お笑い芸人から海外でエンジニアに!業界未経験から前代未聞の挑戦を成功させたフロントエンドエンジニアのShotaさん
今回は日本で吉本芸人として活動された後、スーパー銭湯のマネージャー、ウェブ制作会社でのアルバイトなどを経て、バンクーバーのスタートアップにフロントエンドエンジニアとして見事就職、移民申請にまで漕ぎつけたという超異色の経歴を持つShotaさんにお話を伺いました。
30代で未経験ながら独学でウェブ制作を学ばれ、奥様、猫と共にバンクーバーへと渡り、見事就職を果たされたという経験は、カナダに留学、就職を目指したいという未経験者、初心者の方々にとってとてもよい学びになるのではと思います。それではどうぞお楽しみください。
ウェブ制作に出会うまで
Yutaka:キャリアはどこからスタートしているんでしょうか?
Shota:人に言えるようなキャリアは積んでないので言いにくいんですけど、高校卒業後、大学に入ったんですが、大学生活が思い描いていたものと違い、大学に所属しながらNSCという吉本興業の養成所に入りました。ダブルスクールという状態でしたが、最初の1年間は吉本の養成所にだけ通い、1年後に大学に復学しフリーで活動していました。
Yutaka:フリーで活動というはお笑い芸人として活動していたということですか?
Shota:そうですね。足掛け9年で20代ほぼ全部を吉本芸人の活動に費やしました。27、8歳になった時、「あーこれは絶対に売れないな」という現実をひしひしと感じるようになってそろそろ生き方を変えないといけないなと思い芸人を辞めてアメリカに1年ほど遊びに行きました。
Yutaka:アメリカには伝手とかあったんでしょうか?
Shota:アメリカには妹が留学していたので、そこへ遊びに行っていただけなんですが、特に何もしてなかったですね。その時英語をもっと勉強していたら今もっと楽なんですけどね。(笑)
Yutaka:アメリカ滞在時に何か印象に残ったことはあったのでしょうか?
Shota:芸人をやってた時は、海外や英語には一切興味なかったんですけど、実際行ってみて「あ、何か住めるな」というような実感はありました。海外に出ることによって「海外は一つの選択肢としてあり得るな」と思うようになりました。
Yutaka:海外は実際に行ってみるとやっぱり全然違いますよね。
Shota:カルチャーショックも多少はありつつも、そこまで怖がる必要はないと実感できました。日本に帰国してからは、奥さんとももう長く付き合っていたので、ちゃんと仕事をしようと決め、派遣などの仕事を経て最終的にホテルとスーパー銭湯を経営する会社で、5、6年マネージメントや経営に携わらせてもらいました。そこが社員としてのキャリアの最初でしたね。
Yutaka:そこの会社では最初からマネージメントに関わっていたんですか?
Shota:最初はもちろん一番下のポジションからのスタートでしたが、最終的には人事、財務、店舗管理まで任されるようになりました。
Yutaka:そこでの経営の経験を生かして自分で何かやろうという方向性はあったのでしょうか?
Shota:そうですね。独立したいという気持ちはすごくあったんですけど、自分の性格的に店を構えて場所に縛られて仕事をするというのが耐えられなくて、場所に捕らわれず自由にできる仕事はないかなって探していたところ、エンジニアになるのがいいのではないかと思うようになりました。
独学でWordPressサイト構築。ネットショップを運営
Yutaka:マネージャーをされていた会社を辞めてからプログラミングを勉強し始めたということですか?
Shota:そうですね。その会社を辞めて、自分でWordPressでサイトを作り自転車のユニフォームの輸入販売を始めたんですよ。
Yutaka:WordPressでのサイト構築はどのように学ばれたんでしょうか?
Shota:当時はHTMLも書けないレベルだったのですが、ネットで調べながら何とか構築できました。WordPressにショッピングカートのプラグインをインストールして使ってました。その時、ショップ運営よりもWordPressでサイトを作っている方が楽しいなと思うようになりました。(笑)それが第一のモチベーションでした。運営の方を頑張るよりも技術の方が面白くなってしまい、気が付いたらずっとサイト構築に時間をかけ、常にサイトをリニューアルしたりしていました。
Yutaka:その時点でHTML、CSSあとは簡単なPHPを組めるようになったのでしょうか?
Shota:当時理解できていたのはHTML、CSSぐらいですね。
飲食店とウェブ制作会社のダブルワークで経験を積む
Yutaka:そこからIT系の会社に就職されたのでしょうか?
Shota:そうです。当時、友達が開いた飲食店で夜の時間帯だけ週6、7くらい手伝っていました。そのお店で働きながら昼間働けるIT企業はないかと探し始めました。僕は当時年齢が33、4で未経験だったのですが、もちろん雇ってくれる会社なんてなかなかないですよね?
Yutaka:結構難しいでしょうね。
Shota:そんな初心者のおっさん誰も欲しくないと思うし、それは分かってたのでとりあえず履歴書を送りまくったら、1社だけ「アルバイトだったらいいよ」と言ってくれる会社があって採用されました。そこは、WordPressで企業サイト制作を請け負っている会社でした。それから昼間はウェブ制作、夜は飲食店というダブルワークを大体1年続けました。
Yutaka:エンジニアとしてのスタートは33、4歳からということなんですね。
Shota:エンジニアと呼べるのか分かりませんが、本当に簡単なホームページの更新からのスタートでした。
Yutaka:そこのアルバイトとして入った会社ではどのような技術を学んだのでしょうか?
Shota:特に新しい技術などはなく、独学の確認作業程度でした。お客さんのウェブサイトの更新作業の効率化などは勉強になりましたが、特に技術の勉強はしていませでした。
Yutaka:そこの会社から別の会社にステップアップしていったんでしょうか?
Shota:いえ、その会社を辞めてカナダに来ました。カレッジへ行った一年ですごい技術力は伸びたと思います。
Yutaka:え?! そこからいきなりカナダに留学されたんですか?それで一年で就職されたということは、すごく伸びたんですね。
Shota:そうですね。セナさんのバンクーバーのうぇぶ屋を見たのがきっかけでFrogの説明会に参加させていただきました。
Yutaka:カナダ渡航前の時点でのプログラミングの学習や実践経験はあったんでしょうか?
Shota:JavaScriptについては、アニメーションのライブラリーを入れるぐらいしかできなくて、プログラミングとは言えないですね。当時はHTML、CSSでカンプ通りにレスポンシブで作り上げるというのはできていたと思います。
Yutaka:そういう基礎があるかないかでだいぶ違うかなと思います。私もフリーランスで3年ほどコーダーを経験して審美眼が結構鍛えられてそれが今の会社でも評価されています。
カナダへの留学を決めたきっかけ
Yutaka:国内でステップアップする選択肢もあったとも思うのですが、どうして海外を目指したのでしょうか?
Shota:一番はうちの奥様が海外に住んでみたいと言っていたからですね。
Yutaka:実は私も同じでした(笑)私の妻が「カナダに移民できたらいいね」と言い始めたのがきっかけでした。
Shota:なるほど。でもそれがなかったらなかなか奥様を連れてくるというのは難しいですよね。
Yutaka:そうですね。それは本当にそう思います。
Shota:たぶん彼女としては、「住めたらいいよねー」程度の願望だったのだと思いますけど。
Yutaka:そんなささやかな奥様の願望を一生懸命叶えたShotaさんはカッコいいですね。
Shota:当時絶対エンジニアにはなりたいと思っていたのですが、そのための勉強をするのであれば日本でも海外でも変わらないと思ったので決断しました。
Yutaka:きっかけは奥様の一言だったとしてもShotaさん自身の中にも挑戦してみたいというモチベーションはあったわけですね。
Shota:そうですね。30歳になって自分の人生どうしようかといろいろ悩んだりしたのですが、エンジニアになれて英語が話せれば世界中どこでも自由に働けると思うようになりました。それまではジェネラリストを目指してたんですけど。
Yutaka:そうですよね。キャリアの一番最初の会社では人事、会計、経営にも関わっていろいろな経験をされていました。
Shota:当時マネージメント、経営をやりたいとは思っていたんですけど、これからは何かの分野に秀でた、尖ったものがないと厳しい時代になるのではないかと思うようになりました。
Yutaka:私自身も正に同じように考えてエンジニアを目指すようになりました。手に職があれば環境が変化しようが最低限食べていけるだけの仕事はあるだろうと思ったわけです。
Shota:そうですね。それからFrogに連絡をとり、最終的にセナさんにお会いして、「僕の年齢でも大丈夫ですか?」と質問をしたら、「いやー、全然大丈夫ですよ」と返事をいただきました。本当かどうか知らなかったですけど(笑)。セナさんにはいろいろなプランがあったり考えがあっての回答だったと思うんですけど、それで僕はカナダへの渡航を決意しました。
カナダ渡航前の英語力
Yutaka:カナダ渡航前の英語のレベルはどうでしたか?
Shota:全然ダメでしたね。(笑)
Yutaka:今バンクーバーで働いているとなると、業務上のコミュニケーションが最低限できないと難しいですよね? カナダ渡航後にそのレベルまでの英語力を身に着けていったのだと思いますが、カナダに来るにあたって、英語の準備は何かしていましたか?
Shota:カナダ渡航の2、3か月前からTOEICの勉強を始めて、DMM英会話もその当時からやり始めましたが、真剣にはやってなかったですね。(笑)カナダに来てからリスニングはかなり上達したと思いますが、それでもやっぱり毎日コミュニケーションの面で苦労することはあります。
奥様、猫と共にバンクーバーへ
Yutaka:奥様と一緒にバンクーバーへ来られたのですか?
Shota:そうです。奥さんと猫ですね。2人と1匹で来ました。猫もいるので移動はかなりストレスでした。空港で検査があったりなど、気軽に帰国はできないです。バンクーバーに来る4か月くらい前から注射を打ったり採血検査などが必要だったので結構大変でした。
カレッジでの様子
Yutaka:どちらのカレッジに通われてたんでしょうか?
Shota:CICCCですね。
Yutaka:当時の同級生の中で誰かFrogでインタビューされた方っていますか?
Shota:同級生ではまだいらっしゃらないと思います。Shoくんは知ってますか?
Yutaka:営業からフロントエンドエンジニアに転身された方ですよね。
Shota:そうです。あの人が一つ上の代ですね。一つ下の代ではRyoくんとか、Koheiくんがいますね。
Yutaka:前回インタビューされた方々ですね。
Shota:僕はその間の代になります。
Yutaka:実際カレッジに通われてどうでしたか?
Shota:僕はめちゃくちゃよかったですね。特に担当の先生がすごくよかったです。カレッジでは、ウェブコースとモバイルコースの2つのコースがあり、僕はウェブコースを選択するつもりでしたが、その先生がモバイルコースを教えるという話を聞き、結局モバイルコースでプログラミング基礎、アルゴリズム、アプリ開発などを1年かけて学びました。
Yutaka:1年学業、1年コープのコースだったのでしょうか?
Shota:そうです。1年目は覚えることが多すぎて、なかなか大変でした。当時はGitすらあまりよく分かってない状態でしたし、HTML、CSSが多少分かる程度でしたから。プログラミング自体ほぼ初めての体験で大変だったのですが、実は同級生が皆、3年から5年くらいの経験者ばっかりだったんですよ。
Yutaka:分からない所は、同級生に聞けたりしたんじゃないですか?
Shota:もう本当にそうでした。一人ずば抜けておじさんで初心者だったんですけど、その中で「すみません、教えて下さい」って言いながら何とか続けていくことができました。僕いつも運がすごくいいんですよね。
Yutaka:そこで「運がいい」と思って前向きに取り組めるというのも一つの才能かもしれないですね。
Shota:そうですね。今まであんまり不幸な目に遭ったことがないと感じているんですけど、確かにこう思えるのは才能だったのかもしれないですね。
Yutaka:ネガティブな人はどんな環境でもネガティブな発想になりがちでそれで自滅しがちですし。
Shota:奥様曰く、僕はスーパーポジティブらしいです。(笑)
一年間で学んだ言語、技術
Yutaka:具体的にはどのようなカリキュラムだったのでしょうか?
Shota:言語的には最初の3、4か月でJavaを学びました。その後、C言語が1か月、次にObjective-Cも1か月くらい勉強しました。次に、Swiftと続きました。
Yutaka:結構広範囲な技術を1年という短期間で学ばれて、実際のアプリ開発も経験されたのでしょうか?
Shota:JavaのコースではJavaFXを使ってデスクトップアプリを作りました。その後に、Androidアプリ開発のコースが2か月くらいあって、そこでAndroidアプリを一つ作りました。次のSwiftの授業の終わりに、iOSアプリを自分一人で開発してローンチしました。
Yutaka:最後のiOSアプリ開発の課題ですが、全員が各々個人で作ってリリースするというものなのでしょうか?
Shota:グループでも個人でもいいから何か一つiOSアプリを作りなさいという課題でした。いわば卒業制作みたいなものですね。先生に助けてもらいながらも、僕は何とか一人で企画、デザインから実装、最後のローンチまでやりきりました。iOSなので言語はSwiftだったのですが、カレッジで一番最初に学んだJavaで得た内容がすごく助けになりました。Javaの後に学んだ言語の学習にも役立ちましたね。
未経験から挫折せずにプログラミングを学べた秘訣
Yutaka:プログラミングを学んだことがない状態で、カレッジでJavaを最初に勉強されたということですが実際どうでしたか?
Shota:最初はもう全然何を言っているのか分からなかったですね。(笑)
Yutaka:そこでどうやって食らいついて行ったんでしょうか?
Shota:とりあえず日本の書籍をKindleで買いあさって結構読みましたね。分からないことがあったら、同級生に聞いたり自分でも調べたり、という繰り返しでした。最初の3か月、4か月はめっちゃしんどかったですね。
Yutaka:そういった中で「分かったぞ!」みたいなブレイクスルーはあったのでしょうか?
Shota:その都度その都度、「分かってきた」という実感がありました。結局それが楽しくて続けられたのかなと思います。
Yutaka:その繰り返しで最終的には自分一人でSwiftでiOSアプリを作れるところまで行けたと。
Shota:そうですね。結局Swiftは今の仕事では使ってないんですけど、個人でのアプリ制作の過程で学べたプログラミングのアイディアが今でもすごく役に立ってます。
就職活動で挫折するもReactに勝機を見出す
Yutaka:仕事を探し始められたのはいつ頃からだったんでしょうか?
Shota:卒業が8月の終わりだったんですが、ギリギリまで卒業制作に追われてて全く就職活動はできなかったので、実際に始めたのが9月に入ってからですかね。
Yutaka:コープが9月から開始ということだったんでしょうか?
Shota:そうですね。
Yutaka:その時点で残り1年のビザだったっていうことですよね。
Shota:そうです。ワーホリがなかったので。
Yutaka:そうそう、自分もワーホリなかった。(笑)
Shota:辛いですよね。ワーホリないって。(笑)年齢のビハインドは抱えつつ何とか頑張るという状況でした。
Yutaka:仕事探しなのですが、ある程度ポジションは絞って探されました?
Shota:最初はiOSに絞って探しましたけど、iOSは求人数が少ない上に経験を求められるので、ジュニアレベルのエンジニアを募集している会社はほぼなかったです。全部で40社くらいにレジュメを送り切って弾切れになってしまい、このままではまずいと窮地に立たされました。本来は8月に卒業制作を提出した時点でカレッジでの一年間のカリキュラムは終了なのですが、7月からは僕らの後輩たちがReactの授業を受け始めていました。その授業にもぐりこんで授業を受けさせてもらうようになりました。(笑)もちろん、しっかりとカレッジ側には許可を取って一番前の席で一番真剣に授業を受けていました。(笑)
Yutaka:運と行動力がすごいですね。
Shota:Reactの授業はトータルで一か月半くらいだったのですが、7月の後半から授業が始まっていたので、その途中から参加したということですね。Reactの勉強ができて、「ウェブでも最悪いけるな」と実感できるようになりました。
React Native Developerとして就職活動再開
Yutaka:それからは、Web Developerのお仕事を探されたんですか?
Shota:そうです。HidetoさんにReactで作ったポートフォリオを見てもらったりしたのですが、「React Developerと名乗った方がいい」とアドバイスをもらいました。レジュメやポートフォリオにも書いて、ウェブ会社に応募しまくりました。
Yutaka:レジュメは何社くらいに送ったのでしょうか?
Shota:80社前後ですね。そのうち返信があったのが11社でした。
Yutaka:やっぱり最初は電話面接だったのでしょうか?
Shota:そうです。応募しても基本的に返信がないのですが、電話インタビューを受けたのが6社で、さらに次のコーディングインタビューに行けたのが2社でした。
Yutaka:コーディングインタビューはオンラインで実施しましたか?それともオンサイトで?
Shota:オンサイトでのインタビューでした。
Yutaka:面接時コロナの流行はまだ始まってなかったですよね。
Shota:まだでしたね。2019年9月ですからコロナの前年ですね。
Yutaka:オンサイトでのコーディングインタビューですが、実際どのような形式で行われたんでしょうか?
Shota:僕の場合は、喫茶店でのインタビューでした。その会社に結局採用されたのですが、当時オフィスがまだないスタートアップで、喫茶店に自分のパソコンを持って行ってコーディングインタビューを受けました。GitHub上に上がっている練習問題をPullして解くというものでした。
Yutaka:Gitを使った開発プロセスの基本がしっかりできるのかも見られたのだと思いますが、最後にリモートリポジトリにPushして提出という流れだったのでしょうか。
Shota:そうですね。
Yutaka:どんな問題が出ましたか?
Shota:Reactの問題がメインでした。Reactの使い方から、開発途中のプロジェクトの修正、あとはNode.jsを使った簡単なAPIの作成が出題されました。
Yutaka:バックエンドの理解度とかも見られたんですね。
Shota:そうですね。バックエンドに対する基本的な理解度を測るテストだったと思います。Reactを勉強した時に、Node.jsの使い方やExpress使ったAPIの作成は一通り経験していたのでその問題にも何とか対応することができました。
Yutaka:アルゴリズムに関する問題は出ましたか?
Shota:他社での面接も含めて出なかったですね。僕と同じようにウェブ系の会社を受けた同級生もいましたが、ほとんどアルゴリズムの問題は出てないと聞いています。バックエンドポジションに応募した人、大きな会社に面接に行った人には出題されていた印象です。
Yutaka:他の同級生たちと就職情報を共有してたんですか?
Shota:もちろんそうです。どこの会社を受けたとか、いろいろ話しました。
Yutaka:ライバルであり仲間であり、という関係なのでしょうか?
Shota:そうですね。同じ会社にも応募したこともあるし、完全にライバルであるはずなんですが、どっちかが受かればいいんじゃないかという感覚でした。
ゲーマー同士を繋げるマッチングアプリ開発運営を手がけるスタートアップへ就職
Yutaka:最終的に採用された会社での採用は、就活開始からどのくらいで決まったのでしょうか?
Shota:一か月ちょっとですね。これも運がいいことに、知り合いの知り合い経由で紹介された会社で、周りの同級生と比べてもかなり早い時期に就職が決まりました。
Yutaka:その会社はどんな会社なんですか?
Shota:Sherwaという3人のブラジル人が始めた会社ですね。僕が担当しているのは、ゲーマー同士をマッチングするプラットフォームアプリでiOS、Androidともに対応しています。ゲームの上手な人がマネタイズすることができるプラットフォームで、ゲームプレイ動画配信や、一時間チューターとして初心者と一緒にプレイができます。ゲームの上級者と、ゲームの腕を上達させたい初心者の人とが簡単に繋がることができるプラットフォームを目指しています。
Yutaka:なるほど。Shotaさん以外でフロントエンドは何人いるんでしょうか?
Shota:僕ともう一人、日本人の方の二人で対応しています。
Yutaka:会社は今何人くらいいるんですか?
Shota:今はもう20人くらいになりましたね。
Yutaka:この1年で結構大きくなったんですね。
Shota:入社当初はCEOと僕、そして日本人のフロントエンドエンジニア、シニアエンジニアの合計4人しかいませんでした。ブラジルにもオフィスがあり、そこには、バックエンドエンジニアが数人働いていました。会社が立ち上がったばかりの初期メンバーとして携わらせてもらって楽しく働けています。
面接では英語でのコミュニケーション力が問われる
Yutaka:面接時点での英語のレベルはどんな感じだったんですか?
Shota:かなりしんどかったと思います。今でもそうですけど。(笑)
Yutaka:Shotaさん以外にもたくさんの応募者があったと思うんですけど、面接官は何を評価したのでしょうか?
Shota:一緒に働けるかどうかという人柄もそうですし、以前コメディアンをやっていたという経歴を面白がってくれたりはしましたが、実際それらはごく小さな要素だと思います。
Yutaka:やっぱり最低限業務上のコミュニケーションができるかどうかという所を見てますか?
Shota:そうですね。お互いに言っていることは大体分かるなぐらいのコミュニケーションはとれていたと思います。問題は全部で5、6問あったんですけど、不明点を少し質問する程度のコミュニケーションでした。それ以外は黙々とコードを書いていました。
Yutaka:なるほど。回答内容も含めて、その一連のコミュニケーションがよくできていたんでしょうね。
Shota:そうだと思いますが、実際英語で一番苦しみましたね。周りを見ても、英語のコミュニケーションができていた人は受かってましたけど、技術がよくても英語ができない人は皆落ちていました。やっぱり英語でのコミュニケーション能力はすごく大事だなと思いましたね。
Yutaka:英語の面接対策は何かしてたんでしょうか?
Shota:電話面接で落ちたら、その時聞かれた質問と回答を書き出して暗唱してました。結局聞かれることは毎回違うので毎回パニックになってましたけど。(笑)
Yutaka:でも電話面接の度に繰り返し練習していたら、面接でよく使う言い回しとか覚えてきますよね。
Shota:そうです。なので常に改善はしていったのだと思います。
日本との職場環境の違い
Yutaka:日本とバンクーバーでの違いは何かありましたか?
Shota:周りの話を聞いてもそうなのですが、だいぶ自由に働ける環境だと思います。服装や出勤時間にしてもある程度自由ですし、ヘッドホンしながらコードを書いて、ご飯行きたいときに行くことができるので、かなり自由だと思います。
Yutaka:職場でのカルチャーショックは何かありましたか?
Shota:CEO含めた全社員がフラットな関係性ということですかね。CEOやシニアエンジニアに気を遣わなければいけない雰囲気は全くなくて、「Hey Luiz!」とか気楽に声を掛けれます。僕の性格上そっちの方が合ってますね。その代わり、深夜や朝方までコードを書くことも何回か経験しました。必ずしも全てに満足しているわけではないですが、全体的には楽しく仕事できています。
Yutaka:スタートアップでチームが小さいと一人一人の責任は大きくなりますよね。フロントエンドがShotaさん含めて2人体制ということで担当する部分がかなり広範囲なのだと思います。実は私も移民する前に働いていた会社がスタートアップで同じような状況でした。移民サポートとトレードオフみたいな関係で何とかやっていました。
移民申請、今後の目標
Yutaka:今、BC PNPで移民申請をされているんでしたっけ?
Shota:そうです。
Yutaka:PR(Permanent Resident)取れたら次の目標は何かありますか?
Shota:もう3年も日本に帰ってないので、一回日本に帰りたいですね。ウェブの技術さえあればどこでも生きていけるという自信も少し出てきたので、カナダに固執せずに、次はアジア圏とか別の国に行く選択もあり得ると思います。
Yutaka:そうですね。その実感はすごく大きいですよね。
Shota:カナダに残るのであれば、もっとよい給料の会社に転職してもうちょっといい暮らしができるように頑張っていきたいのと、あとは子供ですかね。カナダのパスポートをあげれたら最高かなと思います。
これから留学、海外就職を目指す方へのアドバイス
Yutaka:今後留学や海外就職を考えている人に対して何かアドバイスがあればお願いします。
Shota:僕は学校でプログラミングの基礎を習得できたのも、就職が決まったのも運がよかったからだと思っているので、人にアドバイスってなかなか難しいのですが、カナダでは年齢を感じることがほとんどないので、何歳からでも頑張れば何とかなるということは伝えたいですね。カナダでの就職活動で年齢を聞かれてたこともないですし。もちろん、若いうちに挑戦できるんだったらやった方がいいですね。
Yutaka:私も38歳で留学、就職できたのでそれは本当によく分かります。
Shota:あと奥さんの助けがあったので何とか頑張ることができました。それと英語は本当に大事です。カレッジに通っている人たちの中に経験者は結構いたんですが、英語力の問題で就職までたどり着けない人が多かった印象です。今後留学に来る人たちは留学前に英語を頑張って勉強するに越したことはないと思います。
Yutaka:先ほどの就活のお話の中でも英語が大切だと言っていましたが本当にそう思います。技術力同様、就職面接のみならず、実務をこなす上でも欠くことのできないものだと私も日々実感しています。今回は貴重なお話、ありがとうございました。
今回、Shotaさんへのインタビュー中、何度も驚かされました。芸人をされていた過去、マネージャーまで登り詰めながらのウェブへの方向転換、ウェブ制作経験わずか1年でカナダ留学、就職活動で挫折するも最終的には移民申請をサポートできる会社へ就職など、難しい環境に置かれたとしても前を向き「自分には何ができるのか」と考え行動に移していくバイタリティーに溢れています。プログラミング自体ほぼ初めての状態からカレッジに通われたわけですが、わずか1年の学習で海外就職を達成されたのは、やはりこの行動力によるところが大きかったのではと思います。
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