。 Obara: はい、EC2に関してはLinuxとWindowsで分かれていますね。 Senna: OSごとに分かれてるんだ。さすが大手は違う。じゃあLinuxの方ということで、そこもインフラの経験がむちゃくちゃあった、という経歴ではないですもんね。 Obara: そうですね、たまたま面接の時に、Linuxの質問に答えられたっぽくて。でも入ったらひたすら勉強でしたね。ただ今は、ある程度自信もついてきたので、かなり貴重な経験でした。やっぱり世界中からインフラの問い合わせが来るので、インフラに関しては世界トップレベルで情報が集まっているんじゃないかなと。 Senna: 素晴らしい。基本の業務としては、世界中の方からいろんな質問をされて、Obaraさんの場合だったらEC2におけるLinux側の質問がたくさん来ると。それに対して回答したり、他のチームに対してその質問を投げたり、その橋渡しをしたり、そんなイメージですかね。 Obara: はい、そうですね。 AWSでのキャリアパス、マネージャーとの壁打ち Senna: 前に説明会でお話を聞かせてもらったときに、AWSのすごいなと思ったところが、ポジションに入るときにご自身のキャリアパスだったりを、マネージャーと最初から壁打ちできるみたいなことをおっしゃっていて。その部分においては、例えばObaraさんご自身も「将来的にどのポジションに移りたい」とか「どういうキャリア積みたい」とかって話されたんですか? Obara: マネージャーが、違うポジションに行くことを結構推奨していて、「どんどんステップアップしていこう」というスタンスなんですよね。どうやったら昇進できるか、どうやったら違うポジションに移動できるかっていうのを、惜しげもなく情報くれるんです。 Senna: 雪村さんですよね。以前お話もさせていただきましたが。 Obara: 雪村さんは日本に移動してました。今は新しいマネージャーです。 Senna: あ、移動したんだ。そうなんですね。じゃあ今、カスタマーサポートエンジニアのポジションで1年半くらい経験積んだんですかね。 Obara: 最初の半年ぐらいは一人立ちするまで、メンターの方に教えてもらって、ひたすらつらい期間でしたね、最初の6ヶ月間は。ついていくのに必死で。その後しばらくは自立するような期間だったのかなと。最近はむしろ少し余裕も出てきて、他の人のサポートをしたりとか、自分のキャリアアップを考えたりとか、そんな感じでしたね。 日本帰国の決断、TAMポジションへ Senna: 今回、日本の方のポジションに変わるって聞いてご連絡いただいたのもあるんですが、そのきっかけとかはあったんですか? Obara: マネージャーの方から、日本のポジションが空いていて募集しているという情報をもらって。自分は永住権を目指していたんですけど、だんだん「ちょっと厳しくなってくるな」ということは感じていて。このまま在籍していれば永住権は取得できる、正直他の人からしたら喉から手が出るほどいいポジションだと思うんですけど、自分のプランとして計算したところだと、あと3年ぐらい働く必要があると思ったんですね。それがちょっと長いなという感覚があって。そんな中で今回いいポジションが空いていたので、応募して、採用という形になりました。 Senna: 素晴らしい。ちなみにこれはどのポジションなんですか? 聞いてもよければ。 Obara: TAMっていう、テクニカルアカウントマネージャーっていうポジションです。 Senna: マネージャーになるんですか、じゃあ。 Obara: これがややこしいんですが、マネージャーではないですね。特定のお客様に寄り添ったサービスを提供するっていうポジションですね。 Senna: そういうポジションがあるんですね。じゃあテクニカルアカウントマネージャーのポジションで、これから日本で働かれるっていうことかなと思いますが、もう来年から日本に帰られるんですか? Obara: もう日本に帰ってきています。 Senna: え?今喋ってるのは日本なんですか? Obara: そうです。 Senna: もう帰ってたのか、知りませんでした(笑) 帰国への想い、海外への情熱と今後 Senna: カナダから日本に帰国するっていう部分における、永住権の部分はもちろん皆の心配事・心残りとしてあるとは思うんですけど、それ以外の部分で、日本に帰ることに関しての不安だったりって何かありました? Obara: 日本に帰ることに関しては、一回日本に帰ってしまうと、またカナダとか海外に出るのって結構エネルギーがいると思うので、若干「海外への挑戦は少し後退したかな」とは思いますね。 Senna: でもね、実際にカナダに渡航もして、学校も通って、AWSで働いていて、これ以上の海外経験がありえるのかっていうくらい、いい経験をされたんじゃないかなと思いますが。なんかまた、どこかのタイミングで海外行ってみたいなっていう感じはありそうですか? Obara: 一旦しばらくは日本で落ち着きたいなとは思ってるんですけど、将来もしITでハイグイになるんだったら、北米かなとは思うんですけど、そこまでの情熱がちょっと……すいません、消えてしまっていて。本当に。最近は、ちょっと東南アジアとか、日本より近くて、でもこれから力をつけていきそうな地域もいいなーって思ったりしてますね。 Senna: そういうことですね。ハイグイに関しては、僕も北米だけだとは思ってないですけどね。東南アジアも含めて、これから盛り上がる国々全部も含めてだなと思っているので。まさか「ブラックコーヒーが頼めない」というレベルからのジャンプアップとは、正直思ってもいなかったので、すごいなとしか思わないんですが。 これから海外を目指す人へのメッセージ Senna: 最後に、もしよければなんですけど、Obaraさんと同じような形でカナダに渡航される方々もたくさんいるんじゃないかなと思うので、何か一言アドバイスみたいなものをもらえると嬉しいなと思います。 Obara: 自分が海外に行って思ったのは、日本にいるときはプライドが邪魔して、あまり大胆な行動ができない人も多いんじゃないかなということです。自分もそうだったんですけど、やっぱり一回海外に来ると、結構「部外者」というか。Frogの仲間とか、学校の仲間とかも、みんな同じような立場なので、ゼロからなんとか頑張ろうというモードに全員がなっているんですよね。それで「目標達成のために何もない所から頑張る」という、すごく貴重な経験ができたなと思っていて。日本で例えばプライドが邪魔している人は、一回それを捨てて、海外に渡った方がいいかなと。 Senna: プライドか。僕はその辺、実は馴染みがなくてですね。どういう感じのプライドなんですか? Obara: やっぱり同じような人と常日頃から比べちゃうじゃないですか。それに日本でずっと培ってきた経験や肩書も捨てられなくなる、そういう所から来るプライドでしょうか。 Senna: なるほど。それらを捨ててゼロから挑戦することが貴重な体験になるという事ですね。 Obara: あと、自分は世の中の「雑音」にすごく弱いんですよ。オーストラリアで、ワーホリで月80万稼いでるみたいなのが地上波のテレビで流れたときがあったじゃないですか。あれがネット上で話題になったと思うんですが、あれでいいのかなって… Frogって、ちゃんとバンクーバーでキャリアを積むための支援をしてるじゃないですか。とりあえずなんとなくワーホリ使って「一旦海外行ってきたぜ」「語学留学してきたぜ」みたいな人を大量に量産する、それが海外挑戦っていうイメージのところが世の中にはあって。自分はそれと一緒にされたくないっていう気持ちがあったのかもしれないですね。 Senna: それは僕もずっと抱いています。間違いないですね。 Obara: あとは僕のようにプログラミングスキルは及第点であり、受験英語をしてきてTOEICスコアもあるけど英会話が自信ない人に向けてよければ、発音練習をして口や舌の筋肉を鍛えることをおすすめします。 Senna: 口や舌の筋肉ですか? Obara: 英語を口に出すのが恥ずかしいことの大きな理由は、発音が合っているか不安なことだと思います。僕みたいにプライドが邪魔してカタカナ英語を話したくない病の人は、遠回りに見えますが口や舌を大きく動かして発音練習をしてみましょう。僕はカナダに来てから「英語耳」という本を毎日近くの公園で見て練習していました。最初は使ったことのない筋肉が動くので不快に感じますが、2ヶ月くらい継続すると自然に口が動くようになってきます。 インタビューを終えて Senna: 今日はありがとうございました。Obaraさんは2025年のCanadian Dreamにもご参加頂けるとのことで、今日の話を聞いてみたい方も沢山いるんじゃないかなと思うので、是非当日はよろしくお願いします! Obara: ありがとうございます。もちろん僕の話で良ければ是非。バンクーバーでお世話になったRyoさんやTomoさん、Hiroshiさんにも会えると思うので、楽しみです。 Senna: またDMの方でやり取りさせていただくので、引き続きよろしくお願いします。 Obara: ありがとうございました。多分気軽にして頂ければと思いますので、いつでも連絡してください。 カナダに渡った当初、英語がほとんど聞き取れず、カフェバイトの面接で連敗し、ミルクの種類すら聞き取れなかったというObaraさん。 そこからAWSトロントでインフラ領域を担当し、世界中から届く問い合わせと向き合うまでになるとは、誰が想像できたでしょうか。 Obaraさんが繰り返し口にしていたのは、 「チャレンジしない後悔だけはしたくなかった」 という言葉でした。 そしてもう一つ、日本ではプライドや周囲の目が挑戦の邪魔をすることがあるけれど、海外に出るとみんなゼロからのスタートで、余計な比較が消える——そんな環境が大きかったとも話してくれました。 今回のインタビューを通して、 海外に出ることが偉いのでも正しいのでもなく、「自分がどう生きたいか」に素直に向き合った人が、環境を選び、人生を組み立てていくという当たり前だけれど難しい事実を改めて感じさせられました。 Obaraさん、インタビューにご協力いただきありがとうございました。そして日本での新しい挑戦、心から応援しています。
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日本で営業からデザイナーへ転身し、カナダでUI/UXデザイナーとして活躍するYunaさんに聞く海外キャリア
今回お話を伺ったのは、日本で営業職からキャリアをスタートし、デザインスクールを経てUI/UXデザイナーへと転身、そしてカナダでの就職を実現したYunaさんです。 学生時代からデザインに関心を持ちながらも、最初は人材会社の営業職に就職。その後「プロダクトを作る側に携わりたい」という思いからデザインの道へ進み、日本ではマネーフォワードでプロダクトデザイナーとして経験を積まれました。さらに海外で働くチャンスを求め、Frogとの出会いをきっかけにカナダへ。 インタビューでは、日本とカナダでのキャリアの積み上げ方の違い、ポートフォリオ作成の工夫、PEO制度を使った就労の実際、そしてアメリカ企業で働くメリット・デメリットなど、現地でしか得られない貴重なお話を伺うことができました。これから海外でのキャリアを目指す方にとって、多くの気づきやヒントが詰まった内容です。 Eri: じゃあ昔からの経歴をお願いします。 Yuna: はい。まず日本で大学を卒業して、新卒ではデザイナーではなくて、人材会社の営業として就職しました。そこでだいたい1年半ほど働きました。 もともとデザインはすごく好きで、学生時代にサッカーの大会のパンフレットやチケットを制作するボランティアのようなことをしていたんです。ただ、グラフィックデザイナーとしてやっていくのは難しいだろうなと感じていたので、全然違う方向で営業職を選びました。 営業職では、フリーランスの方をお客さんに紹介する仕事をしていて、そこでサービスデザイナーやUXデザイナーといったビジネス寄りのデザイナーの方々と出会いました。「こういう仕事があるんだ」と知ったのが転機でしたね。 もともと海外に行きたい気持ちはあったのですが、営業は言葉で勝負しなければならないので海外では難しいと思いました。そこで「手に職をつけたい」と思い、いいタイミングだと思って会社を辞め、日本でデザインスクールに通うことにしました。 デザインスクールでの学習とウェブデザインの仕事 Yuna: その後日本で半年ぐらい学んだ後、デジタルハリウッドに通いました。そこで学んでいるうちに、卒業生の会社にアルバイトとして拾ってもらいました。 最初はデザイナーではなく、WordPressの入力作業のような単純な仕事から始まりました。そのうち少しずつデザインの仕事も任せてもらえるようになり、ワイヤーフレームファイヤーを作ったり、下層ページのデザインを展開したりしました。トップページなど重要な部分は当時の自分にはまだ力不足で任せてもらえませんでしたが、それでも8ヶ月ほどウェブデザインの経験を積みました。 その中で、プロモーションのように短期間で使われるものではなく、長く使われ、改善を重ねて成長していくプロダクト作りに関わりたいと考えるようになりました。それで転職活動を始め、日本でマネーフォワードに入社しました。 入った部署はB2Bで中小企業向けに会計ソフトや給与ソフトなどを開発しているチームでした。そこで初めてプロダクトデザイナーとしてUI/UXの仕事に携わることになりました。それが今から4年ちょっと前のことです。 海外就職への思いとFrogとの出会い Eri: 当時から、いつか海外に行こうと考えていたんですか? Yuna: マネーフォワードに入社した頃は、海外就職なんて考えてもいませんでした。受かると思っていなかった会社にたまたま受かり、ありがたく入社させてもらったという感じでした。 その中で、会社に海外拠点やグループ会社があることを知り、実際にベトナムで開発しているプロダクトに関わる経験をしました。それで海外で働きたいという思いがさらに強くなり、「具体的にどうすれば海外で働けるのか」を考えるようになりました。 イギリスやアメリカの大学院進学も調べましたが、そのタイミングでFrogに出会ったんです。「大学院に行くより費用もかからないし、カナダですぐ働けそう」と思いました。 3年前の夏頃にFrogを知ってから、わずか2〜3ヶ月後には会社に退職を伝えていました。自分にはこの道しかないと思ったんです。 Eri: なるほど。他にもいろんな国の選択肢があったと思いますが、その中でカナダを選んだ理由は? Yuna: どこに行くにもお金がかかりますし、当時ちょうどデジハリの学費を払い終えたばかりで余裕がなかったんです。英語圏で探していたので、カナダは英語圏だし、アメリカやシリコンバレーにも近そうだし…という軽い気持ちでした。 Eri: フィーリング的な選び方だったんですね。 Yuna: そうです。深く考えて「カナダに行きたい」と思っていたわけではなく、英語圏ならどこでもいいという感じでした。 カナダでの学校と就職活動 Eri: カナダに来てすぐに就職活動を始めたんですか?それともまずは学校に? Yuna: 学校に通いました。CICCCに入学して1月から授業が始まりました。その間も日本の仕事を業務委託で少し続けていました。 入学から2〜3ヶ月経ってようやくポートフォリオを作り始めましたが、現地で「カナダの就職は意外と厳しい」という話を聞くようになり、「正攻法だけではなく別の方法で探した方がいいかも」と思うようになりました。 ボランティアから最初の仕事へ Yuna: 最初の仕事は、Vancouver Design Communityというコミュニティイベントでのボランティア活動がきっかけでした。 「ぜひボランティアをさせてください」とお願いして参加していたところ、一緒に活動していた方から「自分の会社で求人があるけどどう?」と声をかけてもらいました。 他にも少し応募はしていたんですが、学校に通っていることもあり、ガンガン応募するよりは、ちょうどパートタイムでいいと言ってもらえたので「じゃあ働きます」と決めました。これがカナダでの一社目の仕事です。 カナダ一社目での経験 Yuna: 一社目は制作会社というか、開発会社のようなデベロップメントスタジオでした。デザイナーは私と、紹介してくれた方の2人だけ。私はUXをメインで担当しました。 そこで4〜5個のプロジェクトに携わりました。例えば、先住民コミュニティのアプリなどカナダらしい案件もありましたし、母親2人で立ち上げた会社の子どもがオンラインセーフティーついて学ぶゲーミフィケーションアプリなどもありました。 日本で働いていたマネーフォワードではBtoBの堅いプロダクトが多かったのですが、この会社ではBtoCやカルチャー的な要素が強いプロジェクトもあり、幅広い経験をさせてもらいました。 カナダでのスキル習得について Eri: カナダに来てからのUX/UIのスキルは、学校や実務を通じて学んだんですか? Yuna: そうですね。ただ正直、学校のカリキュラムはあまり役に立たなかったと思っています。デザイナーを目指す人向けの内容だったので、自分が独学や日本での実務で学んできたことと重なる部分が多かったです。 結局のところ、日本から受けていた仕事や、カナダでの実務の中で失敗を重ねながら学んでいったのが一番大きかったと思います。 ポートフォリオ作成の工夫 Eri: UX/UIデザイナーの就職活動ではポートフォリオがとても大事だと思うんですけど、私自身も苦戦していて…。その中で、Yunaさんがご自身のポートフォリオを作るときに意識したことや気をつけたことはありますか? Yuna: ポートフォリオ…。もう遠い昔のことのような気がします(笑)。正直、私はポートフォリオ作りがすごく苦手で、全然頑張れなくて…。でも意識したことは大きく2つあったかなと思います。 1つ目は、一緒に頑張る仲間を見つけたことです。一人でやるのは本当に大変で、適当に流してしまうこともあると思うので、私は「もくもく会」というものを主催していました。前の会社は金曜日が休みだったので、金曜と土曜の午前中にカフェに集まって、黙々とポートフォリオを作る時間にしました。「今日はこれをやります」と宣言して、みんなで作業するんです。 Eri: 参加していたのはデザイナーさんたちですか? Yuna: そうです、そうです。去年はよく開催していたんですけど、転職してからはあまりできていないんです。 Eri: そうなんですね。もしよかったら、そのもくもく会のグループを教えてほしいです。私も仲間探しに苦戦していて…。同じモチベーションの仲間と取り組めたら、自分ももっと頑張れる気がします。 Yuna: ぜひ!もくもく会のメンバーの一人はカルガリーの会社でインターンが決まったりと、みんな活躍しているので刺激になりますよ。 ポートフォリオ発表会の重要性 Yuna: もう一つ大事なのは、ポートフォリオ発表会のような場を持つことです。 Eri: 確かに。作っても、見せる相手がいないと完成しないですよね。 Yuna: そうなんです。ポートフォリオって、見せないと永遠に完成しないんです。だから、「プレゼンから始めてもいい」と思っていて。実際に人に見せる練習をすることで、どんな情報が必要で、何を削るべきかがクリアになっていくと思います。 友達とそういう発表の場を作ったりしながら、自分のポートフォリオを仕上げていきました。 それから、ポートフォリオも自分のプロダクトのひとつだと思っています。自分をどう見せたいか、どう売りたいかというブランディングをしっかり考えた上で、作品を選ぶことが大事です。「なぜこのデザインにしたのか?」と聞かれたときにちゃんと答えられるように準備することが、他の人と差をつけるポイントだと思います。 Eri: なるほど。ありがとうございます。 現在の仕事について Eri: では、現在のお仕事についても詳しく伺いたいです。答えられる範囲で大丈夫なので、教えていただけますか? Yuna: 今はアメリカ本社のヘルスケア企業で働いています。ただ、拠点はアメリカにあるものの、社員はヨーロッパやオーストラリア、北米など世界各地にいて、完全なリモートファーストの会社です。 その会社が持っているのは、咳の回数をカウントできる技術なんです。例えば「ゴホゴホ」という咳をAIで検知して回数を数える。それを応用して、薬を使わずに慢性的な咳を行動療法で治療するアプリを開発しています。 私はそのアプリの日本向けプロダクトに携わっています。会社は日本の製薬会社とパートナーシップを結んでいるので、社内は英語でやり取りしながら、最終的には日本語にローカライズされた製品を作っています。 Eri: すごく面白いですね!そんな技術を使ったアプリがあるなんて初めて聞きました。 日本とアメリカ企業の働き方の違い Eri: 実際に働いてみて、日本でのお仕事との違いや、驚いたことはありますか? Yuna: 驚いたこと…そうですね。個人的には、日本の事業会社とアメリカの事業会社では働き方に大きな違いはないと感じています。それよりも、事業会社と制作会社の違いの方がデザインの観点では大きいと思います。 日本と北米の企業の違いでいうと、働き方の自由度は大きく違います。特に今の会社はかなり緩くて、どこから働いてもOKなんです。 Eri: 場所は本当に関係ないんですか? Yuna: そうです。 Eri: 例えば日本にいても働ける? Yuna: 時差の関係でアジアから働くのは結構大変なんです。日本の朝早くに対応しないといけないので。でも2〜3週間メキシコでワーケーションはしてました。そういうふうに、忙しいながらも自分の望むライフスタイルを実現できるのは日本と大きな違いですね。 日本だと「8時間しっかり働く」というルールが厳しくありますが、今の会社はもっと自由で、その点はとても働きやすいです。 PEO制度について Eri: 今働かれているのは、PEOという制度を使われていると思います。それについて質問させてください。この制度を私自身も知らなかったのですが、知ったきっかけや使うに至った経緯を教えていただけますか? Yuna: 何がきっかけだったかな…。日本にはあまり帰りたくないという思いが強くて、来た当初からFrogの藤井さんに永住権を取るまでのプランをかなり細かく見てもらっていました。前の会社はBC(ブリティッシュコロンビア州)に拠点がある会社だったので、BCPNP Techを使って取ろうと思っていたんですが、レイオフがあって、さらにBCPNP Tech自体も難しくなってしまって。「どうしようかな」と考えていたんです。 Yuna: 今の会社に入るときは、まだコープビザの期間中だったので(PEOのことは)特に相談していませんでしたが、ビザ切り替えのタイミングで「こういう制度があって、カナダに住みたいと思っている」と会社に相談しました。そうしたら、とても前向きに対応してもらえることになって、そのタイミングで進めようと思いました。 Yuna: たぶん、自分のステータスが変わるたびに藤井さんに相談しています。「これ、どうしたらいいですか?」「次はどんな手を打てばいいですか?」という感じで。その流れの中でPEOを教えてもらいました。使おうと思った背景には、会社がアメリカ本社であることと、カナダの職歴が貯まらない問題がありました。カナダにいたい思いがあるので、まずは最初の数ヶ月でパフォーマンスを出し、PEOとして会社にお願いして対応してもらえるようにした、という感じです。 Eri: 知らないだけで、そういう制度がいろいろあるんですね。だからこそ、自分の情報をアップデートしていくのが大事なんだなと。 Yuna: そうですね。Frogさんにちょこちょこ相談するのが一番確実だと思います。ビザ制度は変わっていくので、「生活がこう変わった」「今こういう仕事をしているが、どうするのがいいか」と相談すると、気軽に対応してもらえるはずです。 カナダ在住でアメリカ企業で働くメリット・デメリット Eri: なるほど。カナダにいながらアメリカ企業で働くスタイルには、メリットやデメリットはありますか? Yuna: あると思います。会社にもよりますが、私の場合はカナダ在住・アメリカ本社勤務で、会社にカナダの拠点がないため、アメリカの会社に直接、業務委託(フリーランス)として雇われています。なので支払いはUSドルでした。これはPEO導入前の一番のメリットでしたね。 Eri: そう、やっぱり全然違いますよね。 Yuna: それ以外は「すごく良い点がたくさん」というほどではないかもしれません。それに、カナダに法人がない状態で採用しているアメリカ企業は、そこまで多くない印象です。多くの会社は税務や雇用管理の観点からカナダに拠点を持っています。うちの会社は小さくはないのですが、その意味で一般化しづらいところもあり、あまり役立つことを言えないかもしれません。 Eri: なるほど。カナダもアメリカも、そんな感じですかね。 Yuna: 個人的に思うのは、「アメリカ人はよく働く」ということ。肌感ですが、本当によく働く。休日や時間よりパフォーマンス主義というか。カナダの会社で働く良さも感じますし、アメリカの会社で働く違いも実感しています。 Eri: そうなんですね。北米で一括りに考えがちですが、違いがありますね。 これからのキャリアについて Eri: これからのキャリアで、目指していることややってみたいことはありますか? Yuna: そうですね、今はすごく悩んでいる最中です。少し脱線しますが、AIの登場でUIを作ること自体はだいぶ簡単になると思っています。プロダクトデザイナーの仕事は幅が広いので、リサーチ、要件定義、サービスデザイン(デジタルの外側も含む体験設計)、デザインシステム構築など、何でも屋になりがちだと感じています。 Yuna: まだ「こうしたい」と決め切れてはいませんが、AIがあるからこそ、“作る” ことに専念するより、何を・誰のために作るか/どんなコンセプトで作るかといった上流に寄りたい気持ちが強いです。機能はどの会社でも作れるけれど、コンセプトがなければ機能は決められない。なので、プロダクトマネジメントやコンセプトメイキングの方向でキャリアを築けるといいのかな、と。 Yuna: とはいえ今の仕事は楽しいです。スタートアップなので、会社やチームに足りないところを積極的に埋める動きも好きです。その一方で、今後自分は何を専門にしていくのかは、そろそろ決めていきたいと思っています。 Eri: わかりました。ありがとうございます。 海外就職を考えている人へのアドバイス Eri: 最後に、カナダに限らず留学や海外就職を考えている人へアドバイスをお願いします。 Yuna: 「行きたい」と思ったときに行くのがいいと思います。「行きたい」と思った瞬間が一番エネルギーがある。海外へ移る、学校へ行く、仕事をするのはすごくエネルギーが要ること。綿密な計画は必要ですが、まずは直感や強い“やりたい”の気持ちを大事にしてほしいです。 Yuna: もちろん大変な時期はあります。人によっては、「デザイナーは稼げそうだから」「エンジニアは稼げそうだから」という理由で選ぶこともあるけれど、今のカナダの状況だと、それだとしんどくて続かないかもしれません。「どうしてもこの仕事をやってみたい」という気持ちがある方が、難しい局面でも踏ん張れる。私自身も“やりたい”を信じて乗り越えてきたと感じています。 Eri: 本当に興味深いお話でした。ありがとうございます。 Yunaさんのインタビューを通して印象的だったのは、「やりたい」という直感やエネルギーを信じて行動に移してきた姿勢です。営業職からデザイナーへ、そして日本から海外へと大きな転換を重ねるなかで、その選択の裏には必ず「本当にやりたい」という強い気持ちがありました。 また、ポートフォリオ作成における仲間づくりや発表会、さらにはカナダでのキャリア構築におけるコネクションの重要性など、実践的なアドバイスが随所にちりばめられていました。特に「PEO制度を活用してアメリカ企業に勤めながらカナダに在住する」という実体験は、今後の働き方を考える上で非常にユニークで参考になる事例です。 最後にYunaさんは「やった方がいいではなく、やりたいを信じて動くことが大事」と語ってくれました。海外就職やキャリアチェンジは多くのエネルギーを必要としますが、その根底に「やりたい」という気持ちがあれば、困難を乗り越える力に変わるのだと強く感じました。
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文系から大手、そして海外へ。コードを書き続けた先にキャリアの自由を手に入れたYamatoさん
今回は、日本で大手企業・日立からキャリアをスタートさせ、Web系ベンチャー、医療系スタートアップを経て、現在はカナダ・オタワのヘルステック企業Fullscriptでフルスタックエンジニアとして活躍されているYamatoさんにお話を伺いました。 文系出身ながら、社会人になってからエンジニアリングの世界に飛び込み、「コードを書き続けたい」という意思を軸にキャリアを築いてきたYamatoさん。 日立での長期研修、メドピアでのフロントエンド部署立ち上げ、そしてコロナ禍を挟みながらの海外就職挑戦まで、エンジニアとしての道のりは一貫して「自分の意思で動く」ものでした。 同じエンジニアとして話を聞く中で、“行動力と一貫性”という言葉が何度も頭に浮かびました。 ここからは、Yamatoさんのキャリアを振り返りながら、日本とカナダでの働き方の違い、リセッション期の就活、そして海外挑戦に込めた想いをたっぷりと伺っていきます。 日本でのキャリアの始まり Senna: あらためてなんですが、日本での経験年数、結構長かったですよね。Yamatoさん、何年ですか。 Yamato: 7〜8年ぐらいですね。最初は日立からエンジニアとして入りました。もともと大学時代からエンジニアを目指していたわけではありません。大学は経済学部で、エンジニアとは関係ない学部でした。ただ就職活動のときに、たまたまSE系の会社の説明を聞いて「あ、これ面白そうだな」と思いSEを目指してみようと考え、それをメインに就職活動をしました。 Senna: それは、経済学という勉強していたことからはずれますけど、日立の説明会がすごく楽しかった、みたいな? Yamato: 最初は日立の説明会ではなく、別の会社だったんです。そこでSEに興味を持ち、日立を含めたいろんなSE系の会社を受けました。 Senna: なるほど。珍しいですね。SEの説明会って僕は出たことがないので「そうなんだ」としか言えないんですけど、そんな心惹かれる説明だった? Yamato: なんか心惹かれましたね。なぜかはちょっと覚えていないですけど。言語化しづらい部分もあると思います。 Senna: 大学時代はプログラミングは触ってないということですか? Yamato: 全然。例えば、当時のSE採用は未経験・文系でも採ってくれることが多かったので、特に苦労した覚えはあまりないですね。 転職と新たな挑戦 Senna: NTT系とかもそうですけど、大手の研修ってすごいですよね。もう学校じゃんっていう。 Yamato: あれは学校ですね。おっしゃるとおり、4月入社で9月くらいまで研修していた記憶があります。 Senna: じゃあ半年くらい。やっぱり大手からのエンジニア人生だったと思いますが、半年が研修だとすると、その後1年くらい勤めて次の会社に移られた、ということだと思います。やっぱり大手の仕事の仕方とか、違う環境を求めて転職? Yamato: 理由は何個かあります。まず自分でコードを書きたいと思ったこと。日立だとキャリアレンジが上がるにつれ、コードを書くより人をマネジメントする方向にシフトしていきます。1年目はコードをガンガン書いていて、それが自分の性に合っていて楽しかった。もっとコードを書くキャリアを続けたいと思ったのが一つ目。二つ目は、いわゆるJTC(日本的大企業)の雰囲気や上下関係が自分に合わないと感じたこと。Web系のベンチャーに入ったほうが合うのでは、と考えて転職しました。 メドピアでの成長とカナダへの興味 Senna: 最近、日本の大手で働いている外国人エンジニアの話を聞く機会が多いですが、その話に重なりますね。縦社会構造の問題は日本にいる外国人エンジニアやデザイナーさんからもよく耳にします。じゃあ次の会社さんは小規模な会社? Yamato: マーケティングアプリケーションズという会社で、Webアンケート等のツールを作っている会社です。 Senna: その後がメドピアさん。ここはRailsエンジニアとして勤めた会社ですか? Yamato: そうです。最初はRailsエンジニアとして入り、在籍の半分くらいからシニアのフロントエンドになりました。当時、会社にフロントエンドに詳しい人があまりいなくて、自分でフロントエンドの部署を立ち上げて、採用や技術的な布教も含めて色々やっていました。 Senna: メドピアさんって日本の会社ですよね。名前的に外資っぽいかなって一瞬思ったんですが Yamato: 日本です。医療系のコミュニティサイトを運営している会社がメインです。 Senna: メドピアさんでは在籍3年2カ月くらい? Yamato: 3年2カ月ですね。前半がRails、後半がフロントエンドです。後半にシニアへ移りました。フロントエンド大好きっ子でした。 カナダでの就職活動 Senna: そのあと、カナダに行くつもりだったけど、コロナで行けず……という流れですよね。 Yamato: そうです。メドピアをやめたあとカナダに行くつもりでしたが、コロナで行けなくなった。すでに会社には辞めると言っていたので無職になるところで、一旦国内で転職し、コロナが終わってからカナダに来ました。 Senna: やっぱり。2020年のあの絶望感は覚えています。じゃあその時点で海外挑戦の熱量はすでに高かった? Yamato: 前職在籍当時の先輩がカナダで就職していて「こういう選択肢もあるんだ」と分かったのが大きいですね。自分もやってみたいと思いました。 英語学習の継続 Senna: 僕も実はそのタイプですね。周りにバンクーバー行った人がいて。Yamatoさんはその先輩の背中を見て「こういうキャリアもある」と考えたわけですね。もしその出会いがなかったら、バンクーバーを考えていなかったかもしれない? Yamato: そうかもしれないです。 Senna: で、コロナが終わって、カナダ行きを本格的に決めたのは2022年の初めくらい? Yamato: だいたい2022年の初めですね。渡航制限がなくなってきて、そろそろ行けるな、じゃあ行くか、という流れです。カナダにキャリアを移したいというイメージは漠然と持ち続けていました。 Senna: よくコロナで諦めなかったですね。 Yamato: いつか海外で働きたいという夢はずっと持ち続けられました。なぜかは分からないですが。 Senna: コロナ禍で相談は多かったですが、諦める人も相当多かったんですよ。5年くらいは見送ろうか、みたいな。そこで諦めていたらYamatoさんも来てなかったかもしれませんよね。 Yamato: 大学在籍時から、いつか海外で働いてみたいという漠然とした思いはありました。大学までは海外旅行も一度も行ったことはなかったけど、大学で先輩がバックパッカーをした話を聞いて、「なるほど、そうやって海外旅行できるんだ」と。自分もバックパッカーをやってみて、海外は思ったより近いと実感しました。そこから派生して、いつか海外で働きたいという思いを持ったのだと思います。 バックパッカーの経験と国選び Senna: バックパッカーはどこへ? Yamato: 2回行っていて、1回目が20歳のときにドイツ・イタリア・オーストリアを約1カ月、2回目が大学卒業前に東南アジアを約2カ月ぐるっと回りました。 Senna: 僕は10年以上「やるやる」と言いながら結局できなかった人間で……今からでも行けますか? Yamato: 行けます行けます。 Senna: 今の年齢だとお金に物を言わせてしまいそうで、バックパッカーってそういうんじゃないじゃないですか。お金がない時期にやるものというか…それはどうでも良いのですが、改めて渡航先の選定についてお伺いします。渡航先は英語圏ならどこでも良かった感じですか? Yamato: そうですね。2022年はカナダにするかイギリスにするか迷っていて、イギリスのYMS(2年の抽選制ワーホリ)にも当たっていましたが、前述の先輩もカナダだったため、自分もカナダへ行くことに。 Senna: なるほど。イギリスに特別な思いがあったというより、英語圏+ワークビザの取りやすさで比較した、と。 Yamato: そのとおりです。結構調べました。ワーホリや就労ビザのことは。 カナダでの就職活動と最初の会社 Senna: 改めてですが、カナダへ渡航して最初の入国はワーホリを持っていた状態? Yamato: 最初は観光ビザで入国して、就活し、仕事が決まったらワーホリに切り替えるパターンを取りました。 Senna: 観光→就活→国内切替は王道ですね。観光期間の半年はどう過ごしていました? Yamato: 実はバンクーバーに来て3週間で仕事が見つかって、観光ビザの状態は1カ月ちょいでした。 Senna: 2022年9月というとコロナ後の採用バブルのど真ん中ですね! Yamato: そうです。正直めちゃくちゃ就活しやすかったと思います。 Senna: この時期は確かにすごかった。Frogの過去12年の中でほぼ100%に近い数字で就職したのが2022年でした。もしかして、狙って渡航したとかですか?(笑) Yamato: まさか、こればっかりは完全に偶然です。 Foundationでの経験 Senna: 最初のカナダの会社は3週間で見つかったわけですが、レジュメは何通くらい出しました? Yamato: 正確には覚えていませんが、面接は5〜6社。書類通過率もそこそこ高く、マスアプライはしませんでした。結局20〜30通くらい送ったかな。 Senna: 今の人が聞いたら超羨ましがりますね。最初の英語面接は人生初? Yamato: 実は英語面接は日本でShopifyを受けたことがあり、その時4〜5回経験しています(2021年)。最終的に落ちてしまいましたが、良い英語面接の練習になりました。 Senna: 英語周りの自信は、バックパッカーや学習の積み上げから? Yamato: いや、そもそも自信はなかったですね。2019年ごろから3年ほど、オンライン英会話や海外ドラマで継続学習はしていました。何度も挫折してきたのですが、2019年に始めたのが3〜4回目の挑戦で、たまたま続いた。DMM英会話を使っていました。 Senna: 英語学習を長期で継続する人が結局強いんですよね。 リセッション期の転職活動 Senna: Shopify面接は日本からオンライン? Yamato: そうです。4〜5回で、面接官は毎回違いました。日本在住のカナダ人、シンガポール在住、中国圏の方など。シンガポール訛りが強くて、コーディング面接の説明が一切聞き取れずフリーズした回もありました。 Senna: 訛り対応は早く実地経験したのが良かったですね。カナダでの面接内容は? Yamato: オーソドックスでした。電話→コーディング→アルゴリズム→システムデザイン→ビヘイビア。奇抜な出題は特になし。日本での転職経験もあって、英語になっただけという印象でした。 Senna: 最初の会社はFoundation(ファンデーション)。選んだ理由は? Yamato: 社員5〜6人の創業初期で面白そうだったこと。バックエンドRails/フロントReactという馴染んだスタックで力を発揮できると思ったこと。ハイブリッド勤務で週2〜3回出社し対面で働けたことでしょうか。 Senna: 創業初期でRailsは珍しいですね。 Yamato: 一人目のエンジニアが「0→1ならRailsが速い」と判断したと聞いています。その方はバックエンド寄りでRailsの経験はそこまで深くなかったので、Railsに関しては自分のほうが経験が上だったかもしれません。体制は、インド在住のバックエンド1名(リモート)、バンクーバー在住のカナダ人ジュニア1名、私(シニアフロントエンドエンジニア)。 Fullscriptでの業務内容 Senna: 入ってみての感想は? Yamato: 良かった点は、技術的な採用や実装でイニシアチブを持てたこと。大変だった点は、2023年に資金調達環境が悪化して会社の雰囲気が悪化、社長が強圧的になり、レイオフで人が半減。自分はレイオフされませんでしたが、ストレスフルで辞めました。 Senna: Foundationを辞めてから、次の会社に移られたのはどのくらい経ってからですか? Yamato: 会社を辞めてから就活を始めたのですが、これがまた時間がかかりました。地獄でしたね。 Senna: 地獄(笑)。 Yamato: ほんとに地獄です。正直自信は多少あったんです。カナダでの職歴もあるし、渡航当時よりレベルも上がって経験も色々したので。ですが、レジュメを送っても全然通らないし、面接にも全く進めない。 Senna: リセッションの時期ですよね。2023年の冬〜春と言えば。 Yamato: そうです。まさにリセッションの真っ只中。とにかく状況が悪くて。50件出して1件面接があったら良い方みたいな。 Senna: やはりそうですか…。2023年の中盤に入ってから一気に悪化しましたよね。僕らのところにも「全然通らない」とかレイオフの報告が毎週のように来てました。 Yamato: そうですよね。僕もそのとき本当にきつくて。就活しても結果が出ないので、精神的にかなり落ちていました。 Senna: わかります。あの時期に就活してたメンバーは全員心が削られていたと思います。最終的にどうやって次が決まったんですか? Yamato: 実は日本時代の会社の同僚のリファラルで、今の会社に入ることができました。Fullscript(正式社名 Healthy Web Inc.)という会社です。 給与と待遇の変化 Senna: リファラル、つまり紹介採用ですね。 Yamato: そうです。元同僚が先にFullscriptに入っていて、僕をリファラルしてくれた感じです。 Senna: 期間としては? Yamato: 就活期間は約2ヶ月くらいでした。リファラル入社ではあったのですが、普通に4回面接がありました。 Senna: 4回。プロセスとしてはリファラルだからと特別扱いな感じじゃなかったんですね。 Yamato: はい。テクニカル面接・システムデザイン・カルチャーフィット・ファイナルといった流れでした。 Senna: リファラルは魔法のカードではない、という話もよく聞きます。やっぱり、通るときと通らないときの差は大きいですよね。 Yamato: 本当にそうです。自分が入社してから、元同僚を何人もリファラルしましたが、全員落ちてしまいました。 Senna: 全員… Yamato: はい。だから、リファラルだから通るというわけでは全くないです。最終的には会社が求めているポジションとの適合性や、面接での印象、技術面の評価が重要。僕の場合は、スキルスタックや過去の経験、そして技術への向き合い方を評価してもらえたんだと思います。 日本とカナダの働き方の違い Senna: Fullscriptではポジションはフロントエンド? Yamato: 肩書きはフロントエンドエンジニアですが、実際にはバックエンド(Rails)も触っているので、ほぼフルスタックです。もともとバックエンドの経験もあったので、自分から「やらせてほしい」とお願いして関わるようになりました。 Senna: 自ら手を挙げるタイプですね。実際、どんなプロダクトを作っている会社なんですか? Yamato: 簡単に言うと、サプリメントを扱うEコマースなんですが、普通のECと違って、医療従事者が患者さんにサプリを“処方”して、患者がそのプラットフォームで購入するという仕組みです。つまり、医療とECが融合したようなビジネスモデルです。日本にはあまりない形だと思います。 Senna: なるほど。いわゆるD2Cでもなければ、病院でもない中間のような立ち位置。 Yamato: そうです。たとえば、自然療法医やパラメディカルの先生が、患者に「このサプリを飲んでください」とオンラインで伝えると、患者はそのままFullscript上で購入して自宅に届く。そんな流れです。 Senna: 従業員数はどれくらい? Yamato: 1000人以上ですね。配送センターなどのスタッフも含めると結構な規模になります。 Senna: かなり大きいですね。バンクーバーではなく本社は? Yamato: 本社はオタワです。僕もオタワ在住です。 Senna: オタワ。じゃあ、英語環境としてはよりコアなカナダ文化圏ですね。業務フローはどんな感じですか? Yamato: かなり整っています。まずPMがPRD(Product Requirement Document)を書いて、それをもとにデザインチームがデザインを作ります。そのあとエンジニアがDesign Docを書いてレビューし、実装→テスティング→テスティングパーティ→リリースというサイクルです。 Senna: テスティングパーティって何ですか? Yamato: 全員で新機能を触ってバグやUXの違和感を報告する会です。デザイナーもPMもエンジニアも全員で確認します。 Senna: かなり構造化されていますね。 Yamato: はい。自分の意見を言いやすく、チームとしての議論が前提になっています。 Senna: そうですよね。日本だと「仕様が決まってから呼ばれる」みたいなこともありますが、こっちは議論の段階から関わる。 Yamato: まさにそうです。エンジニアが黙ってコードを書く環境ではありません。設計の意図やリスク、技術選定の背景を言語化してチームに共有することが求められます。 Senna: チーム規模は? Yamato: 僕が今いるチームは8人です。PM、デザイナー、エンジニアがいて、デザイナーは複数チームを掛け持ちしています。 Senna: なるほど。デザインドリブンだけど、エンジニアも意見を出せる環境。理想的ですね Yamato: そうですね。僕はIntermediate(中級)として入社して、1年後にPromotionして今はシニアフロントエンドエンジニアです。 Senna: 昇進がすごく早いですね。 Yamato: 入社から1年で昇格しました。ありがたかったです。 Senna: 給与レンジも気になるところですが……。 Yamato: 大丈夫です。公開して問題ないです。 Senna: ありがとうございます。では日本時代とカナダでの推移を教えてください。 Yamato: 日本の最終年収が約888万円。カナダ1社目(Foundation)が110,000 CAD、Fullscript入社時も110,000 CAD。今のベースが140,000 CAD。今年はストックオプションを行使して+30,000 CADほど上乗せされたので、実質170,000 CADくらいになりました。 Senna:2年3カ月でベースが+30,000 CAD。成果次第で昇給・ストックが明確に反映されると。 Yamato: はい。日本より上がるスピードは速いです。ただし、その分パフォーマンス評価もシビアですね。 Senna: 確かに。解雇が容易なぶん、結果がすべてという側面もありますね。 Yamato: そうです。給与は上がるけれど、雇用の安定は日本より確実に低い。一長一短です。 Senna: 転職の頻度は高いですか? Yamato: 思っていたより高くないですね。数年単位で働いている人が多いです。 Senna: 働き方や文化の違いは感じますか? Yamato: 思っていたより個人主義ではないです。チームで協力し合う文化がしっかりあります。自分のタスクが終わったら、他の人のタスクを手伝うのが普通です。 Senna: なるほど。 Yamato: ただ、オタワは東アジア系が少なくて完全なマイノリティなので、そういう意味では多少気を使うこともあります。でも、リスペクトを持って接すれば全く問題ないです。 これから挑戦する皆様へメッセージ Senna: 最後に、これから海外でエンジニアを目指す人へ、メッセージをお願いします。 Yamato: 実は…昨日、中学の同級生が亡くなったという悲報がありました。本当に人生何が起こるか分からない。だから、やりたいことは早めにやったほうがいいと思いと改めて思います。 海外就職も「いつか」ではなく、やるなら今です。今回の悲報を受け、次は自分かもしれないと考えるようになりました。なので本当に一日一日を大事に生きようと思いましたし、海外挑戦含めやりたいことは後に回さず今すぐ行動に移すべきだと伝えたいです。 取材を通して印象に残ったのは、Yamatoさんの「やると決めたら迷わない」という姿勢です。大手からベンチャーへ、安定から挑戦へ。キャリアの転換点ごとに、迷いながらも「自分が一番成長できる環境」を選び続けてきました。 特に印象的だったのは、渡航時の就活とリセッション期の就活の落差。本当に海外就職はタイミングが非常に重要だと改めて感じたお話だったので、大事なのはいかなる時もチャレンジし続ける事と、ダメだったからといって腐らない心持ちだなと思いました。 「やりたいことは後に回さず、今すぐ行動に移す。」 それは、技術や英語力よりも先に持つべき、挑戦者としての姿勢だと思います。Frogはこれからも、そんな想いを持つエンジニアたちのリアルな声を届けつつ、精一杯サポートしていければと思います!
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