「グラフィックデザイナーは無理だと思う…」から始まった — 紙のアートディレクターがカナダ・アメリカで現地就職するまで
今回お話を伺ったのは、グラフィックデザイナー兼アートディレクターのAoiさんです。日本では多摩美術大学グラフィックデザイン学科を出たあと、東京の広告制作会社で9年間、駅貼りのポスターやタレントを起用したビジュアルなど「紙」の広告を手がけてこられました。
エンジニアやファイナンスと違い、グラフィックデザイナーが海外で現地就職する前例はほとんどありません。Aoiさん自身、渡航前にFrogのSennaに相談したところ「グラフィックデザイナーは多分無理だと思うよ」と言われたそうです。それでもカナダのカレッジに通い、バンクーバーのデザイン会社、そしてロサンゼルスの広告会社へと、2年半のカナダと1年強のアメリカで3社にフルタイムで採用されました。カルチャーやセンスが問われる「ハイコンテクスト」なデザイナーの就活を、どう突破していったのか。10代のインターナショナルスクールから続く英語への向き合い方も含めて伺いました。
インターナショナルスクールで英語のベースを作る
Ryo: 北米を目指したきっかけって、どのあたりにあったんですか。
Aoi: そもそも私自身、祖父が外国人なんですね。小さい頃からそれは家族の中でよく話が出ていて、自分にも外国の血が混じっているんだっていうのをうっすら感じてはいたんです。で、日本の高校に入ったんですけど、これしなさい、あれしちゃダメ、っていう校則がその時の私には全然合わなくて。もう登校拒否みたいになっちゃって、家で毎日映画を見てるような感じになったんです。その時に、私英語が好きだから英語を勉強したいなと思って。親戚とも喋れないし、それなら英語できちんとコミュニケーションを取れるようになりたいと思ってインターナショナルスクールに行きました。
Ryo: インターナショナルスクールって、日本の高卒資格は取れるんですか。
Aoi: 基本的にインターナショナルスクールって日本の高卒資格は取れないところが多いと思います。だから進学先は海外の大学か、そういう学校を受け入れてくれる大学が候補になるんですね。私は多摩美術大学のグラフィックデザイン学科に進学したんですけど、高卒資格が取れる別のインターに一瞬だけ通って、そこで卒業資格を取ってから多摩美に入るっていうことをしました。履歴書、欄が足りなくなっちゃうくらい、いろんなことをしてるんです。
Ryo: 中学までは普通に日本の教育を受けてたとなると、いきなり全部英語の環境は大変だったんじゃないですか。
Aoi: めちゃくちゃありました。英語、ハローぐらいしか言えないような状態でインターに入ったので。私のところは入試テストもなくてアプライしたら入れる学校だったんですけど、ネイティブの子も帰国子女もいて、同じカリキュラムをやるんです。隣のニュージーランドの女の子が家で30分で終わるようなエッセイを、私は夜中の3時まで書くみたいな。読むスピードも遅いし、単語も日本で育った高校1年生レベルだったので。算数も理科の実験も全部英語でやるんで、もう毎日かじりついてやってました。
Ryo: 学校の他の日本人の子と比べても、最初の3年間の蓄積は効いてたなと思いますか。
Aoi: ちょっと効いてたかもしれないです。言われてることが分からないとか、目の前で喋られてあわあわしちゃうみたいなことはなくて。あとはもうインター卒業してからもずっと勉強してたので。単語をメモったり、洋書を読むようにしたり。すごく眠くても、遊ぶ予定があっても、絶対5分でも英語に触れる時間を取ってました。英語を自分から放さないようにしてたっていうのはあるかもしれないです。もう20年以上、ずっとやってます。
絵が好きだった — 多摩美術大学から広告の世界へ
Hiroshi: 美術やアート関連の分野は、若い頃から興味があったんですか。
Aoi: 勉強はできるタイプじゃなかったんですけど、絵は好きでよく描いていて。うさぎの絵を友達に「欲しい」って言われて描いてあげる、みたいなことを保育園の時にやってたのを覚えてます。翻訳とか英語の道に行くか、デザインの道に行くかで悩んだ時期もあったんですけど、最終的に絵を描けるスキルを生かしてみようと思ってデザインの道にしました。
Ryo: 美大って、予備校みたいなところに通って対策していくイメージがあるんですけど、そういう練習抜きで行けるものなんですか。
Aoi: 本当に的確で、美大ってほぼ浪人生が多いんです。美大に入るための実技の予備校が全国にあって、1年2年浪人して入る子が多い。独学で入ったっていう子は聞いたことないですね。大学によって実技試験の傾向も全然違うので、その対策に私も1年通いました。
Ryo: 多摩美を卒業したあとは、グラフィックデザイナーとして日本の会社に入ったんですか。
Aoi: そうですね。東京の広告制作会社に入って、そこは長くて9年くらいいました。グラフィックデザイナーとして入って、徐々にアートディレクターになっていくっていう基本的な流れですね。そこでは英語は全然使ってなかったです。日本の企業の仕事がメインでした。
Hiroshi: デザイナーってマネタイズが難しいという話もありますよね。そこの葛藤みたいなのはありましたか。
Aoi: 高校生の時にデザイナーって仕事にできるんだろうかと思った時期もあったんです。でも実際デザイナーって世界中にたくさんいますし、要は好きなものを突き詰めればそれが仕事になるっていうのは全てにおいて言えることなので。物を作る、ローンチするってすごくデッドラインがあるし、作らなきゃいけないボリュームもかなりあって。寝不足が続く日もありましたが、それでも続けられるのはやっぱり好きならではなのかなと思いますね。
コロナ禍で動き出した「海外で働く」という選択
Aoi: 私が日本を出てカナダに行ったのが2022年なんですけど、ちょうど2019、2020年くらいにコロナが来て。あの時期ってみんな自分のキャリアをどうしようって考える時間があったと思うんです。私も元々海外で働きたいっていうのはあって。ただ周りにグラフィックデザイナーで海外で働いてる子がいなかったんですね。最初にFrogのSennaにメールで相談した時、「グラフィックデザイナーは多分無理だと思うよ」って言われたんです(笑)。前例が少ないし、技術以外にカルチャーも知らなきゃいけないし、表現のバックボーンっていうところが難しいんじゃないかって。
Ryo: それでも行こうと。
Aoi: そうなんです。前例がなかったので渡った方のブログとかをいろいろ見ていて。トンコハウスっていうアニメーションスタジオをやられている、元ピクサーの堤さんの記事を見たんです。アメリカで長い間活躍されている方なんですけど、「いろいろ企画を練って手順を考えても、とりあえず来ちゃいなよ、来たらどうにかなるよ」って言っていて。じゃあとりあえず行こうと思って。働きながら準備して、会社を退職した3ヶ月後にカナダに行きました。
Hiroshi: 3ヶ月はかなりスピーディーですね。学校選びや資金計画があってというイメージでしたけど。
Aoi: プランニングと準備はかなりしていて。留学エージェントに金額感を聞きに行ったり、ポスグラなのかコープなのか、選択肢をいろいろ見ながら、昔から情報収集はしていたんです。準備が整った、レディだなと思って会社を退職して、東京の家を引き払った、っていう感じなので、準備期間はみんなと同じくらい取ってたと思います。
Ryo: 国選び、都市選びはどう考えたんですか。トロントの方が会社は多いのかなとも思いますけど。
Aoi: 私は結構ピックしてカナダに行った人間で、レアだと思うんです。そもそも通っていたインターナショナルスクールがカナダ系の学校だったんですね。先生もカナディアンの先生ばかりで、カナダの歴史も学んでいたので、もともとカナダがすごく好きだったんです。その愛着もあったので、次に英語圏で挑戦するならカナダ一択かなと思ってました。
「時間がない」— デジタルマーケティングという選択

Ryo: バンクーバーのコーナーストーンでは、デザインじゃなくてデジタルマーケティングのクラスに行かれたんですよね。デザイナーのコースがなかったからですか。
Aoi: デザイナーのコースはあえて選びませんでした。9年働いていろんな会社の広告を担当させてもらったので、カナダに行って「イラレはこうやって作るんですよ」「Photoshopでこれを描いてみましょう」が半年続くと考えると、英語ではあるんですけど、ちょっと時間のロスだなと思ったんです。北米で働くことを現実的に考えた時に、ビザって有限なものなので、日本みたいに「3ヶ月後にやろう」ができない。だから勉強はもういいや、現地で働くことをまずゴールにしようと。
Aoi: ちょうど退職する時に、大手のクライアントさんにピッチで伺ったら「うちはもう駅構内の広告とか紙の広告はやらない、全部デジタルに移行します」って言われたんです。デジタルの波って抗えないじゃないですか。出稿する先がデジタルやそういうメディアになってきた時に、私はまだそこが弱いなと思ったんです。デザインプラスアルファということで選びました。
グラフィックとWebは、似て非なるもの

Ryo: グラフィックデザイナーとWebデザイナーの違いって、正直あまり分かってなくて。Aoiさんの肩書きはどちらになるんですか。
Aoi: 私はそもそも出発が全然Webの人間じゃないんです。いわゆるグラフィックデザイナーって、駅に貼ってあるポスターとか、タレントやモデルを起用したビジュアルを作るところで、本当に紙から出発してるんですね。デザインして印刷するっていうところから。今はグラフィックデザイナーでも動画を作る人もいるし、UIの人が紙を作ることもあるし、かなり横断してきてはいるんですけど。私も元々は紙で、Figmaを使ってフロントのデザインもしますけど、肩書き的にはグラフィックデザイナー、アートディレクターで、Webもやりますよっていう感じです。
Ryo: グラフィックデザインからWebデザインやプロダクトデザインには、簡単にコンバートできるものなんですか。
Aoi: 簡単ではないと思っていて。グラフィックの人が作るウェブサイトと、Webのプロの方が作るウェブサイトって全然違うんですよね。私たちは自分で作ったトップページの画像のトーンを、いかに下の階層のデザインにつなげていくかっていうアプローチで。動線だったり「ボタンここにあったらおかしいよね」っていうのは、Web界隈の人から見たら100点じゃないところがあると思うんです。FrogのUIの子と喋っても、考え方はちょっと違うなって感じます。
Ryo: プロダクトデザインはもっと理論からくるものが多いイメージなんですけど、Aoiさんはグラフィック寄りの考え方でキャリアを進んでいる感じですか。
Aoi: そうですね。Webが本業ではないっていう自覚もあるし、仕事的にはかなりグラフィックだったりアートディレクション、ビジュアルそのものを作る方ですね。デザイン会社って、例えばカナダの時はカナダ人の夫婦がやっている会社だったんですけど、InDesignでブックレットを作ったり、Illustratorでポスターを作ったり。北米ってサブスク文化があるので、メールをFigmaでデザインして、隣のプログラマーの子がKlaviyoで設定して配信する、みたいなこともやってました。
バンクーバーの就職活動 — 100通送って、返ってくるのは1、2通

Ryo: バンクーバーってグラフィックデザインの会社自体が少ないイメージなんですけど、どうやって応募していったんですか。
Aoi: 超少ないです。そもそもCo-opを取ってくれるデザイン会社もないし、大きい会社もデザイナーはローカルで埋まってるので、あえてインターナショナルの子を雇う理由がないんですね。だから私はLinkedInやIndeedはもちろん、Google Mapsでデザイン会社を調べて、上から下までレジュメとポートフォリオを送るっていうのをやってました。渡航1年目の年末年始に、新年の花火が聞こえるなか2週間くらい部屋にこもって、30〜40ページの英語のポートフォリオを「時間がない」と思って作ったのを覚えてます。
Ryo: どのくらい送って、どのくらい返ってきましたか。
Aoi: はっきり覚えてないですけど、みんなと一緒で100通送って1、2通返ってくるかな、みたいな感じです。ただ私は幸い日本での経験年数があったので、面接まで行くと拾ってもらえることが多くて。あと私自身、日本で面接官をやっていた経験があるので分かるんですけど、その人が良い悪いというより会社のシチュエーションもかなり大きいんです。バンクーバーって移民が立ち上げた会社が多くて、そもそも人を雇う体力がないところも多い。だからレジュメが返ってこなくても、自分の能力の問題じゃない場合も多いんですよね。だんだんそれが分かってきたので、あまり気にせず、判断は彼らに任せて自分にできることをするっていうのをやってました。
Ryo: エンジニアだとATS対策がすごく大事なんですけど、デザイナーの場合はどうでした。
Aoi: そもそも英語のレジュメって見たことがなかったので、最初は叩きでスカスカでした。「自分がやったことを過去形にするのね」とか、ATSって何?っていうところから、自分で聞いたり情報収集しないと分からなくて。コーナーストーンにレジュメを見てくれるサービスがあったので、早い段階で「これ良いの?」って聞きに行きました。北米の人には簡潔な方が好まれるから、最初に伝えたいことをドンと出して、ダラダラ書かないでって言われたり。アドバイスを受けながら作ってましたね。
Hiroshi: エンジニアに比べると、企業に入るまでの流れがハイコンテクストですね。
Aoi: そうかもしれないです。デザイナーってカルチャーフィットみたいなところがあって。可愛いものを作る会社に、ゴリゴリの3Dや動画をやります、みたいな人が入って活躍できるかというとそうではない。お互いすごくカルチャーフィットを見てるんです。レジュメはやってきたことを文章にしてるだけなので、ポートフォリオを見れば「この人このくらいの経験があるんだ」って一目瞭然で。だからレジュメとポートフォリオを同列に、両方ちゃんとブラッシュアップしていかなきゃいけないんですよね。結局バンクーバーでは2社働いたんですけど、どちらも面接は1回。社長に呼ばれて喋って「うん、じゃあやってみな」みたいな感じでした。
アメリカへ、そして一区切りの帰国

Ryo: そこからロサンゼルスに移るのは、どういう流れだったんですか。
Aoi: カナダって人口3、4000万人で、アメリカは3億人ちょっといるじゃないですか。カナダで働くなかで、市場の大きなアメリカにチャレンジしたくなりました。トロントも1人で見に行ったんですけど、今チャレンジする時間があるならアメリカに行ってもいいかなと思って。カナダにいた2年目にセカンドワーホリが運良く当たって、その途中からアメリカにもレジュメを送り始めたんです。そうしたらロサンゼルスにある広告代理店が「じゃあロスおいでよ」って言ってくださって。プロベーションのあとリモートで働いてから、ビザを出してもらってロスに移りました。
Ryo: アメリカのビザはどういう形だったんですか。
Aoi: トレーニング、インターンのビザです。アメリカって日本とのワーホリがないので、大学を卒業してる人か就労ビザが出てる人しか基本いなくて、みんなどこかしらに所属してるっていう人が多い。カナダとはそこが結構違うなと思いました。
Hiroshi: アメリカで1年ちょっと過ごして、今は日本に戻ってこられたんですよね。どういう経緯で帰ろうと。
Aoi: 広告代理店で日系やアメリカのクライアントを担当させてもらってすごく勉強になったんです。ただ働いていくなかで、将来的に自分のデザイン会社を、アメリカと日本の両方で仕事ができる状態にしていきたいと思って。あとは北米で数年過ごして、現地就職するとか、アメリカの働き方やクライアントを知るっていう、渡航前に立てたチェックリストが全部埋まったんです。親は「無謀すぎる、本当に大丈夫か」って本気で心配してたくらいなんですけど(笑)、やりたいことができたので、一旦区切りとして帰ってこようと思いました。
Hiroshi: 数年後には北米で起業したいというお話も伺いましたけど、そのビジョンも聞かせてもらえますか。
Aoi: 北米って起業がすごくポジティブに受け入れられていて、自分でサービスを提供する側になるのが一つのゴールであるカルチャーだと思うんです。インターの時も「自分の会社を作るとしたら資本金いくらにしますか、何人雇いますか」みたいな授業があったくらいで。今はアメリカと日本でシームレスに仕事をするのも当たり前になってきているので。私の英語とデザインって10代から始まって、その熱量が何十年も続いているので、きっとそれは変わらない。だから長い目で見て、将来的に自分のデザインを届ける形を今は目指しているっていう感じですね。ロスで出会ったカメラマンやスタイリストみたいな、仲間を増やして楽しくやっていけたらなと思ってます。
これから海外を目指すデザイナーへ
Ryo: これからデザイナーで渡航する人に、アドバイスはありますか。3社も行けたなら「無理」ってことは全然ないのかなと聞こえたんですけど。
Aoi: まず一つは、今日から英語を勉強してくださいっていうところですね。インタビューで上手く伝えられないと弾かれてしまうので、今日英単語を1個覚えるところから。そして、これは夢物語ではないっていうこと。私も来る前は「海外のデザイン会社で就職なんてあり得るのかな」と思って、1年ボランティアでどこか働けたらいいなくらいで来たんですけど、3社フルタイムで雇っていただけたので。日本でできる準備、ポートフォリオとかはしておいた方がいいです。未経験だとかなり厳しい道になるので、経験がないなら今から小さいものでも自主的にやってみる。渡航までにできることはやっておきましょう、っていう感じですね。
Ryo: 都市で言うと、バンクーバーはおすすめですか。それとも会社の多いトロントの方がいいんでしょうか。
Aoi: 結論から言うとバンクーバー、トロント共にすごくおすすめで。ステータスの話になりますが、カナダのワーホリやCo-op制度ってすごく自分のキャリアを自分のためにコントロールできるビザなんです。合っていなかったら辞められるし。ゴリゴリのカナディアンの会社で働きたいなら、カナダでCo-opやワーホリを使うのはすごくいい手段だと思います。アメリカだとまた戦い方が変わってきますね。
Hiroshi: 最後に、英語学習で大変な思いをしている方へのアドバイスもいただけますか。続け方やモチベーションの保ち方も含めて。
Aoi: 私が英語の先生とよく話しているのが、恋人でも友達でもいいので、何でも話せる人を作るのが一番いいっていうことなんです。私の場合はテキサス出身の先生を週1回雇っていて。ただの英会話じゃなくて、私が北米で働くにあたって知らないと危ない歴史や経済、カルチャーを教えてほしいと伝えて、彼女がアメリカのニュースを毎週1本選んで、それに私が意見を述べるっていう会をやっているんです。それがすごく効いていて。気の合う人を見つけてやると「この人に話したい」ってモチベーションになるので、英会話兼メンタリングみたいなのはすごく生きてる気がします。あとはドラマでも本でも、好きなものから始めるのがいいと思います。日本語のものを全部捨て去るくらいの勢いでもいいのかなと思いますね。
「グラフィックデザイナーは無理だと思うよ」と言われながらも、紙のアートディレクターとしての経験を武器に、カナダとアメリカで3社を渡り歩いたAoiさん。前例のない道を、ポートフォリオとレジュメを磨き上げ、カルチャーフィットという曖昧なものと向き合いながら切り拓いていった行動力がとても印象的でした。
10代のインターナショナルスクールから20年以上、英語を「自分から放さない」ように積み重ねてきた継続の力。そして「とりあえず行こう」と踏み出す軽やかさ。デザインという、技術だけでは測れない職種で海外を目指す方にとって、Aoiさんの歩みは大きなヒントになるのではないでしょうか。数年後、北米で自身のデザイン会社を構えるという次の挑戦も、きっと同じ熱量で実現していくのだと思います。


