文系から大手、そして海外へ。コードを書き続けた先にキャリアの自由を手に入れたYamatoさん

今回は、日本で大手企業・日立からキャリアをスタートさせ、Web系ベンチャー、医療系スタートアップを経て、現在はカナダ・オタワのヘルステック企業Fullscriptでフルスタックエンジニアとして活躍されているYamatoさんにお話を伺いました。
文系出身ながら、社会人になってからエンジニアリングの世界に飛び込み、「コードを書き続けたい」という意思を軸にキャリアを築いてきたYamatoさん。 日立での長期研修、メドピアでのフロントエンド部署立ち上げ、そしてコロナ禍を挟みながらの海外就職挑戦まで、エンジニアとしての道のりは一貫して「自分の意思で動く」ものでした。
同じエンジニアとして話を聞く中で、“行動力と一貫性”という言葉が何度も頭に浮かびました。 ここからは、Yamatoさんのキャリアを振り返りながら、日本とカナダでの働き方の違い、リセッション期の就活、そして海外挑戦に込めた想いをたっぷりと伺っていきます。
日本でのキャリアの始まり
Senna: あらためてなんですが、日本での経験年数、結構長かったですよね。Yamatoさん、何年ですか。
Yamato: 7〜8年ぐらいですね。最初は日立からエンジニアとして入りました。もともと大学時代からエンジニアを目指していたわけではありません。大学は経済学部で、エンジニアとは関係ない学部でした。ただ就職活動のときに、たまたまSE系の会社の説明を聞いて「あ、これ面白そうだな」と思いSEを目指してみようと考え、それをメインに就職活動をしました。
Senna: それは、経済学という勉強していたことからはずれますけど、日立の説明会がすごく楽しかった、みたいな?
Yamato: 最初は日立の説明会ではなく、別の会社だったんです。そこでSEに興味を持ち、日立を含めたいろんなSE系の会社を受けました。
Senna: なるほど。珍しいですね。SEの説明会って僕は出たことがないので「そうなんだ」としか言えないんですけど、そんな心惹かれる説明だった?
Yamato: なんか心惹かれましたね。なぜかはちょっと覚えていないですけど。言語化しづらい部分もあると思います。
Senna: 大学時代はプログラミングは触ってないということですか?
Yamato: 全然。例えば、当時のSE採用は未経験・文系でも採ってくれることが多かったので、特に苦労した覚えはあまりないですね。
転職と新たな挑戦
Senna: NTT系とかもそうですけど、大手の研修ってすごいですよね。もう学校じゃんっていう。
Yamato: あれは学校ですね。おっしゃるとおり、4月入社で9月くらいまで研修していた記憶があります。
Senna: じゃあ半年くらい。やっぱり大手からのエンジニア人生だったと思いますが、半年が研修だとすると、その後1年くらい勤めて次の会社に移られた、ということだと思います。やっぱり大手の仕事の仕方とか、違う環境を求めて転職?
Yamato: 理由は何個かあります。まず自分でコードを書きたいと思ったこと。日立だとキャリアレンジが上がるにつれ、コードを書くより人をマネジメントする方向にシフトしていきます。1年目はコードをガンガン書いていて、それが自分の性に合っていて楽しかった。もっとコードを書くキャリアを続けたいと思ったのが一つ目。二つ目は、いわゆるJTC(日本的大企業)の雰囲気や上下関係が自分に合わないと感じたこと。Web系のベンチャーに入ったほうが合うのでは、と考えて転職しました。
メドピアでの成長とカナダへの興味
Senna: 最近、日本の大手で働いている外国人エンジニアの話を聞く機会が多いですが、その話に重なりますね。縦社会構造の問題は日本にいる外国人エンジニアやデザイナーさんからもよく耳にします。じゃあ次の会社さんは小規模な会社?
Yamato: マーケティングアプリケーションズという会社で、Webアンケート等のツールを作っている会社です。
Senna: その後がメドピアさん。ここはRailsエンジニアとして勤めた会社ですか?
Yamato: そうです。最初はRailsエンジニアとして入り、在籍の半分くらいからシニアのフロントエンドになりました。当時、会社にフロントエンドに詳しい人があまりいなくて、自分でフロントエンドの部署を立ち上げて、採用や技術的な布教も含めて色々やっていました。
Senna: メドピアさんって日本の会社ですよね。名前的に外資っぽいかなって一瞬思ったんですが
Yamato: 日本です。医療系のコミュニティサイトを運営している会社がメインです。
Senna: メドピアさんでは在籍3年2カ月くらい?
Yamato: 3年2カ月ですね。前半がRails、後半がフロントエンドです。後半にシニアへ移りました。フロントエンド大好きっ子でした。

カナダでの就職活動
Senna: そのあと、カナダに行くつもりだったけど、コロナで行けず……という流れですよね。
Yamato: そうです。メドピアをやめたあとカナダに行くつもりでしたが、コロナで行けなくなった。すでに会社には辞めると言っていたので無職になるところで、一旦国内で転職し、コロナが終わってからカナダに来ました。
Senna: やっぱり。2020年のあの絶望感は覚えています。じゃあその時点で海外挑戦の熱量はすでに高かった?
Yamato: 前職在籍当時の先輩がカナダで就職していて「こういう選択肢もあるんだ」と分かったのが大きいですね。自分もやってみたいと思いました。
英語学習の継続
Senna: 僕も実はそのタイプですね。周りにバンクーバー行った人がいて。Yamatoさんはその先輩の背中を見て「こういうキャリアもある」と考えたわけですね。もしその出会いがなかったら、バンクーバーを考えていなかったかもしれない?
Yamato: そうかもしれないです。
Senna: で、コロナが終わって、カナダ行きを本格的に決めたのは2022年の初めくらい?
Yamato: だいたい2022年の初めですね。渡航制限がなくなってきて、そろそろ行けるな、じゃあ行くか、という流れです。カナダにキャリアを移したいというイメージは漠然と持ち続けていました。
Senna: よくコロナで諦めなかったですね。
Yamato: いつか海外で働きたいという夢はずっと持ち続けられました。なぜかは分からないですが。
Senna: コロナ禍で相談は多かったですが、諦める人も相当多かったんですよ。5年くらいは見送ろうか、みたいな。そこで諦めていたらYamatoさんも来てなかったかもしれませんよね。
Yamato: 大学在籍時から、いつか海外で働いてみたいという漠然とした思いはありました。大学までは海外旅行も一度も行ったことはなかったけど、大学で先輩がバックパッカーをした話を聞いて、「なるほど、そうやって海外旅行できるんだ」と。自分もバックパッカーをやってみて、海外は思ったより近いと実感しました。そこから派生して、いつか海外で働きたいという思いを持ったのだと思います。
バックパッカーの経験と国選び
Senna: バックパッカーはどこへ?
Yamato: 2回行っていて、1回目が20歳のときにドイツ・イタリア・オーストリアを約1カ月、2回目が大学卒業前に東南アジアを約2カ月ぐるっと回りました。
Senna: 僕は10年以上「やるやる」と言いながら結局できなかった人間で……今からでも行けますか?
Yamato: 行けます行けます。
Senna: 今の年齢だとお金に物を言わせてしまいそうで、バックパッカーってそういうんじゃないじゃないですか。お金がない時期にやるものというか…それはどうでも良いのですが、改めて渡航先の選定についてお伺いします。渡航先は英語圏ならどこでも良かった感じですか?
Yamato: そうですね。2022年はカナダにするかイギリスにするか迷っていて、イギリスのYMS(2年の抽選制ワーホリ)にも当たっていましたが、前述の先輩もカナダだったため、自分もカナダへ行くことに。
Senna: なるほど。イギリスに特別な思いがあったというより、英語圏+ワークビザの取りやすさで比較した、と。
Yamato: そのとおりです。結構調べました。ワーホリや就労ビザのことは。
カナダでの就職活動と最初の会社
Senna: 改めてですが、カナダへ渡航して最初の入国はワーホリを持っていた状態?
Yamato: 最初は観光ビザで入国して、就活し、仕事が決まったらワーホリに切り替えるパターンを取りました。
Senna: 観光→就活→国内切替は王道ですね。観光期間の半年はどう過ごしていました?
Yamato: 実はバンクーバーに来て3週間で仕事が見つかって、観光ビザの状態は1カ月ちょいでした。
Senna: 2022年9月というとコロナ後の採用バブルのど真ん中ですね!
Yamato: そうです。正直めちゃくちゃ就活しやすかったと思います。
Senna: この時期は確かにすごかった。Frogの過去12年の中でほぼ100%に近い数字で就職したのが2022年でした。もしかして、狙って渡航したとかですか?(笑)
Yamato: まさか、こればっかりは完全に偶然です。
Foundationでの経験
Senna: 最初のカナダの会社は3週間で見つかったわけですが、レジュメは何通くらい出しました?
Yamato: 正確には覚えていませんが、面接は5〜6社。書類通過率もそこそこ高く、マスアプライはしませんでした。結局20〜30通くらい送ったかな。
Senna: 今の人が聞いたら超羨ましがりますね。最初の英語面接は人生初?
Yamato: 実は英語面接は日本でShopifyを受けたことがあり、その時4〜5回経験しています(2021年)。最終的に落ちてしまいましたが、良い英語面接の練習になりました。
Senna: 英語周りの自信は、バックパッカーや学習の積み上げから?
Yamato: いや、そもそも自信はなかったですね。2019年ごろから3年ほど、オンライン英会話や海外ドラマで継続学習はしていました。何度も挫折してきたのですが、2019年に始めたのが3〜4回目の挑戦で、たまたま続いた。DMM英会話を使っていました。
Senna: 英語学習を長期で継続する人が結局強いんですよね。
リセッション期の転職活動
Senna: Shopify面接は日本からオンライン?
Yamato: そうです。4〜5回で、面接官は毎回違いました。日本在住のカナダ人、シンガポール在住、中国圏の方など。シンガポール訛りが強くて、コーディング面接の説明が一切聞き取れずフリーズした回もありました。
Senna: 訛り対応は早く実地経験したのが良かったですね。カナダでの面接内容は?
Yamato: オーソドックスでした。電話→コーディング→アルゴリズム→システムデザイン→ビヘイビア。奇抜な出題は特になし。日本での転職経験もあって、英語になっただけという印象でした。
Senna: 最初の会社はFoundation(ファンデーション)。選んだ理由は?
Yamato: 社員5〜6人の創業初期で面白そうだったこと。バックエンドRails/フロントReactという馴染んだスタックで力を発揮できると思ったこと。ハイブリッド勤務で週2〜3回出社し対面で働けたことでしょうか。
Senna: 創業初期でRailsは珍しいですね。
Yamato: 一人目のエンジニアが「0→1ならRailsが速い」と判断したと聞いています。その方はバックエンド寄りでRailsの経験はそこまで深くなかったので、Railsに関しては自分のほうが経験が上だったかもしれません。体制は、インド在住のバックエンド1名(リモート)、バンクーバー在住のカナダ人ジュニア1名、私(シニアフロントエンドエンジニア)。
Fullscriptでの業務内容
Senna: 入ってみての感想は?
Yamato: 良かった点は、技術的な採用や実装でイニシアチブを持てたこと。大変だった点は、2023年に資金調達環境が悪化して会社の雰囲気が悪化、社長が強圧的になり、レイオフで人が半減。自分はレイオフされませんでしたが、ストレスフルで辞めました。
Senna: Foundationを辞めてから、次の会社に移られたのはどのくらい経ってからですか?
Yamato: 会社を辞めてから就活を始めたのですが、これがまた時間がかかりました。地獄でしたね。
Senna: 地獄(笑)。
Yamato: ほんとに地獄です。正直自信は多少あったんです。カナダでの職歴もあるし、渡航当時よりレベルも上がって経験も色々したので。ですが、レジュメを送っても全然通らないし、面接にも全く進めない。
Senna: リセッションの時期ですよね。2023年の冬〜春と言えば。
Yamato: そうです。まさにリセッションの真っ只中。とにかく状況が悪くて。50件出して1件面接があったら良い方みたいな。
Senna: やはりそうですか…。2023年の中盤に入ってから一気に悪化しましたよね。僕らのところにも「全然通らない」とかレイオフの報告が毎週のように来てました。
Yamato: そうですよね。僕もそのとき本当にきつくて。就活しても結果が出ないので、精神的にかなり落ちていました。
Senna: わかります。あの時期に就活してたメンバーは全員心が削られていたと思います。最終的にどうやって次が決まったんですか?
Yamato: 実は日本時代の会社の同僚のリファラルで、今の会社に入ることができました。Fullscript(正式社名 Healthy Web Inc.)という会社です。

給与と待遇の変化
Senna: リファラル、つまり紹介採用ですね。
Yamato: そうです。元同僚が先にFullscriptに入っていて、僕をリファラルしてくれた感じです。
Senna: 期間としては?
Yamato: 就活期間は約2ヶ月くらいでした。リファラル入社ではあったのですが、普通に4回面接がありました。
Senna: 4回。プロセスとしてはリファラルだからと特別扱いな感じじゃなかったんですね。
Yamato: はい。テクニカル面接・システムデザイン・カルチャーフィット・ファイナルといった流れでした。
Senna: リファラルは魔法のカードではない、という話もよく聞きます。やっぱり、通るときと通らないときの差は大きいですよね。
Yamato: 本当にそうです。自分が入社してから、元同僚を何人もリファラルしましたが、全員落ちてしまいました。
Senna: 全員…
Yamato: はい。だから、リファラルだから通るというわけでは全くないです。最終的には会社が求めているポジションとの適合性や、面接での印象、技術面の評価が重要。僕の場合は、スキルスタックや過去の経験、そして技術への向き合い方を評価してもらえたんだと思います。
日本とカナダの働き方の違い
Senna: Fullscriptではポジションはフロントエンド?
Yamato: 肩書きはフロントエンドエンジニアですが、実際にはバックエンド(Rails)も触っているので、ほぼフルスタックです。もともとバックエンドの経験もあったので、自分から「やらせてほしい」とお願いして関わるようになりました。
Senna: 自ら手を挙げるタイプですね。実際、どんなプロダクトを作っている会社なんですか?
Yamato: 簡単に言うと、サプリメントを扱うEコマースなんですが、普通のECと違って、医療従事者が患者さんにサプリを“処方”して、患者がそのプラットフォームで購入するという仕組みです。つまり、医療とECが融合したようなビジネスモデルです。日本にはあまりない形だと思います。
Senna: なるほど。いわゆるD2Cでもなければ、病院でもない中間のような立ち位置。
Yamato: そうです。たとえば、自然療法医やパラメディカルの先生が、患者に「このサプリを飲んでください」とオンラインで伝えると、患者はそのままFullscript上で購入して自宅に届く。そんな流れです。
Senna: 従業員数はどれくらい?
Yamato: 1000人以上ですね。配送センターなどのスタッフも含めると結構な規模になります。
Senna: かなり大きいですね。バンクーバーではなく本社は?
Yamato: 本社はオタワです。僕もオタワ在住です。
Senna: オタワ。じゃあ、英語環境としてはよりコアなカナダ文化圏ですね。業務フローはどんな感じですか?
Yamato: かなり整っています。まずPMがPRD(Product Requirement Document)を書いて、それをもとにデザインチームがデザインを作ります。そのあとエンジニアがDesign Docを書いてレビューし、実装→テスティング→テスティングパーティ→リリースというサイクルです。
Senna: テスティングパーティって何ですか?
Yamato: 全員で新機能を触ってバグやUXの違和感を報告する会です。デザイナーもPMもエンジニアも全員で確認します。
Senna: かなり構造化されていますね。
Yamato: はい。自分の意見を言いやすく、チームとしての議論が前提になっています。
Senna: そうですよね。日本だと「仕様が決まってから呼ばれる」みたいなこともありますが、こっちは議論の段階から関わる。
Yamato: まさにそうです。エンジニアが黙ってコードを書く環境ではありません。設計の意図やリスク、技術選定の背景を言語化してチームに共有することが求められます。
Senna: チーム規模は?
Yamato: 僕が今いるチームは8人です。PM、デザイナー、エンジニアがいて、デザイナーは複数チームを掛け持ちしています。
Senna: なるほど。デザインドリブンだけど、エンジニアも意見を出せる環境。理想的ですね
Yamato: そうですね。僕はIntermediate(中級)として入社して、1年後にPromotionして今はシニアフロントエンドエンジニアです。
Senna: 昇進がすごく早いですね。
Yamato: 入社から1年で昇格しました。ありがたかったです。
Senna: 給与レンジも気になるところですが……。
Yamato: 大丈夫です。公開して問題ないです。
Senna: ありがとうございます。では日本時代とカナダでの推移を教えてください。
Yamato: 日本の最終年収が約888万円。カナダ1社目(Foundation)が110,000 CAD、Fullscript入社時も110,000 CAD。今のベースが140,000 CAD。今年はストックオプションを行使して+30,000 CADほど上乗せされたので、実質170,000 CADくらいになりました。
Senna:2年3カ月でベースが+30,000 CAD。成果次第で昇給・ストックが明確に反映されると。
Yamato: はい。日本より上がるスピードは速いです。ただし、その分パフォーマンス評価もシビアですね。
Senna: 確かに。解雇が容易なぶん、結果がすべてという側面もありますね。
Yamato: そうです。給与は上がるけれど、雇用の安定は日本より確実に低い。一長一短です。
Senna: 転職の頻度は高いですか?
Yamato: 思っていたより高くないですね。数年単位で働いている人が多いです。
Senna: 働き方や文化の違いは感じますか?
Yamato: 思っていたより個人主義ではないです。チームで協力し合う文化がしっかりあります。自分のタスクが終わったら、他の人のタスクを手伝うのが普通です。
Senna: なるほど。
Yamato: ただ、オタワは東アジア系が少なくて完全なマイノリティなので、そういう意味では多少気を使うこともあります。でも、リスペクトを持って接すれば全く問題ないです。
これから挑戦する皆様へメッセージ
Senna: 最後に、これから海外でエンジニアを目指す人へ、メッセージをお願いします。
Yamato: 実は…昨日、中学の同級生が亡くなったという悲報がありました。本当に人生何が起こるか分からない。だから、やりたいことは早めにやったほうがいいと思いと改めて思います。
海外就職も「いつか」ではなく、やるなら今です。今回の悲報を受け、次は自分かもしれないと考えるようになりました。なので本当に一日一日を大事に生きようと思いましたし、海外挑戦含めやりたいことは後に回さず今すぐ行動に移すべきだと伝えたいです。
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取材を通して印象に残ったのは、Yamatoさんの「やると決めたら迷わない」という姿勢です。大手からベンチャーへ、安定から挑戦へ。キャリアの転換点ごとに、迷いながらも「自分が一番成長できる環境」を選び続けてきました。
特に印象的だったのは、渡航時の就活とリセッション期の就活の落差。本当に海外就職はタイミングが非常に重要だと改めて感じたお話だったので、大事なのはいかなる時もチャレンジし続ける事と、ダメだったからといって腐らない心持ちだなと思いました。
「やりたいことは後に回さず、今すぐ行動に移す。」
それは、技術や英語力よりも先に持つべき、挑戦者としての姿勢だと思います。Frogはこれからも、そんな想いを持つエンジニアたちのリアルな声を届けつつ、精一杯サポートしていければと思います!