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Frogが選ばれるわけ
私達がご提案していることは、単に英語や観光のための海外渡航ではありません
圧倒的な海外就業実績
GAFAMやユニコーン企業、北米ローカル企業での就職実績を基に、日本では得られないキャリアの可能性をご提案します。
北米最大規模のTechコミュニティ
現地で活躍するエンジニアとの情報交換や人脈形成を通じて、コミュニティ不足という国外挑戦の最大の課題を解消します。
ITに特化した500名以上の実績
「英語ができるようになる」という漠然としたサポート実績ではなく、IT分野の北米進出に特化した実績ならではの充実サポート
日本国内外を意識したキャリア提案
日本、カナダ、アメリカなどの国ベースのキャリア相談はもちろん、SaaS、エージェンシー、個人開発、スタートアップなど、あらゆる面からのキャリア提案が可能
イベント情報
イベントはすべてPacific Time(太平洋時間)でご案内しています
2025年お疲れ様会 + Frog Builders Weekend
1年の振り返りと交流を兼ねて、Builders Weekendと忘年会を一日まとめて楽しむ年末イベントです。」
Frogビザ相談会
海外就職を検討するうえで押さえておきたい基本的なビザ戦略、今後のTechフィールドにおけるポイント、そして注意すべき最新のトピックを丁寧に解説します。また、日頃感じている疑問を気軽に相談できる質疑応答の時間も設けています。
北米レイオフのリアルと対策:経験者から学ぶキャリアの備え
北米テック業界で増えるレイオフ。その実情や対処法を、実体験者が本音で共有し、今後のキャリアを守るための知識と備えを学ぶイベントです。
サービス内容
Frogが提供している各種サービスに関するご説明
サポート内容
渡航後に提供している各種サポートに関するご説明
最新インタビュー
海外挑戦で得た視点を武器に、カナダから帰国後プロダクトデザイナーのキャリアを築くまで
デザイナーとして海外に挑戦したいという思いを抱き、カナダへ渡航したYoshikaさん。 渡航当時は採用が冷え込んでいた時期でもあり、現地就職を目指す環境としては決して簡単ではありませんでした。それでも、ポートフォリオづくりや面接準備など、「やれることはすべてやる」という姿勢で取り組み続けた様子がとても印象的でした。 最終的には活動の拠点を日本へ戻し、現在はリタリコでプロダクトデザイナーとして活躍されています。カナダでの手探りの試行錯誤や、現地での就活経験は、帰国後の転職活動や仕事の進め方にも確かに活かされていると話します。 この記事では、海外を目指した背景から、カナダでのリアルな就活、日本での再出発、そして「日本でできる準備は全部しておくべき」という確信に至った理由まで、率直な言葉で語っていただきました。これから海外を目指す方にとって、現実を知りつつも前向きになれる内容になっています。 Senna: というわけで、改めてにはなるんですけど、このインタビューに応じていただいた方へのちょっとしたサプライズとして、皆さんがFrogに一番最初にお問い合わせをいただいた時のメールを今見ていてですね。覚えてますか?中島さんが一番最初に連絡くださった時の内容とか。 Yoshika: え、でも多分内容的には、まずそもそもデザイナーにするかエンジニアにするか迷ってる、みたいな感じじゃなかったでしたっけ? Senna: あー、覚えてるんですね、そういうのって。 Yoshika: 覚えてますね。 Senna: いや、素晴らしい。そうなんですよ。で、一番最初に連絡いただいたのが2021年の12月ですね。 Yoshika: 2021年。4年前ですね。 Senna: 当時のことを思い出していただくという意味も込めて、その時どういうことを書かれていたのか、ちょっとだけお伝えしようかなと思うんですが。「20代のうちにデザイナーへキャリアチェンジして、海外での就労体験を積みたいと考えている」と。それから、「実際に利益が出る部分に近いところに関わりたいから、グラフィックデザインよりはUI/UXの方に興味がある」と書いてくださっていました。 Yoshika: うんうん。 Senna: それで、大学院を出られて、新卒で入ったのが組織人事系のコンサル会社。そこで勤務されていて、ちょうどデザイナーのポジションに異動されたばかりのタイミングで、ご連絡をいただいた、という感じですね。 Yoshika: そうですね。うんうん。 Senna: で、「イラレ」「フォトショ」みたいなツールでデザイン模写はしているものの、さらにDribbbleにもいろいろ作品をアップロードされていて。さっき久しぶりにDribbbleを開いてみたら、むちゃくちゃクオリティの高いものばかり上がっていて。「これ、さすがにカナダ渡航したあとに作った作品かな?」って思ったんですよ。 Yoshika: あ、本当ですか?いや、それカナダ行く前じゃないかな。 Senna: 行く前なんですか、これ。 Yoshika: あんまり触った記憶がそんなになくて。 Senna: へー、まじか。じゃあ元々レベル高かったんですね。 Senna: ただ、英語力の部分は「スピーキング・リスニングは苦手」ということで。過去に取得したTOEICスコアが、その当時から8年前のもので550点。それしか情報が出されていなかったので、これだけ見るともう絶望しか覚えない数字なんですけども。 Yoshika: 本当ですよね(笑) Senna: というわけで、未経験からUIデザイナーへのキャリアチェンジ、海外就労ということで、エンジニアも含めて考えるべきか悩まれていた時期にFrogへご相談頂いたのかなと思います。 人事コンサルからデザイナーへ Senna: 改めて、人事コンサルのところからデザイナーに意識が向くまでの経緯みたいなところを教えてもらってもいいですか? Yoshika: はい、私は元々、人事系のコンサルからデザイナーになった経緯としては、社内の部署異動でして、特に自分の意思が入っていたわけではなく、「デザイナーになりたいです」とか言ったわけでもないんです。 Senna: あー、そうなんですね。 Yoshika: 会社側が適性とかを見たのと、ちょうど部署異動のタイミングが重なって、デザイナーになった、という経緯なんです。なので、「デザイナーになりたい!」と自分から目指したという感じではなかったんですよね。 Senna: え、そんなことあるんですね。 Yoshika: なかなか珍しいキャリアではありますけど。 Senna: 「あなた今日からデザイナーね」っていう人事異動、どういう背景だったんですか? Yoshika: そうですね。ただ、意外と自分の中ではすっと受け入れられた部分もあって。元々デザインに興味はあったんですよ。興味はあって、「ちょっと自分でも学んでみたいな、でもどうしようかな…」って思っていたくらいのタイミングでちょうどその話が来たんです。「なんならラッキー!」というか、「会社で勉強させてもらえるならめっちゃいいじゃん」という感覚だったので、受け止め方としてはかなりポジティブでしたね。 海外を目指したきっかけ Senna: Frogに連絡いただいた時というのは、もう「海外どこかしらに行こうかな」というのは考えていたんですか? Yoshika: そうですね。ちょうど「海外行きたかったんだ、そういえば自分…」って思い出したタイミングだったと思います。 Senna: ということは、「そういえば行きたかった」というのは、もっと前のタイミングで海外を目指していた時期があった、という感じなんですかね。 Yoshika: そうですね。大学生とか大学院生の時期に『留学はしてみたいな』とずっと思っていたんですが、結局行けなかったんです。そのまま社会人になって、社会人2年目ぐらいの頃に「あれ、今なら行けるんじゃない?もしかして」と気づき始めて。 Senna: おー。 Yoshika: どうせ行くなら、短期の語学留学とかより、自分の職歴的にもプラスになる形で行きたいなと思っていて、いろいろ探していた時にFrogさんを見つけた、という感じですね。 デザイナーかエンジニアか迷った話 Senna: デザイナーとして行くか、それともエンジニアとして行くかは、その当時はまだ迷ってらっしゃったということですかね。 Yoshika: そうですね、迷ってました。というのも、Frogのインタビュー記事とかも拝見していましたし、Sennaさんの発信も見て問い合わせたんですけど、その当時も、まあ今もだと思いますけど、やっぱりデザイナーの就職はかなり厳しいという状況があると思っていて。 Senna: 数が少ないですね、とにもかくにも。 Yoshika: そうですよね。そこで、「じゃあ海外に行ってもデザイナーとしては難しいのかな」という感覚があったので、「ならエンジニアとして入るっていう選択肢もあるのかもしれない」「そこからあとでデザインに戻る、みたいなキャリアもあるのかな」という感じで考えてました。 Senna: 大学院時代に少しプログラミングを勉強されていて、その時Rubyを触っていたというのもあったので、なおさら迷われていた、ということですよね。 Yoshika: そうですね。 Senna: 実際、「なぜカナダなのか」というところはどうなんですか?留学といえばアメリカやイギリスがよく出てきますし、オーストラリアも人気ですし。その中で、なんでわざわざカナダを選んだのでしょう? Yoshika: そうですね。一番はやっぱりビザかなと思っていて。外国人が現地で働くとなった時に、ビザのところで悩むことが多いというのは聞いていたので、アメリカだとかなりハードルが高い印象があり、他国も長期雇用という面だと難しそう、結果的に消去法でカナダが残っていたという感じになりますね。 Senna: そうですよね。もうFrogのビジネスをやって12年くらいになりますけど、ほぼ9割方は消去法でカナダを選んでいるので。まあ、かくいう僕もそうなんですけどね。 Yoshika: あ、そうですよね、やっぱり。別に「カナダじゃなきゃ絶対ダメ」という理由があったわけではなかったかもしれないです。 Senna: ないです。そう。「プーティン食べたいから」とか?そんな理由で選ぶ人…いるんですかね。 他の国も検討した? Senna: 他の国だと候補はありました? Yoshika: オーストラリアは迷ってましたね。あとは一応、ヨーロッパ系の学校に行くという選択肢もあるかなとは思ったんですけど、学費が結構高くなりそうだなというところがハードルになって、やめたという感じですね。 Senna: ヨーロッパ系というと、具体的にはドイツとかですか? Yoshika: あ、そうですね。ドイツとかも一応見たのは見たんですけど、学費問題にぶつかってしまって。 Senna: あまり検討しなかったというより、検討した上で「高いな」となった、という感じですか? Yoshika: いやー、ちゃんと調べればもっといろいろ手はあったと思うんですけど、パッと見た段階で「金額感が合わなさすぎるな」と思ってしまって、深堀りしなかったですね。 カレッジ選び:CICCCを選んだ理由 Senna: どうしてカレッジを決めたのか、どういう経緯でカナダのCICCCを選んだのかって覚えてます? Yoshika: そうですね。学校選びに関しては結構検討する時間があったんですが、その中でまず、「エンジニアではなくデザイナーとしてチャレンジしよう」というのが自分の中で固まったんです。そうなると、当時デザイン系の学校って少なかったんですよね。で、長期で行くと考えると、1年間のCo-opが出るところがいいなと思って調べると、本当に選択肢がほとんどなくて。 Senna: そうですよね。ほぼ一つか二つぐらいしかなかった印象です。 Yoshika: そうですよね。美大に行くか、カレッジに行くか、みたいな選択肢で。「Langaraに行くか、CICCCで1年のCo-opをやるか」、もう本当にその二択ぐらいしかなくて。金額感的にも「まあCICCCかな」という感じで決めました。 Senna: Frogに連絡いただく方々って、「WebデザイナーかUIデザイナーになりたいのか、それともエンジニアになりたいのかまだ分かりません」という方も多いんですけど、その中で中島さんは、日本でしっかり踏ん切りをつけていたという印象があって。迷ったままカナダに来る人が多い中で、よく日本で決められましたよね、と感じたんですが。 Yoshika: 確かに。なんか自分の中で「迷ったまま行く」というのがそもそも選択肢になかった、というのはありますね。仕事がちょうどデザインの部署に変わったぐらいのタイミングでFrogさんに問い合わせをして、そこから半年くらい悩んでいたと思うんです。その間にデザイナーとして少しずつ経験を積んでいったことで、「やっぱりデザインの方をやりたい」という気持ちが固まりやすかったのかな、とは思います。 TOEIC850点を3〜4ヶ月で達成 Senna: カレッジに行くということは、それなりに英語力も必要ですよね。2021年のタイミングって、CICCCに行く時の英語力の規定とか覚えてます? Yoshika: 覚えてます。入学するのに、その時はまだTOEICが使えて。TOEICで「850点」に変わったぐらいのタイミングだったんですよ。700何点だったのが850ぐらいに上がって、「おお、ちょっと上がってる」という記憶があります。 Senna: そうか。めっちゃ上がった時ですね。それどうしたんですか? Yoshika: えーっと、「渡航する」と決めてから…いや「学校を決めた」ぐらいのタイミングで「勉強しなきゃ」と思って勉強し始めて、結構短期で3〜4ヶ月ぐらい、TOEICだけをひたすらやる期間がありました。 Senna: おおー。それで到達したんですか? Yoshika: 到達しましたね。ギリギリ。 Senna: ええ、まじですか。すごいですね。才能か。 Yoshika: いやいや。元々英語が得意…というか、苦手ではなかったのもあって。大学受験をちゃんとやっていたタイプだったので、「勉強すればいける、TOEICなら」という感じでした。 Senna: どうしても、この相談の時に書かれている550点というのが目にちらついてしまうので、「よく行けたな…」って思ったんですが、これは8年前って書かれていたから、そりゃそうか。 Yoshika: 本当に。あれは大学入って遊び散らかしてた時のスコアなんで。 Senna: その期間で850とか860とかに到達したというので、英語の部分においては、先ほども「英語が苦手ではなかった」とおっしゃっていた通り、試験英語的な意味で得意だったって感じですか?話すほうはまた別で? Yoshika: いやもう完全に試験英語ができるタイプで、喋るほうは本当に経験がほぼなくて。今まで留学もしたことないですし、外国人の友達がいっぱいいるわけでもなかったので、スピーキングは全然できませんでしたね。 Senna: 僕の勝手な印象なんですけど、こっちに来られてからもすごく楽しそうにされていたイメージがあって、「英語めっちゃ得意だったんだろうな」と勝手に思っていたところがあるんですけど、日本ではあんまりそういう友達がいたわけではなかったんですね。 Yoshika: いたわけではなかったです。ただ、一応日本でオンライン英会話はやってました。渡航するって決めてから、フィリピンの方とかと喋ったりはしていました。 Senna: あー、よくあるDMM英会話的なやつってことですよね。 Yoshika: あー、そうですね。はい。 渡航までの準備期間 Senna: 学校に行くことを決めてから実際に行くまでの期間って、どれくらい時間があったんでしたっけ? Yoshika: えーっと、学校行くぞって決めたのいつだったかな…。2023年に渡航してるので、22年の春ぐらいには決めてたと思います。だから渡航する1年前ぐらいに決めて、その何ヶ月後か、半年後ぐらいに学費を払って、という流れでしたね。 Senna: トータルすると1年くらいは勉強・準備の期間があった、というイメージですよね。 Yoshika: ありましたね、はい。 Senna: その1年の間で英語をなんとかして、話すほうも頑張って勉強されて、カナダに渡航されたと思うんですが、その期間、日本の会社ではずっとデザインの仕事をされていたんですか? Yoshika: そうですね、してました。ただ、UI/UXっぽい仕事というより、どちらかというとWebデザイン、グラフィック寄りのWebデザインが中心でした。アプリケーションを作ったりはしてなかったですね。 Senna: じゃあ日本の職歴として見ると、1年と数ヶ月くらいはデザイナーとしての経験がある状態で渡航できた、ということなんですかね。 Yoshika: そうですね。1年半ぐらいある状態でした。 Senna: あ、それは大きいですね。 CICCCの1年間:前半は良かったが後半は中だるみ Senna: CICCCに入られるのかなと思うんですが、どうでした?1年間。 Yoshika: そうですね。正直に言うと、1年間全部授業を受ける必要はなかったかもって思う部分があります。 Senna: なるほどね。半年のコースでもよかったかもしれない、みたいな。 Yoshika: そうですね。CICCCはUI/UXでも半年と1年を選べたので、前半半年の授業は結構よかったんですよ。デザインの概論からツールの使い方、チームプロジェクトまでやる内容だったので、満足度は高かったんですが、後半の半年はカリキュラム的にデザインと距離がある内容が多くて。コーディング・エンジニアリングもやりますし、プロジェクトマネジメントやPMの概論もあって、結構広いんですよね。UI/UXの周辺知識の概論が続いて、長くて中だるみしたという印象です。 Senna: 実は最近ちょっと不思議な現象が起きてて、エンジニア系の方がUIのコースに入るケースが増えているんですよ。新しいことも学べるし、ワーホリが2年間使えるようになったから「短いコースでいい」というのもあって。その中で、半年だけ受けてるエンジニアからのレビューがすごく良いんです。 Yoshika: あ、そうなんだ。 Senna: そうなんですよ。だから「後半の半年に、もしかしたら必要以上の要素が含まれているだけなのかもしれない」という可能性が… Yoshika: それはあるかもしれないです。 学校期間中の過ごし方:日本の案件+ジャパレス+学校 Senna: この1年間の学習期間の過ごし方を色々聞いてみたいんですが、もちろん1日4時間くらい勉強する時間があったと思うんですけど、それ以外の時間ってどう過ごされていたんですか? Yoshika: その他の時間は、バイトをするか、日本の仕事をリモートで受けてフリーランス的にやっていた感じですね。それを並行してやってました。 Senna: カナダでの仕事…つまりバイトもされてたんですか? Yoshika: してました。普通にジャパレスとかでバイトしていた時期もあります。 Senna: えー、超忙しい人じゃないですか! Yoshika: そうですね。ただ、そこまでガッツリ入っていたわけではなくて。「海外で一回ぐらい、そういうバイトしてみたいかも」みたいな、ちょっと経験としてやってみた、くらいの感覚でした。 Senna: なるほど。金銭的にめちゃくちゃカツカツで、という感じでもなく? Yoshika: カツカツとまでは「めっちゃ稼がなきゃ」というほどではなかったですね。 Senna: 週1〜2日くらいの負荷感ですか? Yoshika: そうですね。週2ぐらいでバイトして、他の日はフリーの仕事をして、ポートフォリオも作って、という感じでした。 日本のフリーランス案件をどうやってゲットしたか Senna: 日本の案件というのは、日本で元々働かれていたところからの案件なのか、新しくつかまえたものなのかで言うと? Yoshika: あー、どっちもありました。前職からのお仕事もありましたし、カナダに来てからとか、日本にギリいる段階でいただいたものもあって、複数並行していましたね。 Senna: これ、実は結構多くの人に聞かれるんですが、デザイナーのフリー案件ってどうやって取るんですか? Yoshika: いろんな手があって、私は本当に色々試してました。ひとつは「デザインシップ」っていうデザイナー向けのカンファレンスがあって、そのコミュニティに登録していたんですが、そこ経由でプロフィールを見て「お願いしたい」と言ってくださった会社さんが1社。 Senna: はいはい。 Yoshika: あとは単純に、自分の知り合いが起業していて、そこからお仕事をいただいていたところがひとつ。ほかにも、フリーランス向けの案件紹介サイトに複数登録していたり、ビジネスSNSの「YOUTRUST」という日本版LinkedInみたいなサービスでも声をかけていただいたり、Wantedlyも登録だけしていました。 Senna: Wantedlyもやっぱり多いですね。 Yoshika: そうですね、とりあえず登録できるところは一通り登録してました。 無料インターンの落とし穴 Senna: 学校期間中に、カナダ系のボランティアとかインターンは特にやらなかったイメージなんですが? Yoshika: あ、インターンやりました。1社だけ。ボランティアですね。インターンというか、無給だったので。その時期ちょうど、X(旧Twitter)で「日本人に限らず留学生の労働を無料で使っている会社がある」という話題が燃えた時期があって、覚えてますか? Senna: あー、いましたね。燃えやすいやつですね。 Yoshika: 燃えやすいですよね。その時それを見て「確かに…」と思って。私も「わ、なんか普通に無料の労働力としてしか使われてないし、これキャリアに繋がるんかな?」と感じて。 Senna: あー、そうだったんですね。 Yoshika: 「何のプラスにもならない」と思って、結構すぐ辞めました。 Senna: 日系の会社だったわけではなく? Yoshika: 日系ではなかったです。アラブ系の、よく分からない会社で。本当に名前も知られてなくて、教育もなくて、なんでもインターンに任せてるみたいな会社でした。 Senna: あー、それはちょっと怖いやつですね…。 Yoshika: 「別にこれ意味ないかもしれない」と思って辞めました。 Senna: じゃあ作品もアップできないし、リファレンスにもならないし、時間だけが過ぎていく…というイメージですかね。 Yoshika: そんな感じでした。 Co-op期間の就活:リセッション直撃 Senna: 具体的にその後どうされてたんですか?就活を始められたのかなと思うんですが、どのあたりから? Yoshika: Co-opに入る2ヶ月前くらいから…ちょっと遅かったんですけど、2〜3ヶ月前からアプライし始めました。でも初めて面接に呼ばれたのはCo-opに入ってからで。入って3ヶ月くらいのタイミングで初めて呼ばれました。なので結構半年くらいは「アプライしかしてない」時期が続いてました。 Senna: 就活に入った時期って覚えてます?年と月くらいで。 Yoshika: えっと、2023年に渡航してるので…2024年の冬、1月・2月とかですね。 Senna: あー、はいはいはい。わりかし暗黒期ですね。 Yoshika: 完全に暗黒期です。 Senna: わりかしまだリセッションの波がまったく去ってませんよの時期ですよね。 Yoshika: そうですね。結構厳しい時期だったと思います。今もですけど。 Senna: そのど真ん中に当たってしまったわけですね。 Yoshika: そうですね。春ぐらいに一瞬、「あ、戻ってくるんじゃない?」みたいな兆しはあったんですけど、そんなことなかったです。 「運ゲー」を受け入れる覚悟 Senna: かなり苦戦された印象があります。もう「苦戦どころの話じゃない」くらいだったのかなと。 Yoshika: そうですね。「これアプライしてる意味あるんかな…?」って思うくらいでした。 Senna: Frogでもカウンセリングでずっと言い続けていますが、結局のところ景気の影響があまりにも大きいので、どれだけ頑張っても「運ゲー」の部分は絶対あるんですよね。 Yoshika: そうですね。もう運ゲーだし、自分のコントロール外の部分なので、「そういうこともあるよね」と思ってました。円安とかもそうですし、どうしようもない要素じゃないですか。「行ってみてダメなら分からないな」と思っていたので、そこは覚悟してました。 Senna: 逆に言えば、2022年に渡航した人たちなんて、もう「送れば受かる」くらいの時期もあったわけで…。本当に、運ゲーの要素は強いですよね。 就活の葛藤:カナダに残るか日本に帰るか Senna: 「いつのタイミングでカナダに居続けるべきなのか」「日本に帰るべきなのか」、その辺の葛藤って思い出せたりしますか? Yoshika: いや、めちゃめちゃありましたね。カナダ全体がリセッションの雰囲気で、「これ結構就職厳しそうだな」という予感はもちろんあったし、自分はジュニアだから余計に厳しいだろうな、というのもあって。周りを見ても「就職した」という話は聞かないのに、「レイオフされた」という話ばかり聞こえてくる時期だったので。 Senna: 間違いない。 Yoshika: 「これ結構無理じゃない?」という空気は漂ってました。デザイナーとしてのスキルもまだ足りてない自覚があったし、英語力も他と比べて特別高いわけでもなかったので、「自分がカナダで戦えるポイントってどれぐらいなんだろう」という不安と、「早くキャリア積みたい」という気持ちがあって、葛藤はすごく大きかったです。 Senna: その葛藤の期間がどれくらいだったかは分からないですが、割と切り替えも早かった印象があって。実際どう動かれたんですか? Yoshika: そうですね。自分の中では、カナダに来た目的として「現地就職にチャレンジする」というのが大きかったので、「やりきった」と言えるところまではやろうと決めてました。アプライもそうですし、ポートフォリオをブラッシュアップしたり、自分ができる範囲は全部やって、「もうやれるだけやった」と思えたら踏ん切りがつくなと考えて、そこまでは結構ガーッとカナダの就活に集中していました。 Yunaさんと同じポジションを争った話 Yoshika: そうやって動く中で、面接に呼ばれたところもあったんですけど、友達とバッティングしてしまって…。Yunaちゃんです。 Senna: おお。 Yoshika: そうです。Yunaちゃんと同じポジションを争ったりもして。 Senna: ああ、アメリカの会社の。 Yoshika: そうですそうです。そういうこともあって、「まあもうある程度やったな」「清々しいわ」と思えるところまでやれたので、そこで切り替えられました。 Senna: 友達同士で競い合うくらい、ポジションの数が少なかったということですよね。 Yoshika: そうですね。あの案件は特に、日本語がアドバンテージになるポジションだったので、そもそも間口がかなり狭かったと思います。 Senna: 今YunaさんはFrogのPEOを使ってあそこで働き続けていますし、SaaS系の会社でのデザイナー採用は本当にレアなので、あのケースは特に貴重な事例として語られますよね。やっぱり枠が少ない。 Yoshika: そうですね。エンジニアに比べたら、デザイナーって本当にポジションが少ないと思います。 Senna: やりきったな、と思えたのはいつ頃でした? Yoshika: 2024年の秋ぐらいだと思います。9月とか、9〜10月ぐらいに「そろそろ日本の方に切り替えるか」と感じました。 日本での就活方法から、LITALICOに内定が決まるまで Senna: 日本での仕事はどういう風に探されたんですか? Yoshika: そうですね。まず日本のエージェントさん…あとは日本のIT系の普通の転職サイトにも登録してましたし、自己応募もしてました。気になる企業があれば、自分で直接応募したりもしてました。 Senna: 最終的にリタリコさんへの就職が決まったのは、いつ頃だったんですか? Yoshika: リタリコに決まったのは、今年の3月頭ですね。2月末ぐらいにオファーをいただいて、という流れでした。結構ギリギリでした。 Senna: ギリギリというのは、どういう意味でのギリギリですか? Yoshika: 日本に帰国するのが今年の3月末で、本当は4月の頭から働けたらいいと思ってたんですよ。2025年の4月1日から。ただ実際の入社は4月15日になったんですけど、その4月入社を目指すにあたって、内定をもらうのが本当にギリギリだったなという意味です。 Senna: 4月を目指していた理由って何かあったんですか? Yoshika: なんか4月1日が一番入りやすそうだなと思っていて。新卒の方も入るタイミングなので企業側の研修体制も整ってますし、一番ウェルカムな時期じゃないかっていうのがひとつ。それと、日本に帰ってからブランクを空けたくなかったんですよね。何もしない時間ができるのがあまり好きじゃなくて、「就活は早めに終わらせて、日本に戻ったらすぐ働きたい」と思っていたので、その意味でも4月1日入社を狙って動いてました。 Senna: そう考えると、日本に「そろそろ帰国しようかな」と思っていた2024年の9月頃から考えると、半年くらいは就活されていたことになるんですかね。 Yoshika: そうですね、なんだかんだ動いてはいました。ただ、私2025年の1月末にバンクーバーを出ていて、2月・3月は完全に旅行していたので、ずっとガッツリ就活していたわけではないんです。トータルで見ると、実際に就活に当てていたのは3〜4ヶ月くらいかな、というイメージです。 Senna: 内定自体は年末とか1月とかでした? Yoshika: 内定をもらったのは、旅行中でした。旅行しながら、その合間に面接も受ける、みたいな感じになっちゃって。本当は1月末にカナダを離れるまでに決めたかったんですけど、全然間に合わなかったですね。 他社からも内定をもらっていた Senna: リタリコさん以外にも、内定や選考が進んでいた会社はありましたか? Yoshika: あ、ありましたね。1社内定をいただいていたところがあったり、他にも選考が進んでいた会社はいくつかあったんですけど、最終的にはリタリコが第一志望かなと思えたので、お断りしました。 Senna: その時の決め手というか、何を基準に最終的な判断をされたのか、教えてもらってもいいですか? Yoshika: 最後に選んだ基準としては、業界的なところと、自分が関わるプロダクトの内容的に面白そうかどうかという部分ですね。その点で一番惹かれたのがリタリコでした。条件面はどこもほとんど変わらなかったです。 プロダクトデザイナーへのこだわり Senna: しかもポジションとしてはプロダクトデザイナーですよね。プロダクト全体を見るデザインのポジションかなと思うんですが、このプロダクトデザイナーという職種を希望されたのは、Yoshikaさんご自身の希望だったんですよね? Yoshika: そうですね。日本に帰ると決めるうえで大きかったのが、「プロダクトデザイナーとして経験を積みたい」という思いでした。それをカナダで貫こうとすると、就活はかなり厳しそうだなと感じていて。コミュニケーションデザイン寄りとか、自分がこれまでやってきたグラフィック寄りにシフトすれば、カナダに残る就活ももしかしたらできたのかもしれないんですけど、逆に言うとその職種へのこだわりは結構強かったと思います。 Senna: こないだFrogのイベントに出てもらった、SONYのデザイナーのユウジさんっていう方も、カナダにいる時はエンジニア+デザイナーだったから仕事があったけれど、「本当はデザインだけでやりたかった」という理由で日本に戻った方だったんですよね。そういう意味では、自分のやりたいこととマーケットの需要を合わせる過程で、どうしてもズレが出るケースはありますよね。 カナダでの経験が日本の面接でどう評価されたか Senna: 海外にいらっしゃった期間がトータルで2年くらいと、比較的長いと思うんですが、その2年間のカナダでの経験って、会社によってはブランクと捉えられることもある一方で、チャレンジとして評価する会社もあると思っていて。今回の就職活動の中で、カナダでの経験については当然いろいろ話されたと思うんですが、どう受け取られている印象でしたか? ネガティブ・ポジティブ含めて覚えている範囲で教えてもらえますか? Yoshika: そうですね、面接まで進んだ会社さんに関しては、どこもポジティブに受け取ってくれていた印象です。逆に、ネガティブに捉えられる会社さんは、書類の段階で落ちていた可能性が高いと思います。 Senna: ああ、なるほどですね。「2年間海外に行ってたんでしょ?」というだけで落とす、みたいなケースもありますよね。 Yoshika: そうですね。これをブランクとして見ている会社さんは、多分書類で落としているんだろうな、という感覚はありました。 Senna: 実際に3社ほど面接まで進まれたとのことですが、そのあたりの会社さんはポジティブに見てくれていた、ということですよね。どのあたりからそれを感じました? Yoshika: 一番評価していただけたのは、英語力そのものというよりは、チャレンジしたことや、自分で学ぼうとする姿勢といった部分だったと思います。カナダでの就活や、そこで実際にやってきたことへのチャレンジ、自分でポートフォリオを作ってケーススタディをまとめていったことなど、そういった姿勢に対してポジティブなフィードバックをいただけたと感じています。 カナダでの経験が今の仕事に活きていること Senna: Yoshikaさんご自身として、「カナダでのどういう経験や瞬間が、日本に帰ってから一番評価された」「今の仕事に活きている」と感じますか? Yoshika: そうですね…。就活という観点で言うと、そもそもカナダ向けにポートフォリオを作っていて、カナダで面接も受けて対策もして、という経験が、そのまま日本向けバージョンに置き換わっただけ、というところが大きいです。仕事の面で、入社後に活きている部分でいうと、手探り状態で進めていたカナダでの就活や勉強を、自分でなんとか推進しようとする力ですね。 Senna: レールが全くないところから進めていく、という感じですよね。 Yoshika: そうですね。そういう状況でなんとかしていく、いわゆる海外ならではのサバイブ経験みたいなところが活きていると思います。 Senna: 誰かに聞けばすぐ答えがもらえるわけでもなく、決まったレールが用意されているわけでもない中で、とにかく自分でやれることを片っ端からやっていく、という暗中模索感は絶対ありますよね。特にデザイナー系はメンターらしいメンターの数もそこまで多くないですし、「教わりながら」よりも「試行錯誤しながら」の経験が効いている、という感じですよね。 Yoshika: そうですね。そこはすごく活きている実感があります。そもそもみんなハート強くなりますよね。 今の仕事:障害者福祉のプロダクトデザイン Senna: 実際に入社されてみてどうですか? 今の仕事の内容だったり、どんなことをされているのか、教えていただける範囲で伺えますか? Yoshika: もちろんです。今やっているのは、リタリコという会社自体が障害者福祉などを扱っている会社で、その中にいろいろな事業があるんですが、私はその中で、障害や発達に特性のあるお子さんを学校で教えている先生、いわゆる特別支援学級などで教えられている先生方が使うサポートツールのようなソフトを担当しています。 Senna: なるほど。 Yoshika: そのプロダクトのプロダクトデザインと、コミュニケーションデザインも含めて担当している形です。アプリのデザインもやりますし、ときにはLPを作ったり、チラシを作ったり、デザイン全般を任せてもらっています。 Senna: プロダクトデザイナーって、割と領域をまたいでなんでもやっているイメージがあって。今のお話を聞いていると、Yoshikaさんがいらっしゃるポジションは、「福祉分野で教えられている先生がツールを使いやすくなるためなら、必要なデザインはなんでもやる」というイメージですね。 Yoshika: まさにその通りですね。その時々で必要なものを、デザイナーとして作っている感じです。事業部にデザイナーが1人か2人しかいないので、基本的にデザインまわりは全般的に見ています。 UIとグラフィック両方の経験が活きている Senna: アプリのUX・UIを考える時の頭の使い方と、紙媒体やチラシなどリアルなものを作る時の頭の使い方って、正直かなり違うと個人的には思っていて。そのあたり、Yoshikaさんご自身の経験としては、カナダにいる間も含めると、どちらかというとアプリやUIの方が多かった、というイメージなんですが、実際はどうですか? Yoshika: 実感としては、そこは結構半々くらいか、ややアプリの方が少ないくらいの感覚ですね。前職でやっていた仕事に、アプリ側の仕事がプラスされていったイメージに近くて。カナダでもアプリ系の案件に入らせてもらったことはあるんですけど、そこまで数が多かったわけではないので、トータルで見ると半々くらいかなと思います。 Senna: カナダだとUI系に進みたい人が多いので、受ける案件やフリーランスの仕事も含めて、アプリやWebサービス寄りになる人が多い印象なんですよね。その一方で、日本でプロダクトデザイナーとして採用されると、いきなりグラフィックや印刷物も含めて幅広くやることになって大変だった、という話もよく聞きます。そういう意味では、プロダクト全体を見るという点で、Yoshikaさんは最初から比較的適性があった、という感じなんですかね。 Yoshika: そうですね。前職でやっていた仕事がもともとグラフィック寄りの領域だったので、そこにCICCCで勉強したアプリやUIまわりの知識が乗ってきて、ちょうどいい形になっている、という感覚はあります。 今後のキャリア展望 Senna: 今のお仕事の中で、今後のキャリアとしてもプロダクトデザインをどんどん突き詰めていきたいのか、それとも「こういう領域にも今後手を伸ばしていきたい」といったイメージはありますか? Yoshika: そうですね。しばらくは、まだリードデザイナーというポジションには至っていないので、「自分はデザインリードができます」と胸を張って言えるくらいまでは、まずプロダクトデザインをしっかり極めたいなと思っています。その後のキャリアについては、まだ少し迷っている部分がありますね。デザインを軸にずっとやっていくのか、もう少しPM的な立ち位置ににじんでいくのか、というのは、今も検討中のポイントです。 Senna: いわゆるICポジションとして専門性を突き詰めるのか、ピープルマネジメントやプロジェクトマネジメントにシフトしていくのか、というあたりですよね。 Yoshika: そうですね、そのあたりで揺れている感じです。 これから渡航する人へのアドバイス①:柔軟性を持つ Senna: これからカナダに渡航しようとしている方もたくさんいると思います。「せっかくカナダに行くなら現地就職を目指したい」と考える一方で、現地就職って結局、景気やタイミングなど運の要素もかなり強いよね、というのは避けられない部分でもあって。そういう人たちに向けて、何かアドバイスや心構えとして伝えておきたいことがあれば、教えてもらえますか? Yoshika: そうですね。自分が実際にチャレンジしてみて思ったのは、渡航前は「海外で現地就職する」というのを大きな目標として置いていたんですけど、それってどうしても運の要素があるので、行ってみないと分からないし、途中で変わることもあるよね、という前提を持っておいた方がいい、ということです。そこをガチガチに固めすぎると、うまくいかなかった時に自分を追い詰めすぎてしまう気がしていて。目標として掲げるのは良いと思うんですが、「実際に行ってみないと分からない部分もあるよね」くらいの余白を持っておいた方が、心は楽かなと思います。 これから渡航する人へのアドバイス②:行ったことで次が見える Yoshika: ただ、行くこと自体にはすごく賛成なんですよね。海外にチャレンジしてみたい気持ちがあるなら、一度行ってみるのは本当に良いと思います。1回行ったことで、「もう一度カナダに挑戦したい」「また海外に挑戦したい」と思った時に、次はすぐ動けそうだなと思えるようになりました。 Senna: ああ、それはすごく分かりますね。 Yoshika: どれくらい準備が必要かとか、「英語力はこのくらいあると良さそう」とか、「日本にいる間にこういう準備ができそう」とか、そういう具体的なイメージが一度行ったことで掴めたので、「もう一回チャレンジしたい」となったら、いつでも行けるというマインドセットに変わりました。「とりあえず行ってから考える」くらいの感覚にはなりましたね。 Senna: ビザまわりや就活まわりのノウハウもどんどん溜まっていくでしょうし、プロダクトデザイナーとしてのこれからのキャリアや知見も積み上がっていくと思うので。もしまた挑戦することがあったら、その時はきっと今とは全然違う形になるかもしれないですよね。選択肢がすごく増えたということですよね。 Yoshika: うん、本当にそう思います。 これから渡航する人へのアドバイス③:日本でできる準備は全部しておく Yoshika: あ、最後に「これから来る人へのアドバイス」というところで、もう少しだけ話してもいいですか。日本で…もう本当にいろんな人に言われていると思うし、Sennaさんも口酸っぱく言われていると思うんですけど、日本でできる準備はできるだけ全部しておいた方がいい、というのは強く思っています。 Senna: 本当にそうなんですよね。なんでこれがなかなか伝わらないんですかね…。 Yoshika: 例えば「デザイナー未経験からデザイン就職を目指します」とか、「キャリアがあまりない状態から就職します」というのであれば、日本にいる間に一通り学んでおいたほうがいいと思っていて。今は何でも学べるじゃないですか。学ぶための方法はいくらでもあるので、「UI/UXデザインとは何か」とか、「ポートフォリオってどう作ればいいのか」とかを一周学んで、自分でプロジェクトを1個やってみる。そのくらいの段階で渡航するのが理想的かなと思います。 Senna: そういう準備をせずに来た人って、周りにいましたか? Frogの中だと、デザイナーで完全未経験から、というケースはそこまで多くはない印象なんですが。 Yoshika: Frogの中では聞いたことがないですね。ただ、クラスメートにはいました。Frogではないけど、日本から完全未経験でデザインのコースに入ってきた子たちが何人かいて。その子たちがどうなったかというと、まず海外での現地就職はかなり難しくて日本に戻ってきていて、日本に帰ってきてから何をやっているかというと、結局デザイナー以外の仕事をしている人が多いです。 Senna: ああ、そうなんですね。 Yoshika: 一緒に勉強して、デザインを学んだのに、それを仕事にできていないのは、ちょっともったいないな…という気持ちにはなりました。 Senna: 学費もそれなりにかかっているわけですもんね。200万とか300万とか、多分それくらいはかけているはずで。 Yoshika: そうなんですよね。デザイナーになると年収が下がってしまうから、前職で経験のある領域に戻っている、というのもその人なりの判断だとは思うんですけど、何とも言えない気持ちにはなります。 留学のコスパを良くするために Senna: 僕の最近の悩みでもあるんですけど、そういう事例が増えてしまうと、留学自体が「コスパが悪いもの」になってしまうんですよね。どう頑張っても、ふたを開けてみたら「留学しなかった方が年収が高かったよね」という話になってしまう。そういうケースが増えると、これから海外に出ていく人たちも、「なんでそんなコスパ悪そうなことをしなきゃいけないの?」という発想になってしまうと思っていて。だからこそ本当に、Yoshikaさんがおっしゃるように、日本でできる準備は全部した上で来てほしいなと思うんです。ただ、これって本人だけの問題じゃなくて、エージェント側の問題もあるなと思っていて。 Yoshika: ああ、確かに。 Senna: 「とりあえずこっちに来れば、よくわからないけどなんとか就職できるよ」みたいなことを言っている人たちが、本当に多いんですよね。 Yoshika: 現実は全然違いますよね。 Senna: 本当にそうなんですよ。正直、景気がよかったとしても、完全未経験からだと、かなり強い「ラッキー」がないと厳しいのは間違いないですからね。 Yoshika: いや、本当にその通りだと思います。 AI時代の留学準備 Yoshika: なので、もう「できるだけやっとけ」という感じですね。 Senna: そうですね。「できるだけ」の範囲が、特に最近はAIの時代になってきていて、やれることがどんどん増えているのもありますし。 Yoshika: 本当にそう思います。英語のポートフォリオを1個作って持っていくくらいの勢いで準備した方がいいと思います、今からやるのであれば。 Senna: このあたりをどこまでインタビューに載せるかはまだ分からないんですけど、本音としては「カナダで受ける授業なんて、全部復習だと思えるレベルまで頑張ってきてほしい」というのがあるんですよね。本当はそれくらい準備してきてほしい。ただ、Frogの発信力もまだまだ弱くて、なかなかそこまで届いていないというのが悩ましいところです。 Yoshika: 難しいですよね。このインタビューを実際にどう使うかは置いておいても、いろんな人に届けばいいなと思います。 Senna: 本当にそうですね。今日はお時間取って頂きありがとうございました! インタビューを通して強く感じたのは、Yoshikaさんが「決めた目標に対してやり切る力がある」という点でした。厳しい時期のカナダであっても、できる限りの準備と挑戦を続けたからこそ、帰国という判断も前向きに受け止められたのだと思います。 そして印象的だったのが、Yoshikaさんが語っていた「日本でできる準備は本当に多い」という言葉です。実際に海外で挑戦したからこそわかるリアルで、これから渡航を考える多くの人にとって、非常に大切な視点だと感じました。 海外へ行くこと自体には大きな価値がありますが、その経験を次につなげるかどうかは自分次第です。今回のインタビューが、これから海外に挑戦する方にとって、準備と行動の大切さを考えるきっかけになれば嬉しく思います。
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コーヒーも注文できなかった渡航初日から、Amazon Web ServiceのCSEへ海外就職を達成したObaraさん
本記事では、カナダでの学び直しを経てAWSトロントでカスタマーサポートエンジニアとして働き、現在は日本でTAMとして新たなキャリアを歩むObaraさんにお話を伺いました。 日本では鉱山エンジニアとして働き、その後Excel VBAをきっかけにITへ転身し、スタートアップでフルスタックとしてキャリアを積んできたObaraさん。人生の大きな転機を経て海外挑戦を決め、カナダへ渡航します。 到着直後のスターバックスでは言葉が全く出てこず、日本人スタッフに助けてもらいながら「ブラックコーヒーください」とようやく伝えられたというエピソードが象徴的でした。その後も英語の壁に苦しみながら、CICCCでの学習やTim Hortonsでの勤務、そして何十件応募しても決まらない就活を粘り強く続けます。 AWS面接では30個のOLPエピソードを用意し、仲間と面接練習を重ねて内定を獲得。トロントで経験を積んだあと、Obaraさんは日本での新しいポジションへ踏み出す決断をします。 本記事では、こうしたキャリアの背景やカナダでの挑戦、そして帰国に至るまでの心境を、Obaraさんの言葉とともに丁寧に追いました。 Frogとの出会いとカナダへの道のり Senna: Frogのインタビュー記事って見たことありますよね? Obara: はい、見たことあります。 Senna: 覚えてますか?Obaraさんが一番最初に連絡いただいたときの内容とか。 Obara: 最初お問い合わせしたときは、まだ気持ちが決まっていなくて。Sennaさんに面談いただいた気がするんですけど、その直後にプライベートで色々ありまして。 Senna: そうですよね。一回連絡いただいた後に、ちょっと2年くらい時間空きましたもんね。 Obara: そうですね。色々事情が重なりました。 Senna: そういった事情もあってという部分で、再度ご連絡をいただいたのが多分2022年末か、もうほぼ2023年ですね。 鉱山エンジニアからITエンジニアへ Senna: 懐かしいですね。LinkedInなんかも先ほど拝見させていただきながらキャリアの部分を振り返っていたんですが、Obaraさんエンジニア経験者としてカナダに渡航されてましたよね。 Obara: そうですね、エンジニアとしては3年ぐらい経ってからカナダの方に渡った感じですね。 Senna: 僕、最初ObaraさんのLinkedInに「マイニングエンジニア」って書いてあるのを見て、「ビットコインのマイニングしてんのかな?」って思って見ていたら、多分これ本当のマイニングですよね? Obara: そうです。最初の新卒から5年間は、セメント会社の鉱山部門で鉱山の管理の仕事をしてました。生産量を管理したり。今考えると、本当にびっくりするぐらい、今の仕事とはかけ離れてる仕事ですね。 Senna: 間違いない。しかも結構長いですよね、5年くらい。ここは新卒から入られたんですかね。 Obara: そうですね。大学で地質学っていう、地面の地層の重なりみたいなのを扱う学問をやっていて。その関係で、石油系かセメント系みたいなところに入社する人が多いんですけど、石油は結構年収もいいので人気で。自分はセメント業界の方でご縁あって採用していただいて。技術系総合職っていう枠で、その会社が全国に何個か鉱山を持ってたんですけど、そのうちの一つの山口県の鉱山で、現場の方の勤務を3年ほどやってました。 プログラミングとの出会いはVBAマクロがきっかけ Senna: なるほどですね。そういったお仕事をされている中で、次のキャリアがいきなりフルスタックエンジニアって書かれているから、「どんな転機があってエンジニアに転向されたのか、すごく気になるな」と思っていて。何かきっかけがあったんですか? Obara: 新卒の会社で、やっぱり定年まで勤めようと思っていたんですけど、あまり仕事できなくて、成果も出なくて。「自分には向いてないのかな」っていう気持ちが結構あって、だんだん疑問に感じるようになってきて。そんなときにExcelのVBAマクロっていう、エクセルのプログラミング言語みたいなのを組んだことがあって、それが結構面白かったんですよね。作業みたいなのがボタン1つでできる、というのが。 Senna: いいですね。入り方としてはよくあるパターンですよね。マクロ組んでみたら、そこから初めてプログラミングに携わる、みたいな感じですよね。 Obara: そうですね。それでIT業界に結構興味を持ち始めて、転職活動を開始したところですね。 Senna: でも、マクロ組めるだけだったら、さすがにプログラマー・エンジニアとして就職するのは無理じゃんって思うんですが、そこはどうやっていけたんですか? 学校かなんか通ったんですか? Obara: オンラインのプログラミングスクールに通いました。会社に通いながら、夜にオンラインのプログラミングスクールに通って、Ruby on Railsのアプリを作るみたいなカリキュラムだったかなと。 Senna: なるほど。じゃあ最初はRailsエンジニアだったわけですね。 スタートアップでのフルスタック開発経験 Senna: そこからキャリアがスタートしていく中で、Obaraさんのご経歴を見るとフリーランスの案件数が多いですよね。 Obara: 何個かフリーランスの案件を転々としていたので、経歴がたくさんあるように見えるんですけど。最初はスタートアップの会社で、ゼロからだったんで、いろいろ教えてもらいながら、ひたすらコードをたくさん書かせてもらいました。バックエンドはRuby on Rails、フロントはReact、ネイティブアプリはReact Nativeみたいな。全部やらせてもらえて、たくさんコードを書かせてもらえたので、それが2年くらいですね。 Senna: すごいな。その経験をしてからフリーランスになられたと。 Obara: そうですね。 Senna: それが最初の案件、最初に入られたのはどんな会社さんだったんですか? Obara: いや、最初にフルスタックでやっていたのが、Tunagateっていう会社での正社員の仕事ですね。そこで働いてから、その後、とある受託開発会社さんに業務委託で入ったんですけど。元々の案件の方が、国内のレジャー系サービス企業さんのアプリシステムみたいなのを改修するような仕事で、それは基本的にはRubyとフロントとバック、Ruby on RailsとReactっていう感じでした。 Senna: なるほど。じゃあ、キャリアとして本格的に始めたのはTunagateさんの方が先だったんですね。 Obara: そうですね。Tunagateさんの仕事は、カナダに来てからも続けてやらせてもらっているので、そういう風に見えるんだと思います。 Senna: 素晴らしいですね。じゃあ本当に最初、Tunagateさんがキャリアのきっかけになっていて、それが今に至っているってことかなと思うし、期間もすごく長いですよね。しかも4年と1ヶ月という期間、ずっと一緒に仕事されていたっていうのもあるので。カナダに来てからも、このTunagateさんとの案件はずっとやり続けていたってことですね。 Obara: そうですね、はい。 Senna: 一番美しい形ですね。だいたい皆さん、日本で仕事をされていて、一度辞めて、こっちに来てから頑張ってフリーランスの仕事を見つけるみたいな方が多いですが、日本で既に関係のある会社との仕事をそのまま海外生活に持ち込めると、収入面でも精神面でもかなり安定するので、理想的ですよね。なるほど、じゃあ日本でのキャリアという意味では、このTunagateさんでのキャリアが一番長くて、メインになってくるってことですね。 海外への憧れは冒険への情熱 Senna: カナダに渡航するきっかけみたいなところは、皆さんすごく気にすると思うんですけど、実際にどういう経緯があって海外行こうと思ったんですか? Obara: 漠然とした理由と、途中からは結構具体的になってきて、「もうこれは行かないと」とみたいな感じになったんですけど。漠然とした理由としては、社会人になって落ち着いてきてから、昔「電波少年」っていう番組でヒッチハイクの旅ってあるじゃないですか。 Senna: ありましたねー。むっちゃ懐かしいな。 Obara: 小さい時に見たので、そのときはものすごくは記憶に残ってなかったんですけど、改めて社会人になってから見てみて、「いいなー」と思っちゃったんですよね。海外でちょっと放浪の旅いいなーって思っちゃったのと、あと沢木耕太郎さんの「深夜特急」っていう、脱サラして海外に放浪の旅に出るっていう小説があるんですけど、そういうのを読んだりしていて。自分はずっと日本にいるので、ワンピースとかハンターハンターとか、あとドラクエとかもそうですけど、「冒険いいなー」って。 Senna: 現実的な理由かと思いきや、いきなり少年みたいな感じの理由に転化されましたね Obara: 中二病な感じ全開なんですが、そういう漠然とした憧れが常にあったんです。 行動に移すきっかけとなったYouTubeとFrogのブログ Senna: とはいえ、「電波少年」だったり小説読んだりっていうのは、みんな多分やってることだと思うんですけど、なかなか実際に行動に移す人ってほとんどいないわけで。それこそ、行動に移すことになった決定的なきっかけとかはあったんですか? Obara: 「どうやったらそういうことができる方法があるのかなー」とは思っていて、なんとなく調べてはいたんですよ。Sakai JunさんっていうYouTuberの方がいて、海外でエンジニアとして働いている人たちを、かなり具体的に生で紹介していて、「こういうルートがある」みたいな話をされていて。それで結構解像度が上がってきたんです。で、やっぱり調べていくうちに行き着くのが、やっぱりFrogさんだったんですよね。それで、Sennaさんの「今バンクーバーという街がどれだけ熱いか」っていう昔のブログ記事を読んで。 Senna: 書いたなー、懐かしいですね。 Obara: あれが結構衝撃で、「これはもうバンクーバーしかないな」と思って、一気にそこで具体的になったんですよね。Frogさんのプランを見て、すごい具体的じゃないですか。「1年目は学校に通いながら、2年目はそのビザを使って、3年目はワーホリを使って」っていう、かなり具体的なプランが書いてあって。あとSennaさんの書かれていた日本にハイグイが必要っていう記事、この「ハイグイ」という言葉はNHKスペシャルで見たことがあって。Sennaさんのブログを見て、すごい気持ちが熱くなったというか。 Senna: それは執筆者冥利に尽きますね。ありがたいです。 Obara: 結構色々な事に感化されて熱くなるタイプなんですよ。気持ちが熱くなってきて、「そういう人材になりたいな」というか。具体的なプランっていうのはFrogさんのプランを見て、「これはいけるな」ということで計画を立てていましたね。 カレッジへの準備:TOEICと英語学習 Senna: 2022年の末頃に再度ご連絡いただいたときには、もうすでに30歳を超えられていて、ワーホリが使えない状況になっていたと思うんですが。「31歳を超えていてワーホリが無理だよね」という話になると、自然とカレッジ進学のプランになりますよね。そのあたりの説明についても、割とすんなり納得された感じでしたか? Obara: そうですね。プライベートでいろいろあって、気づいたらワーホリが使えない年齢になってしまった、というのは正直かなり残念でした。でもそのぶん、「技術力としてはまあ問題ないかな」と思っていたので、「なんとかなるんじゃないかな」という楽観的な気持ちはありましたね。 Senna: その楽観視が、みんななかなか持てないんですよね。だからこそ踏ん切りがつかない。いいことだと思います、本当に。 Obara: 計画は自分の中でものすごく前倒しで立てていました。人生で「チャレンジしない後悔」だけは絶対したくなかったので。もう私にはCo-opしか選択肢はなかったですけど、「行こう」と決めました。 Senna: もう一つ驚いたのが、2022年末にいただいたご連絡のときのTOEICスコアが830点だったことなんですよ。日本人としては相当高いですよね。英語は昔から勉強されていたんですか? Obara: 自分は完全に受験英語タイプでしたね。大学のときもスピーキングやリスニングは全然できなくて、ほぼ単語力で戦ってきた感じです。社会人になってから、新卒で入った会社の福利厚生で「英語力を鍛えよう」という制度があったので、そこで頑張って700点台まで上げた感じです。 Senna: その時点でもう既に高かったんですね。素晴らしい。 Obara: その後、カナダに渡ろうと決めてから、1年くらいかけてさらにスコアを伸ばしました。CICCCに入るのに確か850点以上必要だったと思うんですけど、必死に勉強してなんとか830まではいったんです。でもその時点ではまだ足りていなくて、その後なんとか超えたという形ですね。 Senna: なるほど。でもね、あと20点くらいならすぐに超えられるだろうな、という手応えもきっとあったと思いますし、英語の部分に関しても「なんとかなる」という感覚はあったと思います。そこからFrogに相談にも来ていただいて、ワーホリが使えない中で「CICCCに2年間通って、その間でキャリアを作る」というプランを一緒に組み立てた、ということですよね。 Obara: はい。ただ実際の英語は結構苦手で、実践経験もほとんどなかったので……カナダに着いてからはかなり苦労しましたね。 カナダ到着後、コーヒーも注文できない現実 Senna: 実際に渡航するっていう部分に関しては、割とFrogのよくあるパターンで渡航されたってことになったのかなと思うんですが、渡航前の部分、入学までは特に問題なかったですか? Obara: 入学までは特に問題なかったと思いますね。ただ、学校に通い始めてから、英語がとにかく喋れなくて。 Senna: やっぱそうだったんですね。 Obara: リスニングもスピーキングも全然ダメで、コーヒーも注文できないみたいな状態だったんですよ。 Senna: TOEIC 850点持っていてですか? Obara: はい…、今でも鮮明に覚えていますが到着してすぐに注文するスタバの店員さんに、とにかく口から何も出てこなくて。見かねた店員さんが「奥に日本人がいるから」って、奥から日本人のスタッフさんが出てきてそこで『ブラックコーヒーください…』って言うっていう。今思い返すと情けない最初のスタートでした。 Tim Hortonsでのバイト経験 Senna: 英語はその状態からどうやって克服したんですか? Obara: それが、以前FrogのKeiさんが『カフェバイトで英語が超伸びた』って話をしてた動画あったじゃないですか? Senna: ありましたねー。 Obara: それを見て、自分の課題はとにかく英語だと割り切り。とりあえずバイトしないとなと思って、ダウンタウンのカフェにひたすらレジュメ配りをしました。2件面接に行けたのですが、1件は落ちて、1件は試用で体験をさせてもらいました。体験は英語の説明が聞き取れなくて、例えば、牛乳の種類がいろいろあるじゃないですか。ホールミルクとか、アーモンドミルクとか、オートミルクとか。他にも脂肪1%とか2%とか聞き取れなくて、結局全部落ちてしまいました。結構凹みました。それでカフェじゃなくて、カナダの有名なドーナツ屋でTim Hortons(ティムホートン)っていうチェーンがあるんですけど。 Senna: ありますね。 Obara: ある時、積極的に採用しているTim Hortonsを見つけて、2回レジュメを持って行ったところやる気を認めてもらい雇ってもらいました。 Senna: そういう経緯があったんですね。 Obara: それでTim Hortonsで4ヶ月ぐらいバイトしてました。 Senna: すごいですね。実際カフェバイトが英語力向上に役立つというのは知識では知っていても、実行に移す人はなかなかいないです。ちなみに、そのTim Hortonsでのバイトって英語環境だったんですか? Obara: そうですね。お客さんは現地の人とか同僚とのやりとりとか、英語環境でしたね。 Senna: なるほどですね。そういったところで英語力も鍛えつつ、学校の方にも通われていた、ということですよね。 就活50件以上の応募とリセッション Senna: 就職活動自体は、いつ頃から始められたんですか? Obara: 僕は2023年4月ぐらいにカナダに渡ったんですけど、Tim Hortonsで働き始めたのが6月ぐらいかな。それから10月とか11月ぐらいになってから、一旦Tim Hortonsを辞めました。その時周りの方も結構エンジニアの仕事に就き始めている人も出てきていたので「流石にそろそろ英語云々っていうより、早くエンジニアの仕事取らないといけないな」と。レジュメとか、いろいろあると思うんですけど、50件ぐらい応募したかな。 ただ、全然どこにも引っかからなくて。学校が紹介してくれた1つと、あともう1個面接できたところがあったんですけど、そこももちろんダメで。やっぱりうまく自分の良さみたいなのを説明するのが結構大変でした。 Senna: 準備期間が結構あるといいんですけどね。 Obara: 結構ちっちゃいスタートアップであればあるほど、連絡来てから2、3日後とか1週間後とかに「面接やろう」みたいな話になるので、準備が間に合わないというか。そこを含めて単純に準備不足であったと思うんですけど、とにかく全部落ちていました。 Senna: レジュメを50件くらい送った、っていう部分の中には、CICCCの紹介だったりとかも含まれていたってことですよね。就職活動の時期としては、4月に渡航して、6月くらいからTim Hortonsで仕事を始めて、4ヶ月くらいだから10月くらい、その年の冬くらいにはTim Hortonsを辞めて、そこから就活に本腰を入れ出したってことですよね。 Obara: そうですね、はい。 Senna: 2023年の後半頃って言ったら、もうリセッションど真ん中じゃないかっていう、かなり不景気な時期だなと僕は思っているんですが。さっき、周りにも決まり出した方々がいたっていう話もされていたと思うんですけど、とはいえ全体としては、やっぱり周りも含めてそんなに景気よくはなかったんじゃないかなと思うんですが。 Obara: 確かに、景気よくなかったと思いますね。 AWSとの出会いと友人からの情報 Senna: そんな中で、僕は正直、気がついたら「いつの間にかObaraさんがAWS行くらしい」みたいな、寝耳に水みたいな感じで聞いて。「え、どういうこと?」ってなっていたんですけど、その辺はどういう風に決まっていったんですか。 Obara: 年明けの2024年ぐらいに、友達の方にLinkedIn経由で連絡があったっていう話を聞いて。インタビュー記事、他の方のを見ていると、直接連絡が来たっていう話が書いてあるんですけど、自分には残念ながら特に連絡はなくて。その友達の話を聞いて、自分はAmazonのジョブの募集フォームから、自分で応募しましたね。 Senna: でもね、それで実際に受かるわけだから、すごいなとしか思わないんですが。実際に対策だったり、面接に臨むにあたっての準備だったりっていうのは、ご自身一人でやられたんですか? Obara: たまたま同じように受ける人が周りに結構いたので。仲がいい友達と、タイミングもちょうど同じぐらいだったので。自分で、もちろん「どういう面接か」みたいなのは調べるんですけど、自分一人で調べると「方向性間違ってないかな」って不安になると思うんですよね。なので、友達とすり合わせたり、「あまりおかしい方向には行ってないかな」というのをお互いに確かめ合ったりしてました。あと、面接練習も、お互いに片方が面接官になって、もう片方が候補者として、交互にやってみたいなのを練習しましたね。 Senna: いいですね素晴らしい。じゃあ学校でできた繋がりなんかも含めて、AWSのチームにご自身で応募されて、実際に受かったっていうことだと思うんですけど。面接の過程だったりとかって、AWSって結構その辺、秘密主義というか「あんまり言っちゃダメ」みたいな空気感がちょっとあるんですが、話せる範囲で教えてもらうことってできます? どんな流れだったかみたいな。 AWS面接、OLPエピソード30個の準備 Obara: 最初は一次面接で、応募するポジションに近いポジションの人と面接しました。そこで合格したら、次にループ面接っていうのに入るんですけど、一次面接とループ面接の間に、ソフトウェアエンジニアだったら多分コーディング面接みたいなのが入ると思いますね、技術面接みたいなの。それが終わるとループ面接になるんですけど、ループ面接の方はマネージャークラスか、その同等クラスの人が、自分の場合は4人でしたね。4人に面接されて。 自分のカスタマーサポートエンジニアのポジションに関しては、OLPっていう、リーダーシッププリンシパルですね。Amazonのプリンシパルが16個だったかな、あるんですけど、それに沿ったエピソードを準備しないといけないんですね。そのリーダーシッププリンシパルに沿ったエピソードを、自分は30個ぐらい用意していました。 Senna: すごいですね。 Obara: エピソード作りが結構つらいんですけど、もうなんとか、ひねり出すしかないですね。それを何回も何回も友達と壁打ちして、エピソードを熟成させておいて、聞かれたら話す、という形で臨みました。ループ面接は、半分がOLPに沿った行動面の質問、もう半分が技術知識を問うような質問でした。技術側はOSとかネットワークとか、その辺りが中心ですね、質問は。 Senna: ありがとうございます。ちなみにこれ、あれですよね、ジョブチェンジのヤンマーさんのチャンネルの方にもご登場いただいていましたよね。 Obara: そうですね。 Senna: すごいありがとうございます。こんなに詳しく書いてくれてるとは正直思ってもいなくて。バンクーバー組の人たちは、「この人誰?」ってなってたんで。 AWSトロントと日本人コミュニティ Senna: AWSトロントって日本人の人数、多いじゃないですか。Frogにも色々皆さんが何されているのかとかコミュニティのSlackに投稿して欲しいなとは思っているんですがやはりどうしても距離があるのでなかなか難しく。ObaraさんはFrogのSlackにも情報を投稿してくれますよね。本当にありがとうございます。実は結構感謝していまして。 Obara: そうですね。AWSトロントは日本人が多いので、やはりそこでだけ情報が完結しちゃうんですよ。なのでFrogのコミュニティの方に向くエネルギーがなくなっちゃうというか。 Senna: まあそうですよね。ビックテックは特に一つのコミュニティとして強いですし。 Obara: でもやっぱり他の国の人とか見ると、会社の垣根を越えて、その国人達同士でかなり活発に情報共有とかしてるのが普通で、僕もそれを見て何か出来ないかなと、それはでもヤンマーさん(よくFrogでコミュニティ活動をしてくれる方)に感化されて投稿しました。 Senna: ありがとうございます。十分すぎるぐらい今回のインタビューも含めてご貢献いただいているので、言うことないんですけど。 もう少し教えて欲しいのが、インタビューの部分において、2024年2月くらいにジョブサイトの方から応募申し込んで、結構働き出すまでが早かったんですね。 Obara: はい。 1〜2ヶ月の集中準備、面接対策期間 Senna: インタビュー対策に関しては、結局1ヶ月から2ヶ月くらいかけて行っていった感じですかね。 Obara: そうですね。その間は本当にそればっかりやっていて、他のことは全くしてなかったです。 Senna: これなんですよね。実際FrogでAWSの採用説明会を開かせていただいた後に応募する人たちを見てきましたが「絶対この人受かるだろう」と思ってた人が受からなかったんですよ。それで「この人は正直厳しいんじゃないか」と思っていた人が受かったという光景を何度も目にしました。正直その差が何かって言ったら、もう本当に「準備にどれだけ時間かけたか」っていう一点しかないなと思っていてですね。 Obara: そうですね。自分が何をしたのかはどこかでちゃんとお話出来たら良いかもしれないですね。 Senna: トロントのAWSっていうことで、バンクーバーから離れるわけじゃないですか。ご本人としては、バンクーバーからトロントに移るって決まったとき、迷いとか心配事とかはなかったですか? Obara: 働く場所に関しては全く何も懸念はなかったというか、むしろ違う街に行けるのは結構楽しそうだなと思ってました。1つ懸念としては、BCPNPとかは使えなくなるのかなと、今となってはなんですけど、その当時はちょっと考えました。ただ正直、採用されたのが嬉しすぎて、あまり迷いはなかったですね。 Senna: そうですよね。ちなみにどのくらい嬉しかったんですか? やっぱり、50件何十件とレジュメ送って全く見向きもされずに、という状況の中での「Amazon AWS」っていう、いきなりのジャンプアップだったと思うんですが。 Obara: いやー、最初は実感はあまりなかったですね。でも「受かった」と聞いて本当に嬉しくて、言葉にならないくらいでした。 面接経験とFrogメンバーとの繋がり Senna: ちなみに他に受けたところで、面接まで行き着いたことってありましたか? Obara: 応募して面接までいったのは2件ほどあったんですけど、やっぱり落ちた、というのがありました。 Senna: じゃあもう本当に、バンクーバーに渡航して2024年に入ってからは、ほとんどがAWSに入るための対策の時間だったような感じなんですね。トロントの方に移ったのが、4月頃ですか? Obara: そうですね、4月の22日から働き始めましたね。 Senna: Frogのメンバーも、他にもその時期から結構いらっしゃったんですか? Obara: そうですね、Frogからのメンバーだと5人ぐらいいたかな。時期は結構みんなバラバラだったんですけど、数週おきにまた誰か入ってきたり、みたいな感じでした。 AWSでの業務、カスタマーサポートエンジニア Senna: 実際に働き出してからのことも聞いてみたいなと思うんですけど、トロントの方に移住されたのが4月頃ということで、カスタマーサポートエンジニアっていうポジションにあまり馴染みがない方も多いんじゃないかなと思うんですが、話せる範囲で、Obaraさんが最初入ったときにどういう仕事をアサインされて、その後どんな変化があったのか、今に至るまで教えてもらえますか。 Obara: 業務内容としては、自分は今までコードを書くことをやっていたので、インフラをここまでガッツリやるっていうのは初めてで、とにかく最初は学ぶことが多かったですね。半年ぐらいはずっと勉強していました。 Senna: ちなみにカスタマーサポートエンジニアのポジションって、いくつか部署が分かれるじゃないですか。インフラのポジションだったんですか? Obara: 自分はLinuxプロファイルっていう、Linux OS──EC2のLinuxを中心に、その周辺のサービスを担当していました。 Senna: 「EC2ならEC2だけのカスタマーサポート」なのかなと思っていたんですけど、EC2の中でもそういうプロファイル分けがあるんですね。 Obara: はい、EC2に関してはLinuxとWindowsで分かれていますね。 Senna: OSごとに分かれてるんだ。さすが大手は違う。じゃあLinuxの方ということで、そこもインフラの経験がむちゃくちゃあった、という経歴ではないですもんね。 Obara: そうですね、たまたま面接の時に、Linuxの質問に答えられたっぽくて。でも入ったらひたすら勉強でしたね。ただ今は、ある程度自信もついてきたので、かなり貴重な経験でした。やっぱり世界中からインフラの問い合わせが来るので、インフラに関しては世界トップレベルで情報が集まっているんじゃないかなと。 Senna: 素晴らしい。基本の業務としては、世界中の方からいろんな質問をされて、Obaraさんの場合だったらEC2におけるLinux側の質問がたくさん来ると。それに対して回答したり、他のチームに対してその質問を投げたり、その橋渡しをしたり、そんなイメージですかね。 Obara: はい、そうですね。 AWSでのキャリアパス、マネージャーとの壁打ち Senna: 前に説明会でお話を聞かせてもらったときに、AWSのすごいなと思ったところが、ポジションに入るときにご自身のキャリアパスだったりを、マネージャーと最初から壁打ちできるみたいなことをおっしゃっていて。その部分においては、例えばObaraさんご自身も「将来的にどのポジションに移りたい」とか「どういうキャリア積みたい」とかって話されたんですか? Obara: マネージャーが、違うポジションに行くことを結構推奨していて、「どんどんステップアップしていこう」というスタンスなんですよね。どうやったら昇進できるか、どうやったら違うポジションに移動できるかっていうのを、惜しげもなく情報くれるんです。 Senna: 雪村さんですよね。以前お話もさせていただきましたが。 Obara: 雪村さんは日本に移動してました。今は新しいマネージャーです。 Senna: あ、移動したんだ。そうなんですね。じゃあ今、カスタマーサポートエンジニアのポジションで1年半くらい経験積んだんですかね。 Obara: 最初の半年ぐらいは一人立ちするまで、メンターの方に教えてもらって、ひたすらつらい期間でしたね、最初の6ヶ月間は。ついていくのに必死で。その後しばらくは自立するような期間だったのかなと。最近はむしろ少し余裕も出てきて、他の人のサポートをしたりとか、自分のキャリアアップを考えたりとか、そんな感じでしたね。 日本帰国の決断、TAMポジションへ Senna: 今回、日本の方のポジションに変わるって聞いてご連絡いただいたのもあるんですが、そのきっかけとかはあったんですか? Obara: マネージャーの方から、日本のポジションが空いていて募集しているという情報をもらって。自分は永住権を目指していたんですけど、だんだん「ちょっと厳しくなってくるな」ということは感じていて。このまま在籍していれば永住権は取得できる、正直他の人からしたら喉から手が出るほどいいポジションだと思うんですけど、自分のプランとして計算したところだと、あと3年ぐらい働く必要があると思ったんですね。それがちょっと長いなという感覚があって。そんな中で今回いいポジションが空いていたので、応募して、採用という形になりました。 Senna: 素晴らしい。ちなみにこれはどのポジションなんですか? 聞いてもよければ。 Obara: TAMっていう、テクニカルアカウントマネージャーっていうポジションです。 Senna: マネージャーになるんですか、じゃあ。 Obara: これがややこしいんですが、マネージャーではないですね。特定のお客様に寄り添ったサービスを提供するっていうポジションですね。 Senna: そういうポジションがあるんですね。じゃあテクニカルアカウントマネージャーのポジションで、これから日本で働かれるっていうことかなと思いますが、もう来年から日本に帰られるんですか? Obara: もう日本に帰ってきています。 Senna: え?今喋ってるのは日本なんですか? Obara: そうです。 Senna: もう帰ってたのか、知りませんでした(笑) 帰国への想い、海外への情熱と今後 Senna: カナダから日本に帰国するっていう部分における、永住権の部分はもちろん皆の心配事・心残りとしてあるとは思うんですけど、それ以外の部分で、日本に帰ることに関しての不安だったりって何かありました? Obara: 日本に帰ることに関しては、一回日本に帰ってしまうと、またカナダとか海外に出るのって結構エネルギーがいると思うので、若干「海外への挑戦は少し後退したかな」とは思いますね。 Senna: でもね、実際にカナダに渡航もして、学校も通って、AWSで働いていて、これ以上の海外経験がありえるのかっていうくらい、いい経験をされたんじゃないかなと思いますが。なんかまた、どこかのタイミングで海外行ってみたいなっていう感じはありそうですか? Obara: 一旦しばらくは日本で落ち着きたいなとは思ってるんですけど、将来もしITでハイグイになるんだったら、北米かなとは思うんですけど、そこまでの情熱がちょっと……すいません、消えてしまっていて。本当に。最近は、ちょっと東南アジアとか、日本より近くて、でもこれから力をつけていきそうな地域もいいなーって思ったりしてますね。 Senna: そういうことですね。ハイグイに関しては、僕も北米だけだとは思ってないですけどね。東南アジアも含めて、これから盛り上がる国々全部も含めてだなと思っているので。まさか「ブラックコーヒーが頼めない」というレベルからのジャンプアップとは、正直思ってもいなかったので、すごいなとしか思わないんですが。 これから海外を目指す人へのメッセージ Senna: 最後に、もしよければなんですけど、Obaraさんと同じような形でカナダに渡航される方々もたくさんいるんじゃないかなと思うので、何か一言アドバイスみたいなものをもらえると嬉しいなと思います。 Obara: 自分が海外に行って思ったのは、日本にいるときはプライドが邪魔して、あまり大胆な行動ができない人も多いんじゃないかなということです。自分もそうだったんですけど、やっぱり一回海外に来ると、結構「部外者」というか。Frogの仲間とか、学校の仲間とかも、みんな同じような立場なので、ゼロからなんとか頑張ろうというモードに全員がなっているんですよね。それで「目標達成のために何もない所から頑張る」という、すごく貴重な経験ができたなと思っていて。日本で例えばプライドが邪魔している人は、一回それを捨てて、海外に渡った方がいいかなと。 Senna: プライドか。僕はその辺、実は馴染みがなくてですね。どういう感じのプライドなんですか? Obara: やっぱり同じような人と常日頃から比べちゃうじゃないですか。それに日本でずっと培ってきた経験や肩書も捨てられなくなる、そういう所から来るプライドでしょうか。 Senna: なるほど。それらを捨ててゼロから挑戦することが貴重な体験になるという事ですね。 Obara: あと、自分は世の中の「雑音」にすごく弱いんですよ。オーストラリアで、ワーホリで月80万稼いでるみたいなのが地上波のテレビで流れたときがあったじゃないですか。あれがネット上で話題になったと思うんですが、あれでいいのかなって… Frogって、ちゃんとバンクーバーでキャリアを積むための支援をしてるじゃないですか。とりあえずなんとなくワーホリ使って「一旦海外行ってきたぜ」「語学留学してきたぜ」みたいな人を大量に量産する、それが海外挑戦っていうイメージのところが世の中にはあって。自分はそれと一緒にされたくないっていう気持ちがあったのかもしれないですね。 Senna: それは僕もずっと抱いています。間違いないですね。 Obara: あとは僕のようにプログラミングスキルは及第点であり、受験英語をしてきてTOEICスコアもあるけど英会話が自信ない人に向けてよければ、発音練習をして口や舌の筋肉を鍛えることをおすすめします。 Senna: 口や舌の筋肉ですか? Obara: 英語を口に出すのが恥ずかしいことの大きな理由は、発音が合っているか不安なことだと思います。僕みたいにプライドが邪魔してカタカナ英語を話したくない病の人は、遠回りに見えますが口や舌を大きく動かして発音練習をしてみましょう。僕はカナダに来てから「英語耳」という本を毎日近くの公園で見て練習していました。最初は使ったことのない筋肉が動くので不快に感じますが、2ヶ月くらい継続すると自然に口が動くようになってきます。 インタビューを終えて Senna: 今日はありがとうございました。Obaraさんは2025年のCanadian Dreamにもご参加頂けるとのことで、今日の話を聞いてみたい方も沢山いるんじゃないかなと思うので、是非当日はよろしくお願いします! Obara: ありがとうございます。もちろん僕の話で良ければ是非。バンクーバーでお世話になったRyoさんやTomoさん、Hiroshiさんにも会えると思うので、楽しみです。 Senna: またDMの方でやり取りさせていただくので、引き続きよろしくお願いします。 Obara: ありがとうございました。多分気軽にして頂ければと思いますので、いつでも連絡してください。 カナダに渡った当初、英語がほとんど聞き取れず、カフェバイトの面接で連敗し、ミルクの種類すら聞き取れなかったというObaraさん。 そこからAWSトロントでインフラ領域を担当し、世界中から届く問い合わせと向き合うまでになるとは、誰が想像できたでしょうか。 Obaraさんが繰り返し口にしていたのは、 「チャレンジしない後悔だけはしたくなかった」 という言葉でした。 そしてもう一つ、日本ではプライドや周囲の目が挑戦の邪魔をすることがあるけれど、海外に出るとみんなゼロからのスタートで、余計な比較が消える——そんな環境が大きかったとも話してくれました。 今回のインタビューを通して、 海外に出ることが偉いのでも正しいのでもなく、「自分がどう生きたいか」に素直に向き合った人が、環境を選び、人生を組み立てていくという当たり前だけれど難しい事実を改めて感じさせられました。 Obaraさん、インタビューにご協力いただきありがとうございました。そして日本での新しい挑戦、心から応援しています。
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日本で営業からデザイナーへ転身し、カナダでUI/UXデザイナーとして活躍するYunaさんに聞く海外キャリア
今回お話を伺ったのは、日本で営業職からキャリアをスタートし、デザインスクールを経てUI/UXデザイナーへと転身、そしてカナダでの就職を実現したYunaさんです。 学生時代からデザインに関心を持ちながらも、最初は人材会社の営業職に就職。その後「プロダクトを作る側に携わりたい」という思いからデザインの道へ進み、日本ではマネーフォワードでプロダクトデザイナーとして経験を積まれました。さらに海外で働くチャンスを求め、Frogとの出会いをきっかけにカナダへ。 インタビューでは、日本とカナダでのキャリアの積み上げ方の違い、ポートフォリオ作成の工夫、PEO制度を使った就労の実際、そしてアメリカ企業で働くメリット・デメリットなど、現地でしか得られない貴重なお話を伺うことができました。これから海外でのキャリアを目指す方にとって、多くの気づきやヒントが詰まった内容です。 Eri: じゃあ昔からの経歴をお願いします。 Yuna: はい。まず日本で大学を卒業して、新卒ではデザイナーではなくて、人材会社の営業として就職しました。そこでだいたい1年半ほど働きました。 もともとデザインはすごく好きで、学生時代にサッカーの大会のパンフレットやチケットを制作するボランティアのようなことをしていたんです。ただ、グラフィックデザイナーとしてやっていくのは難しいだろうなと感じていたので、全然違う方向で営業職を選びました。 営業職では、フリーランスの方をお客さんに紹介する仕事をしていて、そこでサービスデザイナーやUXデザイナーといったビジネス寄りのデザイナーの方々と出会いました。「こういう仕事があるんだ」と知ったのが転機でしたね。 もともと海外に行きたい気持ちはあったのですが、営業は言葉で勝負しなければならないので海外では難しいと思いました。そこで「手に職をつけたい」と思い、いいタイミングだと思って会社を辞め、日本でデザインスクールに通うことにしました。 デザインスクールでの学習とウェブデザインの仕事 Yuna: その後日本で半年ぐらい学んだ後、デジタルハリウッドに通いました。そこで学んでいるうちに、卒業生の会社にアルバイトとして拾ってもらいました。 最初はデザイナーではなく、WordPressの入力作業のような単純な仕事から始まりました。そのうち少しずつデザインの仕事も任せてもらえるようになり、ワイヤーフレームファイヤーを作ったり、下層ページのデザインを展開したりしました。トップページなど重要な部分は当時の自分にはまだ力不足で任せてもらえませんでしたが、それでも8ヶ月ほどウェブデザインの経験を積みました。 その中で、プロモーションのように短期間で使われるものではなく、長く使われ、改善を重ねて成長していくプロダクト作りに関わりたいと考えるようになりました。それで転職活動を始め、日本でマネーフォワードに入社しました。 入った部署はB2Bで中小企業向けに会計ソフトや給与ソフトなどを開発しているチームでした。そこで初めてプロダクトデザイナーとしてUI/UXの仕事に携わることになりました。それが今から4年ちょっと前のことです。 海外就職への思いとFrogとの出会い Eri: 当時から、いつか海外に行こうと考えていたんですか? Yuna: マネーフォワードに入社した頃は、海外就職なんて考えてもいませんでした。受かると思っていなかった会社にたまたま受かり、ありがたく入社させてもらったという感じでした。 その中で、会社に海外拠点やグループ会社があることを知り、実際にベトナムで開発しているプロダクトに関わる経験をしました。それで海外で働きたいという思いがさらに強くなり、「具体的にどうすれば海外で働けるのか」を考えるようになりました。 イギリスやアメリカの大学院進学も調べましたが、そのタイミングでFrogに出会ったんです。「大学院に行くより費用もかからないし、カナダですぐ働けそう」と思いました。 3年前の夏頃にFrogを知ってから、わずか2〜3ヶ月後には会社に退職を伝えていました。自分にはこの道しかないと思ったんです。 Eri: なるほど。他にもいろんな国の選択肢があったと思いますが、その中でカナダを選んだ理由は? Yuna: どこに行くにもお金がかかりますし、当時ちょうどデジハリの学費を払い終えたばかりで余裕がなかったんです。英語圏で探していたので、カナダは英語圏だし、アメリカやシリコンバレーにも近そうだし…という軽い気持ちでした。 Eri: フィーリング的な選び方だったんですね。 Yuna: そうです。深く考えて「カナダに行きたい」と思っていたわけではなく、英語圏ならどこでもいいという感じでした。 カナダでの学校と就職活動 Eri: カナダに来てすぐに就職活動を始めたんですか?それともまずは学校に? Yuna: 学校に通いました。CICCCに入学して1月から授業が始まりました。その間も日本の仕事を業務委託で少し続けていました。 入学から2〜3ヶ月経ってようやくポートフォリオを作り始めましたが、現地で「カナダの就職は意外と厳しい」という話を聞くようになり、「正攻法だけではなく別の方法で探した方がいいかも」と思うようになりました。 ボランティアから最初の仕事へ Yuna: 最初の仕事は、Vancouver Design Communityというコミュニティイベントでのボランティア活動がきっかけでした。 「ぜひボランティアをさせてください」とお願いして参加していたところ、一緒に活動していた方から「自分の会社で求人があるけどどう?」と声をかけてもらいました。 他にも少し応募はしていたんですが、学校に通っていることもあり、ガンガン応募するよりは、ちょうどパートタイムでいいと言ってもらえたので「じゃあ働きます」と決めました。これがカナダでの一社目の仕事です。 カナダ一社目での経験 Yuna: 一社目は制作会社というか、開発会社のようなデベロップメントスタジオでした。デザイナーは私と、紹介してくれた方の2人だけ。私はUXをメインで担当しました。 そこで4〜5個のプロジェクトに携わりました。例えば、先住民コミュニティのアプリなどカナダらしい案件もありましたし、母親2人で立ち上げた会社の子どもがオンラインセーフティーついて学ぶゲーミフィケーションアプリなどもありました。 日本で働いていたマネーフォワードではBtoBの堅いプロダクトが多かったのですが、この会社ではBtoCやカルチャー的な要素が強いプロジェクトもあり、幅広い経験をさせてもらいました。 カナダでのスキル習得について Eri: カナダに来てからのUX/UIのスキルは、学校や実務を通じて学んだんですか? Yuna: そうですね。ただ正直、学校のカリキュラムはあまり役に立たなかったと思っています。デザイナーを目指す人向けの内容だったので、自分が独学や日本での実務で学んできたことと重なる部分が多かったです。 結局のところ、日本から受けていた仕事や、カナダでの実務の中で失敗を重ねながら学んでいったのが一番大きかったと思います。 ポートフォリオ作成の工夫 Eri: UX/UIデザイナーの就職活動ではポートフォリオがとても大事だと思うんですけど、私自身も苦戦していて…。その中で、Yunaさんがご自身のポートフォリオを作るときに意識したことや気をつけたことはありますか? Yuna: ポートフォリオ…。もう遠い昔のことのような気がします(笑)。正直、私はポートフォリオ作りがすごく苦手で、全然頑張れなくて…。でも意識したことは大きく2つあったかなと思います。 1つ目は、一緒に頑張る仲間を見つけたことです。一人でやるのは本当に大変で、適当に流してしまうこともあると思うので、私は「もくもく会」というものを主催していました。前の会社は金曜日が休みだったので、金曜と土曜の午前中にカフェに集まって、黙々とポートフォリオを作る時間にしました。「今日はこれをやります」と宣言して、みんなで作業するんです。 Eri: 参加していたのはデザイナーさんたちですか? Yuna: そうです、そうです。去年はよく開催していたんですけど、転職してからはあまりできていないんです。 Eri: そうなんですね。もしよかったら、そのもくもく会のグループを教えてほしいです。私も仲間探しに苦戦していて…。同じモチベーションの仲間と取り組めたら、自分ももっと頑張れる気がします。 Yuna: ぜひ!もくもく会のメンバーの一人はカルガリーの会社でインターンが決まったりと、みんな活躍しているので刺激になりますよ。 ポートフォリオ発表会の重要性 Yuna: もう一つ大事なのは、ポートフォリオ発表会のような場を持つことです。 Eri: 確かに。作っても、見せる相手がいないと完成しないですよね。 Yuna: そうなんです。ポートフォリオって、見せないと永遠に完成しないんです。だから、「プレゼンから始めてもいい」と思っていて。実際に人に見せる練習をすることで、どんな情報が必要で、何を削るべきかがクリアになっていくと思います。 友達とそういう発表の場を作ったりしながら、自分のポートフォリオを仕上げていきました。 それから、ポートフォリオも自分のプロダクトのひとつだと思っています。自分をどう見せたいか、どう売りたいかというブランディングをしっかり考えた上で、作品を選ぶことが大事です。「なぜこのデザインにしたのか?」と聞かれたときにちゃんと答えられるように準備することが、他の人と差をつけるポイントだと思います。 Eri: なるほど。ありがとうございます。 現在の仕事について Eri: では、現在のお仕事についても詳しく伺いたいです。答えられる範囲で大丈夫なので、教えていただけますか? Yuna: 今はアメリカ本社のヘルスケア企業で働いています。ただ、拠点はアメリカにあるものの、社員はヨーロッパやオーストラリア、北米など世界各地にいて、完全なリモートファーストの会社です。 その会社が持っているのは、咳の回数をカウントできる技術なんです。例えば「ゴホゴホ」という咳をAIで検知して回数を数える。それを応用して、薬を使わずに慢性的な咳を行動療法で治療するアプリを開発しています。 私はそのアプリの日本向けプロダクトに携わっています。会社は日本の製薬会社とパートナーシップを結んでいるので、社内は英語でやり取りしながら、最終的には日本語にローカライズされた製品を作っています。 Eri: すごく面白いですね!そんな技術を使ったアプリがあるなんて初めて聞きました。 日本とアメリカ企業の働き方の違い Eri: 実際に働いてみて、日本でのお仕事との違いや、驚いたことはありますか? Yuna: 驚いたこと…そうですね。個人的には、日本の事業会社とアメリカの事業会社では働き方に大きな違いはないと感じています。それよりも、事業会社と制作会社の違いの方がデザインの観点では大きいと思います。 日本と北米の企業の違いでいうと、働き方の自由度は大きく違います。特に今の会社はかなり緩くて、どこから働いてもOKなんです。 Eri: 場所は本当に関係ないんですか? Yuna: そうです。 Eri: 例えば日本にいても働ける? Yuna: 時差の関係でアジアから働くのは結構大変なんです。日本の朝早くに対応しないといけないので。でも2〜3週間メキシコでワーケーションはしてました。そういうふうに、忙しいながらも自分の望むライフスタイルを実現できるのは日本と大きな違いですね。 日本だと「8時間しっかり働く」というルールが厳しくありますが、今の会社はもっと自由で、その点はとても働きやすいです。 PEO制度について Eri: 今働かれているのは、PEOという制度を使われていると思います。それについて質問させてください。この制度を私自身も知らなかったのですが、知ったきっかけや使うに至った経緯を教えていただけますか? Yuna: 何がきっかけだったかな…。日本にはあまり帰りたくないという思いが強くて、来た当初からFrogの藤井さんに永住権を取るまでのプランをかなり細かく見てもらっていました。前の会社はBC(ブリティッシュコロンビア州)に拠点がある会社だったので、BCPNP Techを使って取ろうと思っていたんですが、レイオフがあって、さらにBCPNP Tech自体も難しくなってしまって。「どうしようかな」と考えていたんです。 Yuna: 今の会社に入るときは、まだコープビザの期間中だったので(PEOのことは)特に相談していませんでしたが、ビザ切り替えのタイミングで「こういう制度があって、カナダに住みたいと思っている」と会社に相談しました。そうしたら、とても前向きに対応してもらえることになって、そのタイミングで進めようと思いました。 Yuna: たぶん、自分のステータスが変わるたびに藤井さんに相談しています。「これ、どうしたらいいですか?」「次はどんな手を打てばいいですか?」という感じで。その流れの中でPEOを教えてもらいました。使おうと思った背景には、会社がアメリカ本社であることと、カナダの職歴が貯まらない問題がありました。カナダにいたい思いがあるので、まずは最初の数ヶ月でパフォーマンスを出し、PEOとして会社にお願いして対応してもらえるようにした、という感じです。 Eri: 知らないだけで、そういう制度がいろいろあるんですね。だからこそ、自分の情報をアップデートしていくのが大事なんだなと。 Yuna: そうですね。Frogさんにちょこちょこ相談するのが一番確実だと思います。ビザ制度は変わっていくので、「生活がこう変わった」「今こういう仕事をしているが、どうするのがいいか」と相談すると、気軽に対応してもらえるはずです。 カナダ在住でアメリカ企業で働くメリット・デメリット Eri: なるほど。カナダにいながらアメリカ企業で働くスタイルには、メリットやデメリットはありますか? Yuna: あると思います。会社にもよりますが、私の場合はカナダ在住・アメリカ本社勤務で、会社にカナダの拠点がないため、アメリカの会社に直接、業務委託(フリーランス)として雇われています。なので支払いはUSドルでした。これはPEO導入前の一番のメリットでしたね。 Eri: そう、やっぱり全然違いますよね。 Yuna: それ以外は「すごく良い点がたくさん」というほどではないかもしれません。それに、カナダに法人がない状態で採用しているアメリカ企業は、そこまで多くない印象です。多くの会社は税務や雇用管理の観点からカナダに拠点を持っています。うちの会社は小さくはないのですが、その意味で一般化しづらいところもあり、あまり役立つことを言えないかもしれません。 Eri: なるほど。カナダもアメリカも、そんな感じですかね。 Yuna: 個人的に思うのは、「アメリカ人はよく働く」ということ。肌感ですが、本当によく働く。休日や時間よりパフォーマンス主義というか。カナダの会社で働く良さも感じますし、アメリカの会社で働く違いも実感しています。 Eri: そうなんですね。北米で一括りに考えがちですが、違いがありますね。 これからのキャリアについて Eri: これからのキャリアで、目指していることややってみたいことはありますか? Yuna: そうですね、今はすごく悩んでいる最中です。少し脱線しますが、AIの登場でUIを作ること自体はだいぶ簡単になると思っています。プロダクトデザイナーの仕事は幅が広いので、リサーチ、要件定義、サービスデザイン(デジタルの外側も含む体験設計)、デザインシステム構築など、何でも屋になりがちだと感じています。 Yuna: まだ「こうしたい」と決め切れてはいませんが、AIがあるからこそ、“作る” ことに専念するより、何を・誰のために作るか/どんなコンセプトで作るかといった上流に寄りたい気持ちが強いです。機能はどの会社でも作れるけれど、コンセプトがなければ機能は決められない。なので、プロダクトマネジメントやコンセプトメイキングの方向でキャリアを築けるといいのかな、と。 Yuna: とはいえ今の仕事は楽しいです。スタートアップなので、会社やチームに足りないところを積極的に埋める動きも好きです。その一方で、今後自分は何を専門にしていくのかは、そろそろ決めていきたいと思っています。 Eri: わかりました。ありがとうございます。 海外就職を考えている人へのアドバイス Eri: 最後に、カナダに限らず留学や海外就職を考えている人へアドバイスをお願いします。 Yuna: 「行きたい」と思ったときに行くのがいいと思います。「行きたい」と思った瞬間が一番エネルギーがある。海外へ移る、学校へ行く、仕事をするのはすごくエネルギーが要ること。綿密な計画は必要ですが、まずは直感や強い“やりたい”の気持ちを大事にしてほしいです。 Yuna: もちろん大変な時期はあります。人によっては、「デザイナーは稼げそうだから」「エンジニアは稼げそうだから」という理由で選ぶこともあるけれど、今のカナダの状況だと、それだとしんどくて続かないかもしれません。「どうしてもこの仕事をやってみたい」という気持ちがある方が、難しい局面でも踏ん張れる。私自身も“やりたい”を信じて乗り越えてきたと感じています。 Eri: 本当に興味深いお話でした。ありがとうございます。 Yunaさんのインタビューを通して印象的だったのは、「やりたい」という直感やエネルギーを信じて行動に移してきた姿勢です。営業職からデザイナーへ、そして日本から海外へと大きな転換を重ねるなかで、その選択の裏には必ず「本当にやりたい」という強い気持ちがありました。 また、ポートフォリオ作成における仲間づくりや発表会、さらにはカナダでのキャリア構築におけるコネクションの重要性など、実践的なアドバイスが随所にちりばめられていました。特に「PEO制度を活用してアメリカ企業に勤めながらカナダに在住する」という実体験は、今後の働き方を考える上で非常にユニークで参考になる事例です。 最後にYunaさんは「やった方がいいではなく、やりたいを信じて動くことが大事」と語ってくれました。海外就職やキャリアチェンジは多くのエネルギーを必要としますが、その根底に「やりたい」という気持ちがあれば、困難を乗り越える力に変わるのだと強く感じました。
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